1401話 紙の上の戦場
サーベルファングの狩りから戻って十日ほど。
死に体の冒険者たちを連れて帰ったせいで少しばかり騒ぎにはなったものの、すぐに平穏な日常が戻って来た。
あの日も、そしてあの日以降も、結局クルヤ達が何かを仕掛けてくるなどという事は無く、今日も緩やかな日常が流れている。
尤も、フリーディアの奴が何かと、他者を信じる事についての大切さを説くようになったせいで更に喧しくなったり、ヤタロウが狩ったサーベルファングについて、またギルドとひと悶着があったのだが。
「ま……こんなものか」
執務室の自らの席に着いたテミスは、自らの前に置かれた書類にさらさらとペンを走らせると、呟きと共に傍らへと積み上げられた書類の一番上へと置く。
中身は町を守る衛兵達からの報告書で、特段異常があったというようなものではなく、目を通しておけばよいという程度のものだ。
尤も、近頃はこのような書類の処理は全てマグヌスとサキュドがやってしまうので、そもそもテミスがこの手の書類に目を通すのは、副官達が執務に慣れる前の僅かな期間以来なのだが。
「テミス? 商会から嘆願書が来てるわよ? 出店権の価格が高すぎるから値下げをしてくれないか……って」
「却下だ。なんなら、毎度毎度、寝言に似た虚言で我々の手を煩わせるなと一筆添えて返してやれ」
「えぇっ……!? でもッ……!! テミスも一度くらい中身に目を通した方が良いと思うわ? 陳情を見る限り、すごく大変そうよ?」
「ハッ……こう言った事はお前の得意分野だと思っていたのだがな? ……良いか? 商人連中というのは特に支出を嫌う。人件費に出店費、仕入れに設備費用。日々数字と戦っている奴等は、儲けを出すためとあらば際限なく支出を抑えたがる生き物なんだ」
机を並べるフリーディアが声を上げると、テミスはおもむろに自らの席から立ち上がり、マグヌス達の机の傍らに置いてあった書類の束を手に取った。
そして、まるで教師が生徒に問題を解説するかのように、テミスはつらつらと言葉を並べながらフリーディアの席へと足を向けると、バサリと書類の束を置いて言葉を続ける。
「人件費を削るために働き手を減らせば売り上げが落ちる。仕入れ値を下げれば品数や品質が落ち、設備費用を削れば店はみすぼらしくなり客が減る。基本的には、コストと利益は等価交換なのだが……」
「……出店費だけは別。という事ね。別に削った所で彼等が今得ているものが減る訳でも無いし、むしろ削った分だけお金が浮いて楽になるわ」
「出店費は町の治安を守る衛兵たちや軍の連中に渡す給金にもなっている訳だから、直接的に目に見える損失は無いものの、巡り巡ってそのツケは奴等自身が負う事になるのだがな」
「でも、今日が越せなければ明日や明後日が幸せでも意味が無いわ? だからこそ、こうしてわざわざ嘆願書を書いてまでいるのだろうし……」
ここまで解説して尚、フリーディアは嘆願書に綴られた救いを求める声を振り払う事ができずに居るのか、口ごもりながらもテミスへと反論した。
確かに、その嘆願書の内容だけを見れば、今日を生きる事すら苦しく、糊口をしのいでいるように見えるだろう。
だが……。
「ククッ……それがそうでもない。見ろ。この書類は、ひと月ごとにこの町の商店に提出させている収支報告書だ」
「ん……支出と売上……? あぁ……これを見れば、どこの店がだいたい幾らくらい稼いだのかがわかるのね」
「だいたい。ではなく正確に。だがな。ここで虚偽の報告をすれば、今後ファントで店を開く事はできない。まぁ……多額の罰金を支払えば取り潰しは免除されるが、近頃はそういった店が出たという報告は聞かんな」
「へぇ……しっかりしているわね……。って、えぇっ!? この嘆願書を出してきているお店、ものすごく稼いでいるじゃない!? なのにこんな生活が苦しいだなんて嘘を書くなんて……ッ!?」
「ハハッ……!!」
フリーディアは、テミスの話を聞きながら自らの机の上に置かれた書類をぱらぱらとめくると、嘆願書を出してきた店のページを見付けたらしく手を止めた。
その直後。フリーディアは驚きの声を上げて立ち上がると、何度も視線を書類と嘆願書の間を往復させながら、みるみるうちに顔を怒りで紅潮させていく。
だが、そんなフリーディアを見たテミスは堪えかねたかのように噴き出すと、笑いながら怒りの視線を向ける矛先を変えたフリーディアへ向けて口を開く。
「嘘は吐いていないさ。今の生活を続けるのが苦しいんだろうよ。毎日食卓に肉を並べ、夜には酒を飲みに繰り出していれば出費は嵩むさ」
「なっ……!? そんな屁理屈通る訳ないじゃない! 許せないわッ!! 自分だけズルして得をしようだなんて……!!」
「相手の言葉を鵜呑みにして、その場の感情だけで物事を判断しようとするからそうなるんだ。やれやれ……マグヌス達に休暇をやったからと任せてはみたが、まだお前にこの手の処理は厳しそうだな」
怒りに肩を震わせるフリーディアへ、テミスは溜息まじりに評価を下すと、肩を竦めながら彼女の机の上から書類の束を取り上げ、自らの席へと踵を返したのだった。




