1378話 完璧なる策略
ヤタロウの希望である冒険者の体験が実現したのは、それから二日後の事だった。
その間、テミスは護衛の人選や関係する各所との調整に奔走し、可能な限り迅速にこのイベントを開催へとこぎつけたのだ。
テミスがこのような無茶を押し通した理由は、ヤタロウの突飛な希望を聞き、計画に取り掛かり始めたばかりの頃。あまりの無理難題に漏らしたテミスの皮肉に、彼が語った理由にあった。
曰く、先日引き渡した彼の妹であるヤヤが、久方振りに再会を果たしたというのに、館に戻った後も塞ぎこんだままらしい。
そんなヤヤを元気付ける為、手ずから獲物を獲ってくれば、少しは元気を出してくれるのではないか……と思い立ったという。
彼女の心を折った張本人であるテミスとしては、そう言われてしまっては是が非でも協力する他に道が無かったという訳だ。
「……我ながら、過剰戦力だな」
朝の訪れを報せる鳥の声が響く中、テミスは昨日までの激務を振り返りながら、皮肉気に唇を歪めてひとりごちった。
その背には、朝日を浴びて輝く漆黒の大剣が鎮座しており、服装も軍服然とした普段の格好ではなく、戦へと赴く時に着用するブラックアダマンタイトの甲冑だ。
つまるところ、完全武装で出てきた訳だが、これから狩りに行く相手はテミス達が以前戦ったエビルオルクのような化け物ではなく、一般の冒険者が標的とするような平凡な魔物を予定していて。
今のテミスならば恐らく、軽く大剣を一薙ぎするだけでいとも容易く狩れてしまうであろう事は明白だった。
だが。
「やれやれ……守る戦いは専門外なのだがな……」
テミスはクスリと微笑みを零すと、密かに昂り始めた気分を抑えながら集合場所である冒険者ギルドへと歩を進める。
本来ならば、慣れない役どころな上に絶対に失敗の許されない状況に緊張して然るべきなのだろうが、テミスにはそれを愉しむだけの心の余裕があった。
それもその筈。今日の為に用意した戦力は、ヤタロウに随伴するテミスだけではなく、その補佐役としてフリーディアが、更にシズクが狩りには加わらず、ヤタロウの身辺警護の役を担うのだ。
更に、ヴァイセ率いる第四分隊が距離を置いて周囲に潜み、索敵と緊急時の増援として機能する手はずとなっている。
「ハッ……まさに矢でも鉄砲でも持って来い……だな。これだけの戦力があれば、たとえ一個大隊が相手だろうと容易く蹴散らしてくれる」
十分な戦力に綿密な作戦。事前に備えておくことの出来る戦いがこんなにも気が楽であるとは。
テミスは鼻歌でも歌いたくなるほどの上機嫌で、辿り着いた冒険者ギルドの門戸を潜ると、ざっと建物の中を一望してまだ仲間達が到着していない事を確かめた。
「ククッ……まだ集合時間にはかなり余裕がある。まさか私が、こんなにも早く来るとは誰も思っていまい」
甲冑に覆われた手で口元を隠し、邪悪な笑みを浮かべて喉を鳴らしながらそう嘯いた後、テミスは冒険者たちが集う依頼の張り出されている掲示板を尻目に、がやがやと騒がしいホールの中を一直線に横切って、空いている受付の前へと向かって穏やかに声を掛ける。
「お早う。すまないが、最新の手配書を二つと買取額の一覧表を一つくれないか?」
「――っ!!? は、はいッ!! 只今ッ!!」
すると、酷く眠たそうな顔で立っていた受付嬢は目を見開いて驚きを露にすると、わたわたと慌てながらカウンターの下から三束の紙を取り出した。
そこには、現在流通している魔物の取引額の概算や、この辺りで確認されている特に危険な魔物の情報が記されているのだ。
「えっと……お待たせいたしましたッ!! こちらですッ!!」
「ありがとう」
テミスは肩を力ませて恭しく書類を差し出す受付嬢に礼を言って書類を受け取ると、素早くその内容へと目を通していく。
「なになに……? エビルオルク……は、あの一帯か。問題は無さそうだが、避けるに越した事は無いな。あとは、エルダートレントに千年鳥の目撃情報があり……か」
同時に、ブツブツと呟きを漏らしながら、受け取った片方の手配書の中から特に危険な魔物の情報が記されているページを千切り取っていく。
これぞ、テミスが悩み抜いて導き出した解決策。
標的とする獲物の決定権がヤタロウにあり、依頼や書類の捏造ができないのならば、こうして事前にその選択肢を削り取ってしまえばいい。
つまり、VIPであるヤタロウには、戦いに不慣れでも自分達の手助けがあれば安全に戦えるを出来る程度の相手に限定した中から、好きに選んでいただくという訳だ。
「よし……こんなものか……。……抜かるなよ?」
「っ……」
テミスは一通り確認を終えると、千切り取った手配書のページをもう一方の手配書に挟み込み、ギルドの入り口付近の壁際で静かに佇んでいた男へと手渡した。
彼こそ、ヴァイセ率いる第四分隊の一員であり、事前に密かに打ち合わせていた通りに、今日狙うであろう獲物が記された手配書と、間引いた箇所を共有する為の連絡要員だった。
男は、テミスから書類を受け取ると静かに頷き、音も無く踵を返してギルドを後にする。
恐らく、すぐに近くで待機しているヴァイセ達と合流し、護衛の準備でも始めるのだろう。
「さて……これで仕込みはすべて完了だ。後はのんびりと連中でも待つとするか」
今回の作戦の中でも、最大で最後の関門を乗り切った事を確かめながら大きく背を反らした後、テミスは不敵な笑みを浮かべてギルドの戸口へと向かったのだった。




