1437話 必殺の一太刀
この女は危険だ。
地面に倒れて尚、絶える事の無い闘志に、サキュドの直感がそう叫んでいた。
限界を超えた自己強化魔法とテミス様の一撃で、既にその身は死に体の筈。だというのに、ビリビリと肌に伝わってくるのは衰える事のない濃密な殺気で。
その気迫に呼応するかのように、サキュドは自らの内で戦意が燃え上がっていくのを感じた。
「そんなザマでテミス様に相手して貰えると思っているなんて、少々思い上がりが過ぎるわね」
「…………」
構えた紅槍の穂先をヴァルナへと突き付け、サキュドは不敵の微笑んで挑発をするが、対するヴァルナは折れた剣を構えて黙したまま、鋭い視線でサキュドを睨み付けている。
折れた剣に立っているのがやっとな傷付いた身体。
勝ち目など微塵も無い筈なのに向かってくる執念は、サキュドの興味を惹くには十分過ぎるほど魅力を放っていた。
「……その目。自分の命は捨てている癖に、まだ戦いを諦めていない。でしょう? ならアタシに見せてみなさいな。アンタの意志……いいえ意地をね」
「っ……!! そこまでわかっていて……!!」
「くふ……何故って? テミス様のお手は煩わせられない、けれどそんな身体を引き摺ってまで戦う貴女の雄姿、最期まで見届けずに逝かせるのは勿体無いじゃない?」
「……! お前……」
クスリと妖艶に微笑んで告げるサキュドに、ヴァルナは驚いたように目を見開くと、掠れた声で口を開く。
てっきり、問答無用で斬りかかってくるものだと思ったが、真正面から自らを見据えて相対するその心意気には、僅かばかりではあったが心動かされるものがあった。
「……感謝する」
「しなくて良いわよ。アタシも少しだけ気になっただけだから。アンタがその折れた剣と傷付いた身体で、どうやってテミス様に一矢報いるつもりだったのかを」
呟くように礼を述べたヴァルナに、サキュドは肩を竦めて言葉を返すと、突き付けていた紅槍をクルリと回して構え直した。
サキュドの言葉に嘘は無かった。
ヴァルナが危険だと感じたのは事実だし、彼女の覚悟を無碍に棄て去るのは勿体無いと思ったのも事実だ。
だからこそ、サキュドは今テミスの副官としての職務と強者と相対するという自らの趣味が重なり、血沸き肉躍る感覚に心を躍らせていた。
「さ……来なさい。相手になってあげる」
「……。スゥ……ハァ……。行くぞッ!!」
「……!!」
余裕を漂わせて構えるサキュドへ、裂帛の気合が迸る叫びと共にヴァルナが剣の腹へと指を走らせる。
瞬間。ヴァルナの携える折れた剣に魔力が集中し、サキュドの肌をフワリと微かな風が撫でた。
「くふっ……! そうこなくっちゃ!!」
「ッ……!!!」
如何なる魔法が施されたのかは分からない。
けれどあれこそが、ヴァルナが持つ切り札なのだろう。
サキュドはそう確信すると、機先を制すべく前へと飛び出し、五月雨が如き連続突きを繰り出した。
「セェッ……!!」
「へぇ……?」
しかし、ヴァルナは無数の乱れ突きを前に一瞬たりとも臆することなく前へと踏み込み、折れた剣でサキュドの紅槍を器用に捌きながら肉薄する。
だが、剣の間合いに入られて尚サキュドの顔から余裕の笑みが消える事は無く、クルリと紅槍を回転させると、穂先の刃を以てヴァルナを斬り払う。
それをけたたましい金属音を奏でながらヴァルナが受け止め、至近距離での斬撃の応酬が繰り返された後。
「甘いッ……!! ハァァッ!!!」
「……やるじゃない」
「ハァ……ッ……ハァッ……!! 少しは……焦ったらどうだ? 既にこちらの間合いだぞ?」
ガイィィィンッ!! と。
ひと際大きな剣戟と共に、折れた剣と紅槍の柄が打ち合わされ、ギシギシと軋みをあげながら鍔ぜり合う。
それでも、サキュドの表情から笑みが消える事は無く、皮肉気に賞賛の言葉を贈るサキュドに対し、ヴァルナもまた不敵な笑みを浮かべて言葉を返した。
「クスッ……。強がりは止しなさいな。いくら距離を詰めようとも、そんな折れた剣がアタシに届く事は永劫無い。その剣の間合いには、まだほど遠くてよ?」
鍔迫り合いの格好を維持したまま、サキュドはヴァルナを挑発するかのようにクスクスと笑いを零した。
事実。ヴァルナが今振るっている折れた剣で有効打を与えようとするのならば、短剣の間合い程度まで近付く必要がある。
しかし、剣でありながら間合いが極端に短い短剣を扱う者に求められる身体捌きは、無手による超近接戦闘に求められるものに近く、剣士として剣を振るうヴァルナの動きでは、到底致命傷足り得ない。
だからこそ。
サキュドは本来は槍が苦手とする剣の間合いに立ち入られて尚、こうして余裕の笑みを浮かべていたのだが。
「……それはどうかな?」
「ッ……!!? なっ……!?」
ヴァルナは浮かべていた不敵な笑みをニヤリと深めると、鍔迫り合いの拮抗を崩すように折れた刃を押し込み始める。
すると、斬り込むように押し込まれ続ける折れた剣は、細かい火花を散らしながら、今は無き切っ先の方へと徐々に滑っていく。
そして。
ついにサキュドの槍と鍔ぜり合うヴァルナの剣が、失った刀身へと差し掛かった時だった。
鍔ぜり合う間、押し込まれ続けていた力のままにヴァルナの剣が振り抜かれると同時に、まるでその折れた刀身の先に見えざる刃が存在したかの如く、サキュドの身体がぐらりと大きく傾ぐ。
「ハァッ……ゼェッ……!!! ッ……!! やったッ……!?」
次の瞬間。
折れた剣を振り抜いた格好のまま、ヴァルナは荒い息と共に歓喜の声を漏らした。
風属性の魔法で作り出した見えざる刀身。これこそが、ヴァルナに残された最後に切り札だった。
魔力で作られた風の刃は、形を持たぬが故に物理的な剣や槍などの武器で阻む事はできず、たとえ阻んだとてそよ風の如く通り過ぎて敵の肉体を切り裂く。
まさに必殺の名を冠するにふさわしい防御不可の一撃。
……だったのだが。
「……なんてね。このアタシが、魔力を見落とす訳がないじゃない」
「っ……!!!!」
ぐらりと体勢を傾がせたサキュドは、そのまま仰向けに空中へと浮かび上がってクルリと一回転をすると、地に膝を付いたヴァルナを見下ろして悠然と口を開いた。
ヴァルナの放った渾身の一撃によって切り裂かれたはずのその身体には、僅かばかりの傷すらなく、それは必殺たる風の刃が完全に防がれたことを物語っていた。
「魔力で形作られた刃なら、魔力を壁として防ぐ事ができる。だから言ったはずよ? 間合いにはまだほど遠い……と」
「~~~~ッ!!! クッ……!」
「でも、見事だったわ。テミス様の副官たるアタシが保証してあげる。あの一太刀なら、斃す事こそ出来なくとも、テミス様に刃を届かせる事はできたでしょうね」
「ッ…………!!!」
「ホント……アタシが相手をして良かったわ」
サキュドは悔し気に息を漏らすヴァルナにそう告げると、甲高い風切り音と共に紅槍を回転させてヴァルナの身体を斬り裂いた。
そして、地面に倒れ伏したヴァルナに背を向けた後、安堵の混じった小さな声でボソリと呟いたのだった。




