1406話 紅の追跡者
薄闇の中をいくつもの紅の光が線を描き、逃げ惑う獲物を追い詰めていく。
放たれた光は壁や床に突き立つと、小さな投槍の姿を模った後、小さな傷跡を残して溶けるかのように虚空へと霧散していった。
そんな紅の咢が狙う先には、長く美しい銀髪を振り乱しながら駆ける一人の女。
背格好や顔立ちはこの建物に詰める黒銀騎団が長、テミスと瓜二つであるものの、今やその顔は恐怖と焦りに満たされている。
「くふふふっ……! どぉしたんですかぁッ……!? テミス様ぁッ!! 先程からお逃げになっているばかりではないですかッ!!」
「あぐッ……!!? くぅッ……!! く……来るなッ!!!」
執務室で始まったこの戦闘は場所を変え、長く伸びる廊下の先、ちょうど上階と階下を結ぶ階段が設えられているホールまで及ぶと、サキュドの放った小さな投槍が一つ、逃げ惑うテミスと瓜二つの少女の肩口を捉えた。
しかし、傷を負って尚テミスと瓜二つの少女は苦悶の声を漏らして足元をよろめかせただけで戦いに応ずる素振りは無く、ただ恐怖に染まった叫び声をあげるばかりだった。
「ふぅむ……」
上と下へそれぞれ向かう階段を背に、テミスと瓜二つの少女は追跡するサキュドと向かい合ったままじりじりと後ずさっていく。
だが一方で、相対するサキュドは何かを思案するかのように喉を鳴らしながら、その手に携えた紅槍をクルリ、クルリと回して弄んでいる。
「ここまで追い込んでも反撃は無し……か……」
狂ったような笑みを浮かべたまま呟きを漏らしながらも、その実サキュドの思考は氷のように冷静だった。
戦いを愉しむ余裕などあるはずも無い。偽物であると確信してはいるものの、相手の姿形はあのテミスとまるで同じなのだ。
だとするならば、その強ささえも同一である可能性は捨て切れないし、普段のテミスの強かさを間近で見続けてきたサキュドとしては、こうして反撃の素振りすら見せず、ただ無様に逃げ回っているその姿は、何かしらの策を練っているようにしか見えなかった。
故に。一定以上に距離を取り、たとえ突然反撃に転じたあの少女が月光斬を放ってきたとしても、十全に対処する事ができるように投槍を以て追跡してきたのだ。
「……試してみるか」
じわり、じわりと階下へ向かう階段の方へと移動していく、テミスと瓜二つの少女を眺めながら、サキュドは決心と共に弄んでいた紅槍を握り直した。
いずれにしても、このまま追い回しているだけでは埒が明かないし、あの尋常ではない怯え方がこちらを罠に嵌める為の演技であったならば、大したものだと言えるだろう。
だったら、ここは賭けに出る。
もしも、今こうして逃げ回っているのが演技だったならば、確実に手痛い反撃を喰らう羽目になるだろう。
けれど、いつまでもこんな鬼ごっこを続けていては、隙を突かれて逃げられてしまう危険性は十分にある。
「くふっ……ウフフ……。ねぇ、もう諦めて投降なさいな。正直に言うと、手加減するのも面倒なのよね。気付いているかしら? さっきからずっと、アタシがアンタに当たらないように、アンタが避けられるように攻撃しているの」
「っ……!!! ハッ……ハッ……ハッ……ッ!!」
ゆらり。ゆらり。と。
サキュドは不規則に宙を漂いながら、紅槍をクルクルと手の中で回すと、少しづつその形状を変化させていく。
一方で、テミスと瓜二つの少女はサキュドに言葉を返す事無く、浅い呼吸を繰り返しながら僅かづつだが階下へと歩を進める。
その間にも、サキュドの紅槍は敵を穿つ為の鋭い突撃槍のような形状から、先が二股に分かれた銛のような形へと変形を終えた。
同時に、サキュドは自らの狙いを悟らせぬように、クスクスと高笑いを奏でながら慎重に言葉を重ねる。
そして。
「……そんなに涙を溜めた目で睨み付けられてもねぇ。まぁ、本当にテミス様を追い詰めているみたいでゾクゾクはするけれ……どッ!!!」
「ッ――!!!? あうッ……が……っぁ……!!!」
半ば本心を混ぜた口上と共に、サキュドは眼下で身構えるテミスと瓜二つの少女へ向けて、変形させた紅槍を鋭く投げ放った。
サキュドの手を離れた紅槍は一筋の紅い閃光と化して薄闇の中を駆け抜け、テミスと瓜二つな少女の身体を二股に分かれた穂先の間に捕らえると、放たれた勢いのまま少女を壁へと叩き付けて縫い留めた。
「つ・か・ま・え・たァ……っ!!」
「ッ……!!! や……やめ……ろッ……!!」
「おっと。この期に及んでまだ抵抗するなんて……イケナイ手ね? さぁて……色々と聞かせて貰おうかしら?」
「ひッ……!!! ッ……!!!!」
サキュドは紅に輝く瞳で、テミスと瓜二つの少女を確実に捕えた事を確かめてから、唇を空に浮かぶ三日月の如く吊り上げて、ゆっくりと近付いていく。
そんなサキュドに、テミスと瓜二つの少女はこれ以上の遁走は不可能だと悟ったのか、恐怖に染まった表情で拳を振りかざし、眼前へと迫るサキュドの顔面へと叩き込んだ。
だが。パシリ……と。
必死の抵抗も虚しく、振り下ろされた拳はいとも容易くサキュドに掴み取られて捻り上げるようにして壁に押し付けられると、そのまま新たに生み出された少し小ぶりな紅槍によって拘束される。
そして、まるで獲物を見定めるかのような残忍な笑みを浮かべて問いかけたサキュドに、テミスと瓜二つの少女は今にも泣きだしてしまいそうな怯え切った表情を浮かべて、短い悲鳴を漏らしたのだった。




