1387話 生命の価値
「断る」
男の必死の懇願を、テミスはたった一言でにべもなく斬り払う。
そこには迷いなど欠片ほども無く、まさに即断即決……否、元々答えが決まっていたかのような迅速さだった。
「なっ……ぁっ……!? はっ……?」
「テミスッ!?」
そんな、交渉の余地すら無い判断の速さを眼前の男が予測しているはずも無く、傍らで話を聞いていたフリーディア達でさえ、目を丸くして驚きの表情を浮かべていた。
「断る……と言ったのだ。単純明快な話だろうが。お前の仲間達を助けに向かえば、当然我々には危険が降りかかるだろう。誰が好き好んで見ず知らずの他人を助けるために、危険な場所へ向かうものか。そもそも! 忘れた訳ではあるまいな? お前は既に一度、我々を危険に巻き込んでいるという事をッ!!」
「ばっ……なっ……!? お前ッ……!! お前には人の心ってヤツがまったくねぇのかよッ!! 冗談を言ってる場合じゃねぇんだッ!! 仲間が死んじまうッ!!」
「勿論本気だとも。それに……だ。お前は先程、仲間達がアレと同じ化け物に追われていると言ったな? それであの異様な怒り様に得心したわッ! おおかたうり坊……あの魔物共の子供に手を出したのだろうッ!!」
「うっ……!? あ……知らなかったッ!! 親が近くに居るなんて知らなかったんだよ!! 小っちぇえサーベルファングがフラフラと一匹でほっつき歩いていたんだ……そんな機会は滅多にねぇ……!! 狩りたくなるのが冒険者のサガってもんだぜッ!! アンタも冒険者ならわかるだろっ!?」
「ハッ……馬鹿が。自業自得だ」
必死で言葉を重ねる男に、テミスは視線に侮蔑を込めて睨み付けると、クスリと微かに口角を歪めて吐き捨てた。
サーベルファングはそこそこに高価な魔物だ。本来ならば良心に手厚く保護されている筈のその子供ともなれば、幾らの値が付くか分かったものではない。
だが、そんな欲を漲らせた結果が、こうして返り討ちに遭ったうえに我々を巻き込んでいるというのならば、はた迷惑にも程があるという他は無いだろう。
しかし、慈愛に満ち溢れた高貴な騎士様は違った感想を抱いたらしく、テミスの傍らからは抗議するような視線が向けられていた。
「余計なことを口走るなよ? そもそも、我々の任はヤタの護衛だ。その任を放棄してまで救援へ向かうつもりか? それとも、怒れる魔獣の前に護衛対象を連れ出すなどと世迷言をほざきだすつもりでは無かろうな?」
「っ……!! そ……それは……ッ!! でも、何か助ける方法はないのッ!?」
「はぁ……」
フリーディアの視線を感じたテミスは機先を制してあらかじめ釘を刺すが、フリーディアはそれでもなお食い下がると、救援の意を露にする。
すると、そこに勝機でも見出したのか、テミスへと助けを懇願していた男の顔が露骨に輝き、その視線がフリーディアへと向けられた。
「いいか? 解り易く言ってやろう。こいつらは、罪もない魔獣の夫婦から子供を攫おうとした見下げ果てた屑だ。その結果、殺されかけた挙句我々を巻き込んだ結果が……見ろ」
「っ……!!!」
「おぉッ……!!」
テミスはフリーディアに対し、意図的に罪悪感をくすぐる形で罪を並べ立てると、今も尚戦いを繰り広げるクルヤ達を指し示した。
そこでは、クルヤ達の手によって満身創痍となったサーベルファングがボタボタと大量の血を流しており、それを見たフリーディアが鋭く息を呑む傍ら、男が嬉し気に歓声を上げる。
「父か母かは知らんが、片方の親は今ここで殺される。それで? コイツの仲間を救いに行くという事は、残った片親も殺すという事になるが……?」
「ぁ……ぅっ……!!!」
「皮肉なものだなァ? 奴等はただ、我が子を拐わかさんとする魔の手から守ろうとしただけだ。 その結果、その子供は両親を失い、幼き身で厳しい野生へと放り出される事となる」
「ちょ……ちょちょちょッ!! 待ってくだせぇッ!! アンタさっきから一体何なんだ!? 奴等は獣!! ただの魔獣だッ!! 言ってるコト正気じゃねぇぜッ!?」
そこへ追い打ちをかけるかのように、テミスが悲痛さを演出した語り口で言葉を続けると、そこに含まれた変えようのない事実に、フリーディアが苦し気に呻き声をあげた。
もうあと一歩。背を押してやれば決着がつくだろう。
フリーディアの心情を察したテミスが僅かにほくそえみ、言葉を重ねるべく口を開きかけた時。
冒険者の男が大声を上げてフリーディアとテミスの間に割って入ると、見開いた眼に怒りを滾らせながらテミスへと指を突き付けた。
「クス……そうだな。我々は魔獣を狩り、その肉を喰らって糧としている。食卓の肉に過ぎん連中に情けをかけるなど、正気では無いのだろう」
「だったら黙っててくれねぇかッ!? アンタが俺の仲間を救う気がサラサラねぇのはよぉく解ったからよ!! こっちはヒトの命がかかってんだ!!」
「ッ……!!」
ピクリ。と。
恐らくは男の発した、『ヒトの命』という言葉に反応したのだろう。フリーディアが肩を跳ねさせ、意を決したかのように伏せていた顔を上げる。
その瞳には、窮地に在る者を誰彼構わず救い出す、慈愛と優しさに満ち溢れた光が宿っていて。
しかし、テミスはそんなフリーディアを見て尚、ニンマリと意地悪く頬を吊り上げると、悪魔のように歪んだ笑みを浮かべて口を開く。
「カハハハッ……!! 知っているぞ? お前のような輩は。魔獣だからヒトではない。魔獣相手ならば子を攫おうと、嬲り殺そうとも構わない。そう言ってはばからぬ連中が居たなぁ? おっと……アレがヒトに在らずと定めているのは魔獣ではなく、獣人や亜人といった魔族連中だったか」
人間至上主義。
テミスが引き合いに出したのは、主にロンヴァルディアやエルトニアで盛んな、人間という種族を最優遇した考え方だった。
尤も、彼等は魔族と定めた者達を食卓に並べる訳ではないため、厳密には魔獣を殺すや否やといった話には無関係なのだが。
相手が『ヒト』から『魔獣』に変わっているとはいえ、自分の主張の内容が彼等と何ら変わらぬ行為である冒険者の男と、そんな彼等を救うべく立ち上がらんとしたフリーディアにはいたく効果的だったようで。
更に、名を挙げられた獣人族であるヤタロウやシズクの前で、これ以上言い争う気概もなかったのか、二人は言葉を失ってその場で黙り込んだのだった。




