1413話 共に歩む血道
戦いは終わった。
しかし、勝者の眼前に敗者の骸は無く、まるで最初から剣を交えている相手など居なかったかのように、遠くから賑やかなざわめきが響いてくる平穏な空気が漂っている。
「…………」
そんな空気の只中で、フリーディアはしばらくの間、抜き放った剣を携えたまま、自失したかのように佇んでいると、ふいに刃を持ち上げて剣の刀身へと視線を落とした。
そこには、血の跡どころか曇り一つ無い刀身が己が主を見上げており、鏡のように磨き上げられた刀身の中からは、反射したフリーディアが困惑しきった表情で己を見返している。
だが、人を斬り、肉を裂いた跡こそ残っていないものの、フリーディアの携えた剣の刃は所々僅かに零れており、先程の戦闘が現実のものであったと声高に物語っていた。
「夢じゃ……ないわよね……。前にテミスから、魔王軍には死体や魂を操ることの出来る魔術師が居るって聞いたことがあるけれど……」
でもあれは、私を以て間違いないと断言できる程に自分自身だった。
フリーディアはじっくりと自らの剣を眺めながら思考に耽った後、静かに首を振ってからキン……と軽い音を奏でて剣を腰へと納める。
その時……。
「っ……コホ……ゲホッ……」
「ッ……!!! テミスッ!!」
遠くからくぐもった咳き込む声が耳に届くと、フリーディアはビクリと跳び上がらんばかりに肩を跳ねさせて我に返って戦友の名を叫んだ。
そうだ。今はこんな事を考えている場合じゃないッ! 早くテミスをイルンジュ先生の所へ連れて行かなくちゃッ!!
我に返ると共に、一気に胸の中を満たす焦燥に身を任せて、フリーディアは全力でぐったりと石畳の上に座り込んでいるテミスの元へと踵を返した。
「テミスッ……!! 貴女……どうして横にならないのッ!?」
「ゴフッ……。クク……てっきり、忘れられたものだと……思っていたぞ……」
「っ……!! 馬鹿言わないで!! 今すぐに人を呼んでくるから早く横に……いいえ、ここからなら直接連れて行った方が早いかしらッ……?」
「慌て……るな。横になると血がせり上げってきてな……苦しいんだ……。コホッ! それよりも……肩を……貸してくれるか……?」
「解ったわ。ほら……腕を貸して……あぁっ……! こっちは怪我してるじゃない。反対のっ! よし……いい? 立つわよ? 私にもっと体を預けて……」
フリーディアは、皮肉気な笑みを浮かべて迎えるテミスの元へ辿り着いた当初こそ、酷く焦った様子で右往左往していたが、テミスがしゃがれた声で助力を求めると、即座に頷いて手際よく動き始める。
そうして、テミスはほとんどフリーディアに抱えられるような格好でズルリと立ち上がると、足元にボタボタと血を垂らしながらゆっくりと歩き出す。
無論。テミスを導くフリーディアが迷いの無い足取りで目指す先は、この町一番の名医であるイルンジュがいる病院で。
一歩、また一歩と着実に歩を刻む傍らで、行き先を察したテミスは静かに目を細めると、苦し気な吐息と共に口を開いた。
「フリ……ディア……。違う……詰め所だ……黒銀騎団の……詰め所ッ……!!! ガハッ……!!!」
だが、途切れ途切れの言葉を紡ぎ切る前に、テミスは胸の奥から込み上げてきた耐え難い感覚に身体を震わせると、激しく咳き込んで血の塊を吐き戻す。
確かに、イルンジュの所へ行けばこれくらいの傷なら問題無く治す事ができるだろう。
しかし、あの人命が第一なイルンジュに捕まってしまえば、最低でも一週間は入院を余儀なくされてしまう。
フリーディアの姿に化ける敵が現れた今、そんなに悠長に傷を治している余裕は無いし、偽物が死体すら残らない術の類であるなら、放たれた刺客がフリーディア一人だとは考え難いし。
そんな時に、丸腰で病院などに放り込まれてしまえば、例えばマグヌスやサキュドのような近しい連中の偽物が襲ってきた時にまた厳しい戦いを強いられる羽目になる。
加えて、これ程までに手の込んだ攻め手で来る相手だ、十中八九狙いはこの町か、それとも……。兎も角、私の命だけであるとは考え難い。
ならば、多少の道理を押し込め、少々の無茶を通したとしても即座に対策を練らねばならない。
「馬鹿を言わないでッ!! 貴女、自分がどれだけ深手を負っているかわかっているの!? 気持ちはわかるけれど、今はその傷を治す事が優先よッ!!!」
「っ……!」
けれど、博愛精神に溢れたフリーディアが病院へ行かないなどという暴挙を認めるはずも無く、怒声と共にテミスを引き摺るようにして歩みを速めた。
だが、テミスは傷付いた身体に残された力を総動員して脚に力を籠めると、全力で足を止めてフリーディアの歩みに抗う。
それでも、フリーディアの支えがなくては立つ事さえままならない身体は、先を急ぐフリーディアに引かれて易々と傾いだ。
しかし、テミスが抗う意思は確かに伝わったらしく、フリーディアは驚きの表情を浮かべて足を止め、テミスへと視線を向ける。
「ッ……!!!! 頼むッ……!!! フリーディア……!!!」
「っ……!!! っ~~~~!!! そこまで言うからには何か……何か考えがあるのよね……? わかったわよッ!! その代わり……死んだら許さないからねッ!!」
そんなフリーディアと視線を合わせ、テミスが力の籠った言葉でそう訴えると、フリーディアは百面相をしながら数秒間悩み抜いた後、覚悟を決めたかのように頷き、テミスの身体を抱えて詰め所への道を歩み始めたのだった。




