1434話 儚き想い
奏でる剣戟の狭間に刻み込まれる焼けつくような痛み。
呼吸すらも忘れてしまいそうになる程に激しい剣閃は、フリーディアから反撃の路を着実に奪い取っていた。
「くぅっ……ッ……あッ……!!」
ギャリィンッ!! と。
剣が交叉する音が鳴り響いた刹那、奔った剣閃がフリーディアの頬に浅い傷を刻む。
確かに最初は殆ど互角の筈だった。けれどいつの間にか、一太刀、また一太刀と優勢を重ねられ、気が付けばフリーディアは完全に劣勢へと追い込まれていた。
いや、劣勢などという言葉では生易しいだろう。
もはや勝機は薄氷の如く薄く、今でこそ辛うじて致命傷を避ける事はできているが、あと数合も打ち合えば彼女の刃は確実に私の命に届き得る。
フリーディアは幾度目かになるかすらもわからない後退と共に、荒い呼吸を繰り返しながら、胸の内で自らの身へと迫る敗北を確信していた。
「っ……!!」
ほんの一瞬。
フリーディアは一縷の望みをかけてヴァイセへと視線を走らせる。
そこでは、敵の後方深くに陣取ったロノが次々と繰り出す魔法の爆撃を、ヴァイセが苦し気な表情を浮かべながら辛うじて撃ち落としている。
その様子からは、とてもではないがこちらの援護を期待できるような余裕は感じられず、フリーディアは遂に自らが死地へと足を踏み入れたのだと自覚すると、大きく息を吐いてから再び剣を構え直した。
「…………。わからない。貴女の力量なら、私に勝てない事くらい理解できるはず。あの傲慢な女に、命を捨ててまで尽くす程の価値があるのか?」
そんなフリーディアの眼前で、ヴァルナは血に曇った刃を構えると、静かにフリーディアの目を見据えて問いを口にする。
彼女の言葉は、未だ戦いの最中にあるというのに、自らの勝利を確信した慢心とも言うべきものであったが、淡々と告げられる言葉には不思議と嫌味のような物は無く、純粋な問いだけが存在していた。
「っ……。貴女こそ。これだけの実力を持っているのに、こんな暴挙に加担する理由はなに? テミスがあなた達から命を狙われる理由なんて無いと思うのだけれど?」
「そうだな。私は奴に恨みなど無い。確かに、クルヤを侮辱した怒りはあるが、それだけで殺してやろうとは思わない」
「だったら……!」
「だけど、クルヤがこの町を必要だと言ったんだ。ならば、今の私が剣を取らない理由は無い」
フリーディアの言葉を遮ってピシャリと告げた後。ヴァルナは構えた剣の腹に指を添えると、一言二言何かを呟いてから口を閉ざした。
これ以上話す事など何もない。
自らへと向けられた無感情な瞳が、何よりも声高にそう主張しているのを感じたフリーディアは、ゴクリと生唾を呑み込んで剣を握る手に力を籠める。
もしも、彼女達にも何か理由があるのだとしたら。こうして対立するのではなくて、何か協力し合うことが出来るかもしれない。
そんな希望さえも打ち砕かれたフリーディアの脳裏に、彼女たちの事を言葉の通じぬ狂信者だと罵ったテミスの言葉が冷たく響き渡った。
その時。
「興味深い話だな? 健気な女だ。そこまでの思いを捧げ、自らの身体の限界すら超えた魔法まで使っても尚、奴はお前を気にかけてすらいないというのに」
皮肉気な声が響くと共に、サキュドを伴ったテミスがフリーディアの傍らを取り抜け、無表情で剣を構えたヴァルナの前へと立ちはだかる。
それは紛れもない窮地に立たされていたフリーディアにとって、何よりの助け舟であったが、同時に剣士として培った彼女の経験がけたたましく警鐘を鳴らしていた。
テミスの剣は確かに強力ではあるけれど、それを操る技は遥かに拙い。このまま打ち合った所で、一太刀すら加える事は難しいだろう。
「見たところ、身体強化の魔法か……。以前に似たような術式を私も使った事はあるが、アレは身体にかなりの負荷がかかる。フリーディア一人ならばまだしも、私とサキュドを相手取るとなれば肉体の崩壊は免れまい」
「えっ……!? 待ってテミス。彼女は魔法なんて使っていないわっ! だって私との戦いの間、呪文の詠唱なんて一度もしていないもの!」
「クス……だ、そうだ。だが、コイツの目は欺けても、私を騙す事はできんぞ? なにせ同じ穴の狢だ。持て余した力の逃がし方などを見れば一目瞭然だ」
「…………」
確かに、ヴァルナの剣は細く華奢な彼女の身体からは想像もできないくらい重くて迅い。けれどそれを抜きにしても、ヴァルナの剣技はフリーディアですら翻弄されるほどの腕前で。
だからこそ、フリーディアはテミスの言葉に異を唱えると、自らも戦いに加わらんと前へ進み出ようとする。
しかし、テミスはそれを自らの身体で防ぎながら、ヴァルナを挑発するかの如く言葉を重ねた。
「だが……勝ち目がないからと投降するようなタマではあるまい? お前の身体が壊れるのが先か……我々がお前を斬るのが先か……一つ勝負といこうじゃないか」
「っ……!! クルヤッ……!!!」
そんなテミス達を前に、ヴァルナはイメルダの介抱に奔走するクルヤへと視線を向けると、再び短い呟きと共に構えた剣の腹に指を走らせたのだった。




