1382話 休息と内緒話
爽やかなさざ波の音と、水場特有の冷たく透き通った空気が辺りを満たし、行軍で火照った心と体を癒していく。
人の手が入っていない割に、一体に生い茂る下草は踝程の丈と短くて動きやすく、辺りへの視界も開けているため、テミス達が腰を落ち着けたこの場所は、休憩を取るにはこれ以上ない程に適していた。
「ふぅっ……清々しいな。胸が透く思いだ」
芳醇な高原の空気を胸いっぱいに吸い込んだテミスは、ゆっくりと長く息を吐きだすと、辺りを見渡しながら満足気にひとりごちる。
ファントの町の周辺は、南方のエルトニアに比べて自然が豊かではあるが、やはり人の多い町中とこういった場所では、明らかに空気が異なる。
それは、木々が吐き出す新鮮な空気のお陰か、はたまたよく透き通った水がキラキラと美しく輝く湖のお陰なのか……それとも、自然の中に満ちる魔力が潤沢である為なのかはわからないが、心地が良いことに変わりは無い。
「そうだね。程よく涼しくて景色も良い、ここに分け入って来るまでに少し見かけたけれど、野草や薬草の類もたくさん生えているようだ」
「凄く……素敵です。ところであの湖……魚は居るのでしょうか?」
テミスの傍らで体を休めるヤタロウとシズクも、ふと零したテミスの言葉に賛同し、楽し気に目を輝かせて辺りを見渡していた。
尤も、シズクの興味は景色や風情よりも、もっぱら食い気に傾いているようではあったが。
「どうだろうな? これだけの場所だ。全く居ないという事は無いだろうが、魔物の類も住み着いている可能性は高い。のんびりと釣りに興じる……という訳には行かなさそうだ」
「確かに……。それに、釣りをするにしても道具がありませんね。かといって、入って魚を捕るには深すぎます」
「はははッ!! それもあるけれど……ほら、少し触ってごらん? この湖の水、びっくりするほど冷たいよ」
「っ……」
「…………」
「……そんなにですか? っ……!!! ひゃぁっ……!! 凄く冷たいですッ!!」
そうテミス達がのんびりと言葉を交わしていると、同じく共に体を休めていたクルヤが話に入ってきて、自らの傍らの湖のほとりを示す。
そんなクルヤを前に、テミスはシズクから一瞬だけ向けられた視線にコクリと小さく頷くと、自らの隣に置いていた大剣の柄へと静かに手を伸ばした。
同時に、シズクはテミスの前を通り過ぎてクルヤの傍らへと移動すると、湖の水面へと手を浸して黄色い声をあげる。
「…………」
「すまない。テミス」
「ン……? どうした? 急に」
「彼等の事だ」
シズクがクルヤ達の一行に混ざって、ぱしゃぱしゃと楽し気に水音を立てている姿を眺めていた時だった。
まるで意識の隙をつくかのようにテミスへと身体を傾けたヤタロウが、声を潜めてテミスへと語り掛ける。
その視線は、一行から少し離れた位置で周囲を散策しているフリーディアへと向けられており、その真意が言葉通りのものだけではない事を示していた。
「前に酒場で揉めた時にね、彼女に少し忠告をしたんだ。良かれと思ったのだけれど、どうやら逆に、それが彼女の対抗心を煽ってしまったらしい」
「あぁ……妙に意地を張ると思っていたらそういう事か。なに、気にするな。あのお人好しの事だ、形は違えど、遅かれ早かれいつかはこうなっていたさ」
「フフッ……。そう言って貰えると助かるよ。正直、余計な事をしてしまったのではないかと気が気では無くてね」
「見下げ果てた博愛精神の持ち主だからな。私やお前の態度を見て義憤にでも駆られたのだろうさ。どのみち、私の方でも何か手を打とうと考えていたからな」
「相変わらず手厳しいね……君は。それで……どうだい? ここまで道を共にしてきて」
声を潜めたままヤタロウからあらましを聞くと、テミスは得心がいったかのようにクスリと微笑みを零した。
そして、テミスはクルヤ達へと向けていた視線をチラリとフリーディアへ向けると、微笑を皮肉の笑みへと変えて言葉を続ける。
そんなテミスにヤタロウは、苦笑いを浮かべて肩を竦めた後、一段声を低く落として問いを重ねた。
「……そうだな。今の所、何とも言えない。これといって何かを仕掛けてくる様子は無いが、かといってクルヤ以外は積極的に交流を図ってくる訳でも無い。特にあのエルフの剣士と魔法使いは、こちらから話しかけてもロクな返事も返さないからな」
「嫌われたものだねぇ……このまま何も無ければいいのだけれど……」
「フッ……クク……!! 存外、無い話ではないかもしれんな」
ヤタロウと密かに言葉を交わしながら、水辺で戯れるシズク達を眺めていたテミスは、不意に脳裏へと浮かんだ一つの思い付きに笑い声を零す。
そこでは、シェナと仲睦まじく水遊びに興じるシズクとヴァルナを中心に、イメルダとクルヤが温かな眼差しでそれを見守り、その隣でロノがまるで己が内で葛藤しているかの如く、僅かに身を悶えさせながら、視線をクルヤとシズクの間で激しく往復させている。
「ほぅ……? 何か根拠がありそうだけれど……」
「ンククッ……簡単な話さ。案外あの女共は、お前ならばすんなりと受け入れてくれるやもしれんぞ?」
「んん……? フッ……あぁ……そういう事か……。遠慮しておくよ。もしも本当にそういう事なのだとしたら、今度は僕まで彼に疎まれてしまいそうだ」
「ははっ……違いない」
興味深そうに首を傾げるヤタロウへ、テミスは意味深な笑みを浮かべて顎でロノを指し示すと、数秒間悩む素振りを見せた後、ヤタロウはクスクスと笑いながら首を横に振った。
そんなヤタロウに、テミスは堪えかねたかのように笑いを零すと、共に一度視線を合わせた後、再び揃ってクスクスと笑い合ったのだった。




