1388話 冷酷なる報い
見下げ果てた屑を前に、テミスの脳裏にはいつかの記憶が呼び覚まされていた。
……或る狩人は言った。
狩猟とは獣たちとの知恵比べだ。奴等は頭が良いし鼻も効く、だから俺達は常に全力で挑むのさ。と。
……或る料理人は言った。
ワシ等はこうして色々な生き物の命を扱っておる。命を貴ぶ高貴な方々からすれば、どうしようもない罪人なんじゃろう。だからこそ、ワシ等は頂く命に感謝して、一片たりとも無駄にせず、美味しく作る事が誇りなのだ。と。
彼等の胸には確かに誇りがあり、自らに課した何かを忠実に守り続けていた。
具体的にそれが何を示すのかはわからない。けれど、声高に語られる誇りなど下らないものだと一笑に伏すテミスであっても、彼等の語った胸の内に息づく誇りには、どこか尊敬にも似た感情を覚えたものだ。
「少しばかり、傲慢が過ぎると私は思うがな。ヒトであろうと魔獣であろうと、子供が狙われれば己が全霊を賭して反撃してくるものだ。だというのに奴等を獣と侮り、安易に幼体を狙ったお前達の落ち度だ。少なくとも私は、護衛すべき者の命を危機に晒してまで、そんな卑怯者を助けに行こうとは思わんがな」
沈痛な表情を浮かべて黙り込んだ二人に、テミスは止めとばかりに冷たい言葉を浴びせた。
テミス達とて、ここには魔獣を狩る為に出向いてきているのだ。そんな身の上で、今更狩られる側の魔獣が可哀想などと世迷言を吐くつもりは無い。
だが何事にも、越えてはならない一線というものは存在し、こと狩猟においては、特段の事情が無い限り、幼体や身籠っている個体に手を出すのは禁忌と言えるだろう。
子を狙えば、怒った親を二体同時に相手取る羽目になるし、身籠った個体を狙い易しと殺してしまえば、新たな個体が生まれなくなった種は数自体が激減してしまう。
それは、特に罰則などが設けられていない不文律ではあれど、狩る側である自分達の安全をも視野に入れた、経験則的な意味合いを持つ掟に通づるものがある。
ならば、それを侵した連中を情けだけで救うのは些か筋道が通っているとは言い難い。
「でも……でも!! 同じ冒険者じゃない!! 確かに彼等のやり方は良くなかったかもしれないけれど……何もせずに見棄てるのは違うと思うわ!? ここで見棄ててしまったら、間違いを間違いと語り継ぐことすらできなくなってしまうッ!!」
「クス……おかしなことを言うな? 私たちは、既に救ったじゃないか。語り部ならば一人で十分さ。むしろ、こいつの仲間まで救ってしまえば、コイツ等が痛みを味わう事は無く、禁忌を犯したという間違いは些細なミスへと零落する」
必死で紡いだフリーディアの抗弁に、テミスは喉を微かに鳴らしてせせら笑うと、肩を竦めて答えを返した。
確かに、同じ冒険者として、ヒトとして清く正しく生きたいのならば、人々に希望を与える勇者や英雄が如く、迷う事無く救援に向かうべきなのだろう。
だが、テミスにとってこの男たちは、見ず知らずの他人であるどころか、己が引き寄せたとも言うべき危機を擦り付けに来た『敵』なのだ。
そんな奴等の為に、自分の身どころか友であり賓客でもあるヤタロウの身を危険に晒してまで助けに赴く義理など無く、等しく他人を貴ぶ博愛精神も持ち合わせてはいなかった。
「そんなに助けたいのならば一人で行って来いよ。自らに課された任を……責務を放り出してな。尤も……この小悪党の仲間だ。仮にうまく合流できたとて、自分達が逃げる為の捨て石にされて終わりだろうがな。なに、予習は十分だろう。サーベルファングの単独討伐。私は応援しているぞ?」
「っ~~~~!!!!」
皮肉を叩きつけるテミスの言葉に、フリーディアは固く拳を握り締め、ギシギシと固く歯を食いしばった。
出来ない事が分かっていて言っているんだわッ……!!
あまりの口惜しさに、鼻の奥にツンと刺すような痛みが走るのを感じながら、フリーディアは目尻に涙を浮かべてテミスを睨み付ける。
仮にここで自分が抜けたとしても、ヤタロウの護衛にはテミスとシズク、そしてクルヤ達が付いている。
戦力として問題は無いはずだ。
けれど、クルヤ達の戦いを見ているが故に、あの突進や鋭い牙を受け止める事ができる盾も無く、固い体毛や筋肉を一撃で貫く術も無い自分には、この魔獣を一人で狩る事はできないと確信していた。
「ッ……!!! くぅッ……!! 貴女に……従うわ……ッ!!!」
「なぁッ……!? う、嘘だろッ!? なぁ、頼むよ姉さんッ!! 頼れるのはアンタしか居ねぇんだ!!」
「……ごめん……なさい……ッ!!!」
「そんなぁ……!! そ、そうだッ!! 旦那はコイツ等の雇い主ですよねッ!! だったら旦那から命令してくれませんかッ!? どうかッ!! どうかッ……!!」
自分一人で救援に向かうのは不可能。
そう判断したフリーディアは、胸の奥から湧き上がってくる無力感と共に固く唇を噛み締めると、絞り出すような声でテミスへと答えた。
そんなフリーディアに男は諦める事無く懇願するが、力無く肩を落としたフリーディアが首を振ると、今度は傍らで口を挟むことなく黙していたヤタロウ達の側へと飛び出して行ったのだった。




