1420話 縺れる糸を解き解して
時刻は昼過ぎ。
黒銀騎団の執務室は、酷く陰鬱な雰囲気に包まれていた。
その理由は、この場を一目見た者であれば即座に察する事ができるだろう。何故なら、自らの席に深く腰を掛けたテミスの前には、姿勢を正して微動だにする事なく硬直しているサキュドが居るのだから。
無論、傍らにはもう一人の副官であるマグヌスと、側付きであるフリーディアが、神妙な面持ちを浮かべて控えている。
「さて……まずは理由から聞こうか」
「ひぐっ……!! は……はいぃ……」
テミスの静かな声が静まり返った執務室の中に響くと、サキュドはビクリと身を震わせて恐る恐るといった様子で口を開いた。
彼女の犯した失態。それは、数時間前に起きた出来事だった。
廊下の惨状を確認したテミスはやむなくフリーディアを起こし、彼女から借りた上着を羽織ると、着替えを求めてまずは執務室へと赴いた。
だが、テミス達が執務室の扉を開いた瞬間。
そこには槍を構えたサキュドが身を潜めており、あろう事かテミス達へと向けて攻撃を仕掛けたのだ。
無論。一日に二度不意を突かれるテミスではなく、放たれた紅槍を躱して声を上げるもサキュドが槍を退く事は無く、フリーディアとの二人がかりで取り押さえる羽目になった。
無力化したサキュドはすぐに落ち着いたため、ひとまず問題は脇に置いておいて、戦闘によって荒れた執務室と血塗れの廊下を片付けを終え、こうして事情を聴いているのだが。
「あの……本ッ……当に申し訳ございませんッ!! よもや!! 本物のテミス様が明け方頃に……しかも上に上着を羽織っただけのお姿で現れるなんて、とても予想だにしておらずッ……!!」
「……。だから、攻撃を仕掛けたと?」
「っ……!! はいッ……!! 夜半には妙な物音も聞こえましたし、次なる手勢の者が来たのかと……!!」
「む……? 待て。次なる手勢だと? 我々が執務室へと訪れる前に、何者かが侵入したというのか……?」
「はいッ!! ソイツを撃退したばかりでして、昂っていたのもありまして……。いえッ!! 大変申し訳ありませんッ!!」
感情の籠らない声で、テミスが淡々と質問を重ねる度に、サキュドは肩を縮こまらせながら答えると共に、今にも泣きだしそうな表情で頭を下げて何度も謝罪を口にした。
しかし、当のテミスとしては刃を向けられた事など既にどうでもよく、それよりも侵入者を撃退したなどという重大な情報を、今まで報告せずに居た事の方が余程叱りつけてやりたい気分だった。
けれど、今の状態のサキュドを感情のままに叱りつけてはこの後に影響が出かねない。
そう判断したテミスは、湧きだしてくる怒りを腹の奥へ深く飲み込むと、努めて穏やかな表情を浮かべて言葉を続けた。
「良い。そんな事よりも、侵入者があったなどとは聞いていなかったが?」
「えっ……? は、はい! 既に撃退……というか始末しておりましたから、諸々が済んでからのご報告の方がよろしいかと……思いまして……」
だが、サキュドはビクビクと怯えた態度を崩さぬまま、絞り出すような口調で途切れ途切れに言葉を紡ぐと、まるで処断を待つ罪人のように顔を伏せた。
「ふむ……」
一方で、テミスはサキュドの述べた理由を聞いて小さく息を吐くと、出そろった情報を胸の内でまとめていた。
つまり、サキュドが私達を襲ったのは、少し前に侵入者があったからという理由があり、加えてその侵入者は、既に倒しているため優先して報告すべき事では無いと判断したという訳だ。
……確かに、間違ってはいない。
似たような時刻に私が襲撃を受けているという点を考えれば、侵入者の情報は迅速に報告すべき案件ではあるが、そんな事を露ほども知らぬサキュドが、既に解決した事柄の報告の優先度を下げるのは当然と言えるだろう。
ましてや、執務室の廊下が血塗れになっているなどという、早急に対処すべき問題が眼前で起きていては、サキュドの下した判断は正しいものだと言える。
「解った。この一件について、サキュドに責は無い。私やフリーディアに刃を向けたことについても不問にする」
「ッ……!!」
「テミス……」
「あッ……ありがとうございますッ!!」
粛々と判断を下したテミスが結論を口にすると、傍らで様子を見守っていた二人が安堵の息を漏らす。
同時に、眼前に直立していたサキュドは腰が折れんばかりの速度で首を垂れ、力の籠った言葉で礼を述べた。
「あぁ……。だが、本題はここからだ。昨夜、私の方も何者かの襲撃を受けてな。奇怪な事にその犯人がフリーディアの姿をしていたのだ」
「…………」
「なっ……!?」
「ッ……!!!! まさかッ……!!!」
そんなサキュド達に、テミスは薄い笑みを浮かべて頷きを返した後。机の上に両肘を置いたまま口元を隠すように両手を組み、一際真面目な声色で本題へと入る。
すると、途端にサキュドはマグヌスと同時に鋭く息を呑むと、弾かれたように頭をあげてテミスの顔を凝視した。
「フフ……どうやら、心当たりがありそうだな。よし、一度互いに何があったのかを詳細を出し合ってまとめるとしよう」
比較的平和であるはずのこの町で、同じ時間帯に起きた事件が無関係であるはずがない。
テミスはサキュドの浮かべた表情から、自らの直感が正しかったことを確信すると、不敵な笑みを浮かべながら席を立ち、ゆっくりとした足取りで部屋の中央に鎮座する作戦卓の元へ歩み寄ったのだった。




