1404話 再起の灯
――お兄様からの一通の報せ。あの瞬間から、私の時は止まってしまった。
お父様とお母様と、そしてお兄様と……。かつてまだ私が幼かった頃は、国は貧しくて苦しかったけれど、皆で楽しく笑い合っていた。
もう一度あの頃に戻りたい。
お父様によくやったって褒めて貰って。お母様に凄いわって頭を撫でて貰って。お兄様に、頑張ったねって労って貰って……。
その為だけに頑張ってた。
知らない人たちを率いて遠く離れた所へ行っても、辛くて苦しい任務ばかりでも。
いつかきっと……この任務が終われば。次の任務が終われば、またみんなで笑い合えると信じて。
けれど……その時はもう永遠に来ない。
そして、お兄様を唆したあの悪魔を殺すことの出来ない……お父様とお母様の仇を打つ事すら出来ない私なんて……。
「…………」
そんな考えばかりが、頭の中をずっとぐるぐると渦巻いている。
私は何で生きているのだろう。生きている価値なんて無いのに。皆が褒めてくれた自慢の剣技。
けれど、私が唯一誇れる剣技すら悪魔には軽くあしらわれて。
私には何も無い。
希望も。願望も。復讐も。
もう、何もかもが無くなってしまった。
だからこそ。私はこの寂しくもどこか心地の良い薄闇の中で、ただひたすらに揺蕩い続ける。
そう……決めたはずなのに……。
「技を……盗む……?」
気が付けば、ボソリと。口が勝手に喋り出し、心地の良かった薄闇が急速に薄れていく。
霧がかっているかのように濁っていた視界は精彩を取り戻し、微睡みの中に居るかのようにぼんやりと霞んでいた意識が輪郭を取り戻す。
その瞬間。
私は見慣れない大広間のような場所で宴席に参加しており、服装もいつもの戦衣ではなく、ヒラヒラで艶やかなドレスを身に着けていた。
けれど不思議と違和感は無い。
私がぼんやりとしている間にも、私の身体は律儀にその役目を果たしていたらしく、ここが何処で、今まで何をしていたのかは正しく思い出せた。
「……教えて頂けるのですか?」
だが、今はそんな事はどうでも良かった。
ヤヤは自らの心が赴くままに身を乗り出すと、眼前で驚いたかのように目を丸く見開いている仇敵の女へと言葉を重ねる。
私の中の折れた刀。
他でもない、この女自身の手によって折り砕かれた刀が嘶きを上げていた。
このままでは終われないと。たとえ全てを打ち砕かれ地に伏したとしても、憧れ続けた未だ辿り付けぬ先が在るのだと。
「夜々……ッ!!」
突然口を開いたヤヤの隣では、ヤタロウが驚きと歓喜が綯い交ぜになった表情を浮かべていた。
なんだかんだといっても、彼にとってはこの世で唯一無二の妹だ。あんな抜け殻のような状態では、心配で仕方が無かったのだろう。
だからこそ。ヤヤが今こうして瞳に生気を宿し、真っ直ぐにテミスへと視線を向けている事が何よりも喜ばしい筈だ。
「テミスッ!! どうか僕からも頼むよ。こう見えてヤヤは剣術が得意でね。きっと、君にとってもいい刺激になる筈さ。ほんの少しでも構わない。だからッ!!」
「フッ……」
ヤタロウは、胸の内から湧き上がる好機を抑えきれないかの如く早口でそうまくし立てると、瞳を輝かせてテミスへと視線を向ける。
その姿には、普段の彼から伺える理知的で底の知れない穏やかさは無く、ただひたすらに妹が可愛いだけの馬鹿兄だった。
ならば、テミスが選ぶべき答えは当然一つしかなく、故に唇を皮肉気に釣り上げて笑みを作ると、テミスは悠然とした態度で口を開いた。
「馬鹿を言うな。お断りだ。どこの世界に、自分を殺すと公言し、挑む事を許した相手を鍛える間抜けが居るか」
「ぁ……そ……そう……です……よね……ごめんなさい……私……」
そんな突き放すようなテミスの言葉に、ヤヤはビクリと肩を跳ねさせると、再び視線を落して俯き、ボソボソとした声で謝罪を口にする。
しかし。
「私は盗めと言ったのだ。チッ……。あぁ……実に忌々しい事だが、私の月光斬をあれ程まで凌いで見せたのはお前が初めてだ。認めよう。お前は強いッ!!」
「っ……!!!」
瞬間。
再び霞みかけていたヤヤの視界の靄が一気に晴れ、ゾクゾクとした歓喜がその背を駆け抜けていく。
同時に、ヤヤは沸き立つような歓喜にぶるりと身を震わせると、ガタリと音を立てて席を立ち、左手を握っておもむろにテミスへ向けて突き出した。
「お褒めに預けり恐悦至極に存じます。故に、誓いをここに。私夜々は、絶える事無き研鑽を積み重ね、いつの日にか必ず貴女の命を貰い受けます。然らばその時まで、私を破りし貴女に仕えさせて頂きたくッ……!!」
「夜々……」
「なっ……はぁっ……!!?」
そして続けられた言葉は、テミスにとって酷く物騒な誓いの言葉で。
想像だにしていなかったヤヤの言葉に、テミスは驚きに目を見開いて困惑の声を上げる。
しかし。
「あら……ふふっ……。これで鍛練にもやりがいが出るわね? 良かったじゃないテミス」
「そうか……やや、君がそこまで言うのならば……。よし、今この場でヤヤ、君をファントとの親善友好員に任命しよう。この地に留まり、我がギルファーとファントとの交友の懸け橋となるんだ」
「フリーディア……それにヤタロウまで……。ハァ……解ったよ。降参だ。もう好きにしろ……」
クスリと笑みを浮かべたフリーディアを皮切りに、ヤタロウが何度も深く頷きながら言葉を続けると、即座に外堀を埋められたテミスは深い溜息と共に諦観を込めてそう告げたのだった。




