1440話 縁という名の策
あのテミスが譲歩を示した。
激高するクルヤとテミスのやり取りを傍らで見守っていたフリーディアは、ただただその事実に驚愕していた。
いつものテミスなら、相対する敵には欠片ほどの情けもかけず、容赦なく斬り捨ててきた。
だというのに、ことクルヤに関しては自らが殺されかけたというにも関わらず切って捨てる以外の道を模索し、和平の道を歩もうとした。
けれど同時に、それはテミスが自身の受けた傷や苦しみを投げ打っていることを意味しており、その痛々しくも歪んだ自己犠牲を、フリーディアは諸手を上げて喜ぶ事はできなかった。
だが……。
「貴女はイメルダ……。ティンパリー家のご息女で間違い無いわよね?」
「っ……!」
フリーディアは己が胸の内にわだかまる感情を振り払い、自らの役目を果たす為、クルヤを背に庇って大盾を構えたまま動かないイメルダへ静かに語り掛けた。
「以前にあなた達とパーティを組んだ時に気になって、カルヴァスに調べて貰ったの。これでも一応、白翼騎士団の団長ですもの。ロンヴァルディアの事に関してなら、それなりに顔が利くわ」
「……? フリーディア? 何の話だ?」
「テミス……お願いだから今は黙って聞いていて。後で説明するわ」
しかし、突然戦うでもなく、諭すような口調で語り始めたフリーディアに、テミスは怪訝な表情を浮かべて問いかける。
だが、フリーディアは緊張感を帯びた声色でテミスに言葉を返すと、真っ直ぐにイメルダの顔を見据えて静かに言葉を続けた。
「貴女のお父様……ティンパリー卿はお元気よ。私も伝え聞いた話だけれど、時おり剣術教室を開いて町の子供たちに剣と騎士の心得を教えているらしいわ」
「……。お父様……」
「……貴女に何があったのかは聞かないわ。貴女が何故、我がロンヴァルディアでは亡くなったことになっているのかも。けれど、もしも貴女が望むのなら。卿のご息女として再び暮らせるように手配するわ」
「っ……!!! フリーディア……様……」
まるで腫物でも扱うかのように婉曲に、そして慎重に語り掛けるフリーディアの傍らで、テミスはその手腕に密かに舌を巻いていた。
こうして実際に見る度に思い知らされる。いくら腕っぷしで肩を並べようとも、彼女は生粋の王女であり、積み重ねてきた経験と知識が違う……と。
近頃はある程度慣れてきたつもりでも、テミスにとって王族貴族連中の機微は理解しがたいものがあり、この手の相手に寄り添った懐柔策など取り得ぬ手段だ。
無論。刃を突き付け合っている相手であるにも関わらず、元の暮らしへ戻る為の面倒な手続きやら交渉やらを引き受ける事を前提にしているフリーディアが、そこの抜けたお人好しである事には変わらない。
だが、何よりも訳ありの相手にとっては、この手の話はこれ以上ない程の有効なはずだ。
自らの名を呼び、押し黙ったイメルダの答えを待つフリーディアの隣で、テミスは俯瞰した視点でそう現状を評すると、黙したまま状況が動くのを待った。
状況は複雑に絡み合っているものの、上手くいけばこれ以上の無駄な戦闘を避けられるかもしれない。
そんな、一縷の期待もあったのだが……。
「……申し訳ありません。お心遣いは大変嬉しく思います。ですが、今この身と忠誠はクルヤへと捧げたもの。我が忠義を道半ばで放り出す訳にはいきません」
「そう……。なら、一つだけ聞かせて? 貴女が奉公していたはずのゴルマン伯爵。貴女が戦死したとされているかの家が襲われたあの日、何があったのかを。未だ捕えられていない襲撃犯を野放しにはできないわ」
「…………。それは……」
大剣を構えたテミスと、剣を抜き放ったクルヤを置いてきぼりに、フリーディアとイメルダは淡々と話を進めていく。
しかし、王女として……否。白翼騎士団の団長として問いかけたフリーディアに、イメルダは言葉を濁して視線を彷徨わせると、チラリと背後のクルヤへと視線を向けた。
瞬間。テミスは何故彼女がクルヤと共に冒険者稼業に身を置いているのか、何故元の鞘に戻る事を良しとせず、クルヤと共に在り続けようとするのかが理解できたような気がした。
仮にそれが正しければ、フリーディアの危惧は杞憂に終わるし、イメルダも真実を話そうとはしないだろう。
これもまたよくある話。道を外れた野良犬が、気紛れに眼前で窮地に在る者へ手を貸してやっただけ。
その襲撃犯とやらも、今や冷たい土の下に居る筈……。
訳知り顔を浮かべながら、テミスが口を挟むことなく構えていた大剣をゆっくりと持ち上げて肩の上へと戻した時だった。
「呆れた頭の緩さだな。アンタ。お陰で頭が冷えちまった。まさか、あのヒヒ爺をロクに調べもせず被害者扱いしてるなんてよ……」
それまでテミスと同じく黙りこくったまま動かなかったクルヤが突然口を開くと、皮肉気な笑みを浮かべてその矛先をフリーディアへと向けたのだった。




