1393話 一触触発
――こいつ等は敵だ。
キン……キン……と。灼熱した鉄のような音を立てて沸騰する感情の中。テミスは音を立てて凍て付くような冷え切った思考でそう判断した。
何が原因なのかはわからない。
あの宿屋での一件がよほど腹に据えかねていたのか、他に何か良からぬことを企んでいるのか。それとも、何処ぞの手の者が放った刺客であるのか。
だが、そんな事はどうでもいい。
敵である。その一点さえ理解できればあとは何も必要ない。
テミスは胸の内でそう独りごちると、切れ長な目を更に細めて、間近に相対したイメルダを睨み付ける。
「今……何と言った……?」
「雑魚が私に触れるな。と言ったのだ。長老クラスとはいえ、所詮はサーベルファング。その程度の相手に恐れ慄いている奴を、雑魚と呼ばずしてなんと呼ぶ?」
「ッ……!!! 慎重を期すことの何が悪いッ!! 冒険者を舐めるなよ!? そうやって相手を侮り、傲慢にも見下す奴から死んでいく……ッ!! 私はこの目で見てきたッ!!」
「舐めてなどいないさ。ただ、ヤトの護衛という本来の仕事を投げ出してまで、過剰な戦力を投入するのは怠慢だと言っている」
「ッ~~~~!!!! そうまで言うのならッ!! お前が前衛を務めたらどうなんだッ!? まさか、出来ないなどとほざきはしないだろうな? この私を雑魚だと罵ったのだ。雑魚出ないお前は当然できるのだろう?」
「フッ……良いだろう。ならば私が前へ出よう、空いた左翼はお前が担え。……構わないな? クルヤ」
互いに鋭く睨み合い、テミスとイメルダは今にも殺し合いを始めそうな気配さえ醸し出しながら舌戦を繰り広げた。
しかし大剣を繰るテミスと、敵の攻撃を受け止める事に特化した大楯を持つイメルダでは本来の役割が異なる。
故にこそ、イメルダは出来るはずが無いと高を括っていたのだろう。イメルダが嘲笑にも似た笑みと共に提案を口にすると、テミスは不敵な笑みを浮かべていとも容易く頷いてみせた。
「なっ……!?」
「…………。一つだけ確認をさせて欲しい。イメルダの挑発に乗って、無茶をしようという訳では無いんだね? 前衛は背後の仲間達を守る為に、敵の攻撃を一身に受け止めなくてはならない。その役を君は、一振りの大剣でやり遂げる事ができると?」
「当然だ。別に、売り言葉に買い言葉で吐いた言葉に、引き下がれなくなっている訳では無いから安心しろ。私が前に立つ以上、敵の攻撃など一撃たりとも後ろに通すものか」
そんなテミスに、水を向けられたクルヤは少し考える素振りを見せてから、冷静な口調で問い返した。
一方でテミスは、クルヤの問いに悠然と頷いてみせると、表情を皮肉気な笑みへと変え、チラリとイメルダへ視線を向けながら言葉を付け加える。
「……わかった。ならその強さ、見せて貰おうかな。陣形自体は変更しない。けれどテミスの提案通り、ここからは前衛のイメルダと左翼のテミスを交代しよう」
「っ……!!!」
「だ……そうだ。異論はあるか? お前達のリーダーの決定だが」
「クッ……!! ある訳が……無いだろうッ!! だが私はもう、お前を完全に信用してなどいないッ!! 少しでもヘマをしてみろ、お前の身体ごとこの盾で獲物を打ち据えてやるからな!!」
自信満々に頷いたテミスの言葉に、クルヤは再び口元に手を当てて何かを思案した後、穏やかな微笑みと共にテミスの提案を受け入れた。
その隣では、クルヤがこの提案自体を却下すると確信していたらしいイメルダが驚きの表情を浮かべていたが、クスリと邪悪な笑みを浮かべたテミスが挑発を重ねると、怒りの言葉を残し、肩を怒らせて一足先に新たな自分の配置へと歩き去っていく。
「……私も、イメルダと同じで貴女の事を信用していない。相当腕は立つのでしょうけれど、騎士として前衛を務めてきたイメルダ以上の働きができるとは思っていないわ。私の剣の邪魔になるようだったら、遠慮なくまとめて斬るから。そのつもりでいて」
その後、間を置かずしてヴァルナもテミスへ淡々とした口調で厳しい言葉を残すと、その身を翻して自らの配置である右翼へ向かって歩み去っていった。
残されたのは、変わらず中央を担うクルヤとテミス、そしてヤタロウを背に守るようにして立つフリーディア達だけで。
「ハッ……! 難儀なものだな? 前衛とは。敵の攻撃だけではなく、味方に預けたはずの背まで気を配らなくてはならんらしい」
「ハハ……ごめんね。彼女たちに代わって僕が謝るよ。二人も口ではああ言っているけれど、本当に君ごと攻撃はしないだろうから……」
「……そう願いたいな。戦闘中に下手にちょっかいでもかけられれば、間違って斬ってしまいそうだ」
テミスが残ったクルヤに聞かせるかのように大きな声で皮肉を零すと、苦笑いを浮かべたクルヤが頭を下げて謝罪とフォローを口にした。
そんなクルヤに、テミスは警告の意を込めて言葉を残すと、傍らで様子を見守っているフリーディア達にチラリと視線を向けてから、自身の新たな配置である前衛へと足を向けたのだった。




