幕間 リット・ミュルクの逃走劇
幕間では、物語の都合上やむなくカットしたシーンや、筆者が書いてみたかった場面などを徒然なるままに書いていきます。なので、凄く短かったりします。
主に本編の裏側で起っていた事や、テミスの居ない所でのお話が中心になるかと思います。
「グッ……ハッ……ハッ……くそっ……」
細い路地を駆け抜けると、ミュルクは脇腹を押さえて蹲った。後ろの方からは、複数の足音と共に俺を探す声が響いていた。
「少し……予想外だな……」
長く一度息を吐いて荒い呼吸を収めると、ミュルクは歯を食いしばりながら呟いた。傷が大して痛まないのは僥倖だが、まさかここまで体が鈍っているとは……。
「居たぞ! こっちだ!」
「へへっ!」
曲がり角から顔を出した男が叫ぶと、ミュルクは身を翻して即座に駆け出した。俺がどれだけ連中を引き付けられるかで作戦の成否が大きく変わる。そう思うと、萎えかけた足に力が漲ってきた。
「フリーディア様……任せて下さいっ!」
ミュルクは路地を駆け抜けて大通りに駆け込むと、驚きや迷惑そうな表情を向ける人々の間をすり抜けて別の路地の中へと飛び込んだ。
「クッ……人混みに紛れたかっ……! 探せ! 絶対に探し出せッ!」
すると、数秒遅れてミュルクを追ってきた男たちは、辺りに散らばってミュルクの姿を探し始める。
「馬鹿が……これくらいで見失うなっての……」
ミュルクは大きくため息を吐くと、傍らに置いてあった樽の上に腰を掛けた。連中の甘さは、撒くことなく、そして囚われる事も無く逃走し続けなくてはならないミュルクにとってはありがたかった。
「フフッ……精が出るね」
「っ!!?」
唐突に横から声をかけられたミュルクは、咄嗟に飛びのいて声の方へと身構えた。
「おぉっと、安心しな。あたしゃ追っ手じゃないよ。ホレ飲みな」
「……っ?」
振り返ったミュルクの視線の先には、眼帯の女がなみなみと水の張ったジョッキを差し出していた。
「アンタ、白翼の兄ちゃんだろ? ホラ、たまにフリーディアの嬢ちゃんと一緒にウチに来る……」
「っ! ああ、リット・ミュルクだ。だが……冒険者将校の登録を受け付けている筈のアンタが何故……?」
ミュルクは警戒を解かぬまま、アトリアへと問いかけた。元ギルドの人間とは言え、今は体制側の人間だ。ならば、逃走者である俺を助ける筈はない。
「なに。アンタも知ってるとは思うが、嬢ちゃんは個人的に気に入っててね。正直今回の逮捕にも納得がいってないんだ。んで、アンタがこうして動いてるって事は何かするつもりなんだろう? 応援しない訳が無いさね」
アトリアはそう告げると、水の入ったジョッキをミュルクが座っていた樽の上に置いて数歩下がって口を開いた。
「どうするかはアンタの自由にしな。匿ってやっても良いんだが、どうもそういう風には見えないしねぇ。ま、空いたジョッキはここに置いといてくれると嬉しいよ」
それだけ言ってアトリアは身を翻すと、ヒラヒラと手を振りながら路地の外へと向かって歩いていく。
「っ……待ってくれっ!」
「ん? なんだい? お代ならいらないよ」
アトリアは呼び止めたミュルクにニヒルな笑みを浮かべて振り返ると、軽い口調でそう告げた。
「……ありがとう。恩に着ます」
「んあ? 水の一杯くらいで気にしなさんな。律儀な男だね」
「いや……水もですが……っ……」
ミュルクはそう言うと、樽の上に置かれたジョッキを手に取ってその中身を一気に飲み干した。そして、少年のような笑みを浮かべて口を開く。
「フリーディア様を信じてくれて……です。水、ご馳走様でした!」
ミュルクはそう言うと、傍らの樽に勢いよくジョッキを置いて路地の奥へと再び駆け出した。
「フフ……案外かわいい所もあるじゃないか」
アトリアは目を細めて笑うと、その背を見送ったのだった。
1/31 誤字修正しました