1423話 穏やかな陽の下に彷徨い出でて
嗚呼。青い空の中を、真っ白な雲がゆったりと流れている。
日がな一日こんな風景を眺めている事ができたのならば、どれ程幸せな事だろうか。
ファントの街並みの上に広がる穏やかな景色を眺めながら、テミスはそう胸の中で呟きを漏らした。
「テミス? テミス……!」
「ふふ……」
「ちょっと! テミスったら!!」
だが、そんな穏やかな空想も、無粋な怒鳴り声によって霧散し、肩を掴んだ手が無情にも意識を現実へと引き戻す。
「さっきから貴女、ただぼんやりと歩きながら空を眺めているだけじゃない!! わかっているのよッ!?」
続けられた怒声に、テミスが嫌々ながらも明後日の方向へと彷徨わせていた視線を前へと向けると、そこでは怒りに頬を紅潮させたフリーディアが、力強く睨みを利かせていた。
「良いじゃないか。この通り、町は平和そのもの。天気も良い散歩日和と来ている。こんな陽気の日に外へ出ているというのに、そんな風に目をぎらつかせているだけでは勿体無いぞ?」
「っ~~~!!! 貴女はッ……ねぇッッ!! 今の状況がわかってそんな事を言っているのかしらッ!? それともッ!! まぁた私を揶揄って遊んでいるのッ!!?」
「馬鹿な。お前なんか揶揄った所で怒鳴られるだけじゃないか……こんな風に。それに、今の状況だってきちんと理解している。だからそんなにやいのやいのと騒ぐな。……っと、串焼きか。ちょうど良い二つくれ」
「あいよッ!! 嬢ちゃん、まいどあり!」
「クス……」
テミスはフリーディアの小言を受け流しながらするりと脇を通り抜けると、近くに出ていた露店の店主へと声を掛け、良い香りを漂わせていた串焼きを手早く購入する。
店主の反応を見るに、どうやら彼はこの町の人間ではないらしい。しかし、馬車を改造したとみられる露店の幌の下には、きっちりとこの町での営業を許可する旨の許可証が掲げられており、この店が真っ当な営業をしていることを証明していた。
「待ちなさいよ!! だいたい、任務の最中だっていうのに貴女は気を――ムグッ!?」
「もうすぐ昼頃だ、腹が減って気が立つのは理解できるが、そうがなり立てるな。こういう事は気長に気楽にのんびりとこなすのがコツなんだ」
そんなテミスの背を追ってきたフリーディアが、再び気炎を上げようとした刹那、雷光の如き速さで閃いたテミスの手が、つい今しがた買い込んだ串焼きを一本、フリーディアの口へと押し込んで強制的に言葉を止める。
その隙に、テミスは肩を竦めながらニンマリと得意気な笑みを浮かべると、まるで後輩にアドバイスでもするかの如く言葉を紡いだ。
かつては、いつの日かこんな事を言ってみたいものだ……。などと、常々思っていたのだけれど、まさか世界を超えてから願望をかなえる事ができるとは思わなかった。
だが……待てよ……? そもそも私は何故、こんな子供じみた願望を持ち続けていたんだ……?
「――ッ!!!?」
「んん……?」
胸の中に去来する懐かしさと共にテミスは僅かに首を傾げると、次々と想起されるかつての記憶を掘り起こしていく。
あぁ……そうだ。確かあの時……。
「うげっ……。あぁ~……そう言えば……そうだったか……」
まだまだ新米だった俺は、教育係だった奴から同じセリフを言われたんだったか……。尤も、あの時は串焼きなんて贅沢な物じゃなくて、安物のアンパンだったが。
今は地下監房で簀巻きになっているこの言葉を私に贈った当の本人も、まさかこのような形で当時の情景が再現されているなどとは思いもしていないだろう。
「ハァ……厭な事を思い出した。思い出など、そうほじくり返すものではないな……」
テミスは眉を顰めてそう嘯くと、フリーディアの口を塞ぐために使った残りの串焼きを一つ口に運んでから、静かになったフリーディアへと横目で視線を送った。
先程は冗談交じりで腹が減って苛ついているなどと言ったが、まさか本当に腹が減って八つ当たりをしていただけなのか……?
「ククッ……まさかな……」
「…………。っ……」
「おい……フリーディア? 黙っていないでなんか言ったらどう――っておい!!」
テミスは、自らの心の内だけで叩いた軽口にボソリと自答すると、小さく笑みを零しながらフリーディアの方へと身体を向けた。
だが、それでも尚フリーディアから返事が返ってくる事は無く、遂には先程口の中へと突っ込んでやった串焼きまで、ポロリと落っこちて来るではないか。
「お前……幾ら私のくれてやった串焼きが気に入らないからってこんな……。……どうした? 死人でも見たのかってくらい顔色が真っ青だぞ?」
しかし、フリーディアが口から落とした串焼きが地面へと着いてしまう前に、テミスは目にも留まらぬ素早さを以て串焼きをキャッチすると、そのまま非難を込めた視線をフリーディアへ向けながら口を開く。
けれど、テミスが再び視界へと納めたフリーディアの顔からは、何故か一目見てわかる程に血の気が引いていた。
「ッ……!! ね……ねぇ……。テミス……? あ……あれ……」
そんなテミスの声に反応したかのように、それまで凍り付いてしまったかのように微動だにしなかったフリーディアは、突如テミスの腕を取ると、ガタガタと恐怖で声を震わせながら、多くの人が行き交う通りの向こう側で店を構えている花屋の店先を指し示す。
「なっ……!!!!? っ……」
その震える指が指し示す方向へと、テミスが視線を向けた刹那。
テミスが手に携えていた二本の串焼きが零れ落ち、音も無く地面の上へと転がった。
だが、テミスは串焼きを取り落としてしまった事など気付く素振りも無く、愕然とした表情でフリーディアの指差した方向へと視線を向けていた。
そこでは……。
つい先日その骸を確認したはずの冒険者・アレックスが、穏やかな笑顔を浮かべて一束の花束を受け取っていたのだった。




