1390話 慣れぬ気遣い
もう一頭のサーベルファングに襲われているであろう冒険者たちの救援。
現状の戦力を鑑みれば、それはさほど難しい事ではないのだろう。
獲物の処理と見張りの為にロノを残したとしても、代わりにテミスとフリーディアが加わる事を考えれば、彼女が抜けた穴は補って余りある。
ならば、たとえ魔獣とはいえ子供を攫うような外道たちであっても、敢えて見棄てていく必要は無いだろう。
「……わかった。ヤトに危険が無いのならば呑もう。どちらにせよ、名前持ちの発生は防がねばならん」
「ありがとう。君ならそう判断してくれると思っていたよ」
「ハッ……下手に生き残らせた魔物に、町や街道を荒らされては敵わんからな」
そう判断したテミスがコクリと頷くと、クルヤは笑顔を浮かべてテミスへと頷き返し、握手を求めるように右手を差し出した。
だがテミスは、差し出された手を視界に収める事すらなく唇を歪め、吐き捨てるように言葉を続けた。
「……名前持ち? やけに物々しい響きね?」
その時、つい先ほどまでがっくりと肩を落として項垂れていたフリーディアが声を上げると、向かい合うテミスとクルヤの顔を交互に伺い見るようにして問いかける。
「なんだ? もう復活したのか。何なら、もう少し落ち込んでいても構わんのだぞ? ぎゃいぎゃいと喧しいからな」
「っ……!! 落ち込むのは後! 反省するのも後って決めたのよ!! 今はただ、私にできる事をするッ!! 無様を見せたのは承知しているけれど、この覚悟をそんな風に揶揄わないで欲しいわ」
「…………。悪かった。名前持ちというのは、呼称の示す通り特別な名前をあてがわれた個体の事を言う。その実態は、冒険者を返り討ちにしてヒトとの戦闘経験を積んだ個体や、眼前で親や仲間を殺されるなどしてヒトに強い敵意を示す個体の事だな」
瞬間。テミスは歪めていた口角を一気に吊り上げて意地の悪い笑みを浮かべ、フリーディアへと視線を向けて憎まれ口を叩いた。
しかし、普段であれば怒りを露にして応ずるフリーディアは、ただ静かに言葉を返しただけで。
その言葉に、テミスもまた皮肉を重ねる事無く、幾ばくかの沈黙を経てから謝罪を口にした後、フリーディアの質問に答えを返した。
「……。そう……なの……。勉強になったわ」
「…………」
立ち直ったとはいっても、それは表面上だけのものだろう。
テミスはフリーディアへと視線を向けたまま密かにため息を漏らすと、胸の中でそう独りごちる。
こうして一見しただけでも、未だ顔色は青く、握り締めた拳は微かに震えている。
覚悟を決めたなどと自らの心を鼓舞した所で、所詮それは張りぼての覚悟。この場で自らの役割を果たすための方便に過ぎない。
思えば、ファントで剣を交えたあの一件以来、フリーディアが私に抗弁する回数は格段に減った。
どうしようもないお人好しではあるものの無能ではないコイツの事だ、どうせこちらの懐に入り込んだ機会を生かしてやり方を探り、打開策でも探しているのだろうとばかり思っていたが……この心の脆さ、どうやらそれだけではないらしい。
「フム……。まぁ、何だ。先程のアレはものの例え……言葉遊びのようなものだ。そう深く気にするな」
「へぇっ……!?」
そういった状態も考慮すると、ああいった言い回しではフリーディアが過剰に反応してしまうのも頷ける話だ。
微かに喉を鳴らしながら、フリーディアの心情を慮ったテミスが今更ながらにフォローを入れると、傍らのフリーディアが素っ頓狂な声を上げて肩を跳ねさせ、まん丸に見開いた目でテミスを凝視した。
「なんだ? どうした? 変な顔をして」
「貴女こそ……どうしたのよ……? 私に慰めの言葉をかけるなんてらしくない……。本当に大丈夫なんでしょうね?」
「なッ……!!」
「ぶはッ……クククッ……!!」
「んふっ……ふふふっ……いや、失礼……」
そんなフリーディアへテミスが首を傾げて問うと、フリーディアは即座に驚愕の表情を至極真面目なものへと変え、芯の強さを感じさせる声で問いを返す。
すると突如、耐え兼ねたかのような笑い声が傍らで響き渡り、テミスとフリーディアは揃って羞恥で頬を染める羽目となった。
「コホン。さて、二人も帰ってきた事だし、一つ……良いかな?」
だがその機を逃す事無く、ヤタロウはパシリと手を叩いて自らへ注目を集めると、クスクスと笑いを零しながら言葉を続ける。
「君たちが話している間に、クルヤ君には話したのだけれど……。冒険者たちの救援には僕たちも同行するよ」
「なっ……!? クルヤ!! 言ったはずだぞ!! ヤトの安全を確保できなければ承服しないとッ!!」
「待つんだテミス。これは僕の提案さ。君達に比べれば僕は戦えないも同然だろう。けれど、人を担いだり安全な場所へ誘導する事くらいはできる。救援というのなら、戦闘要員だけではなく、そう言った役割の人員も必要だろう?」
「っ……!! それは……だがッ……」
続けられたヤタロウの言葉に、テミスはクルヤを睨み付けて言葉を荒げるが、ヤタロウは即座にその間に割って入ると、淡々とテミスへ言葉を投げかけた。
そこに並べられていたのは、テミスを以てしても一言たりとも反論の言葉が出ない程の正論で。
返す言葉を失って口ごもったテミスに、ヤタロウはクスリと微笑んで更に追撃とばかりに口を開く。
「守られる側としては、君たちの側を離れるよりも、共に行動した方が安全だと思ったのけれど? それにまだ、僕は依頼を果たして貰っていないしね」
「クッ……!! わかった……そうまで言うのならば仕方あるまい……。シズク、ソイツは適当なもので縛り付けて、その辺りにでも転がしておけッ!!」
「わかりました」
「はぁッ……!? ちょ……待っ……!? なんでだよ!? 解体くらいなら俺も手伝うってのッ!! あだだだだだッッ!!?」
ヤタロウの説得に、テミスは不承不承といった面持ちでコクリと頷いて同行を認めると、その苛立ちをぶつけるかの如く、荒々しい口調でシズクに命令を下した。
すると、シズクはテミスの命令に了解の言葉を返すと、まるでテミスの苛立ちを受け取ったかの如く、手早く、そして固く、叫びを上げる冒険者の男を拘束したのだった。




