1405話 薄闇の邂逅
同時刻。
ファント・黒銀騎団詰め所。
コッ……コッ……コッ……。と。
軍靴の固い靴底が床を打つ硬質な音が、明りの落とされた廊下に響く。
頼れる光といえば、窓から差し込んでくる僅かな月明りのみで。
しかし、足音の主である女の特徴的な長い銀髪は、淡い月光を受けてキラキラと輝き、まるでスポットライトで照らし出されているかのような存在感を放っていた。
「…………。フム……」
人気のない廊下をしばらく進んだ後、女は一つの扉の前で立ち止まると、何かを思案するかのように宙を仰いで息を吐く。
その扉には、執務室と文字の掘られたシンプルながらも豪奢さを感じさせるプレートが取りつけられており、この部屋が黒銀騎団の心臓部とも言うべき場所であることを示している。
しかし、女は一切の躊躇なく扉へと手を伸ばすと、カチャリと軽い音と共に執務室の中へと姿を消した。
「…………」
瞬間。
女の鼻腔を突いたのは、喫茶店もかくやという程に濃密な芳ばしいコーヒーの香りで。
そんな、到底書類仕事に励むための部屋とは思えない、たおやかな香りに女は微笑みを零すと、胸いっぱいに部屋の空気を吸い込んでから部屋の中を見渡した。
そして、部屋の片隅に設えられている、書類の詰まった棚で視線をピタリ止め、再び硬質な足音を奏でながらゆっくりとした歩調で書類棚へと歩み寄る。
「……やれやれ。これだけ量があると流石に面倒だな」
女はぎっしりと書類の詰まった棚から一束の書類を取り出すと、部屋の明かりすら付けずにペラペラと中身を改めていく。
だが、一番初めに手に取った書類はどうやら目当てのものでは無かったらしく、即座にバサリと投げ棄てると、肩を竦めてひとりごちりながら次の書類へと手を伸ばした。
「ン……?」
カサリ……バサリ……。と。
女が書類を物色する音がしばらく続き、月明りに照らし出された女の肩が僅かにピクリと跳ねた時だった。
「――ッ!!!?」
「あれ……? テミス様……? どうしたんです? 確か今日は、獣王の館に出向かれている筈では?」
微かに扉が軋む音と共に、隣の部屋から光が薄暗い執務室へと差し込んできた直後。
カチリという軽い音と共に執務室の明かりが灯され、不思議そうな声が女の背へと投げかけられる。
刹那。
跳び上がらんばかりに身体を硬直させた女が凄まじい勢いで身を翻すと、その眼前ではサキュドが小首を傾げて女へと視線を向けていた。
「っ……!! あ……あぁ……。私としたことが、少し忘れ物をしてな。取りに戻って来たんだ」
「ふぅん……珍しいですわね。……って、それにしても散らかし過ぎではありませんか? 明日片付けるマグヌスの身にもなってくださいな」
そんなサキュドに女が歯切れ悪く言葉を返すと、サキュドは喉を鳴らしてボソリと呟いた後、気だるげな口調で言葉を重ねながら、床に投げ出された書類を拾い上げる。
「それはすまない。だが、急いでいたんだ」
「ま……片付けるのはアタシじゃないですし、どうでも良いんですけどね。ところで、何をお忘れになったので? 探し物でしたらば、不本意ながらアタシもお手伝いさせていただきますが」
「いや、大丈夫だ。ちょうど今見付けた所さ。では、私は急ぐのでな。悪いが後を頼む」
小さな溜息と共に、サキュドは拾い上げた書類を作戦卓の上へと放り投げると、のんびりとした口調で女へと語り掛けながら、ゆっくりと部屋を回り込むようにして出入口の方向へと足を向ける。
だが。サキュドが執務室の戸口の前へと辿り着くよりも前に、女は素早く戸口まで踵を返すと、言葉と共に扉へと手を伸ばした。
「――テミス様ッ!! 少々……お待ちくださいな」
「っ……? 何だ? 用があるのならば早くしてくれ。私は早く戻らねば……」
「えぇ……勿論。お時間はそう取らせませんわ?」
しかし、扉へと伸ばされた手がノブを掴む直前。
鋭く発せられたサキュドの声がテミスの名を呼ぶと、女はピタリと予備らへと伸ばした手を止め、怪訝そうな表情を浮かべて肩越しにサキュドを振り返った。
そんな女に、サキュドはまるで獲物を狙う猛禽のような慎重な足取りで歩み寄りながら言葉を紡ぐと、女の姿を改めるかのようにじっくりと視線を女の頭の先から足先まで走らせる。
そして……。
「長く艶やかな白銀の髪。白磁を思わせる綺麗な肌。凛々しく整った顔立ちは美しく、我が槍の如く紅く輝く瞳。なるほど? 確かにこうして見てみても、テミス様とまるで変わらないと言っていいほどにそっくりですわね?」
サキュドは女の足元まで歩み寄ると、音も無くふわりと宙に浮きあがり、淡々とした言葉とを並べながら、下から覗き込むようにして獰猛な笑みを浮かべた。
「っ……!! な……何を言――」
「――お黙りなさいな。偽物。幾ら姿形を似せようとも、アタシの目は欺けないッ!!」
「くッ……!!!」
その言葉に、女はたじろいだ表情を浮かべながらも弁明するかの如く口を開くが、サキュドは皆まで聞くまでも無くピシャリと叩き付けるように言葉を放つ。
すると、テミスそっくりの姿をした女はサキュドを欺くのを諦めたのか、身体ごと出入り口の扉に飛び込むようにして戸を開くと、薄嫌い廊下を脱兎の如く駆け出した。
「アハッ……!! 逃がす訳……無いでしょう?」
そんな女の背に、サキュドは蕩けた蝋燭のようにニンマリと歪んだ笑みを浮かべると、空中に翳した手に紅槍を現出させて、狂笑と共に逃げ出した女を猛然と追いかけたのだった。




