1369話 強者の求め
「おぉッ!! あれッ……!! あれだッ!! 皆、あれを食べようッ!! すいませ~んっ!! お姉さん! 注文! 注文をお願いしますッ!!」
「むぐ……。…………」
「はぁ~いっ! 今行きますねっ!! じゃあ……テミス。皆ッ! ごゆっくりっ!」
給仕であるアリーシャを呼ぶ大きな声がホールに響いたのは、ちょうどテミスが切り分けたエビルオルクのステーキを口に頬張った時だった。
口の中では、野性味あふれる濃厚で芳醇な脂が溶け出し、極上のハーモニーを奏でている。
しかし、テミスがその魅惑の美味に表情を崩す事は無く、冷静沈着な視線はたった今響いた声の主、ホールの中央を陣取っている一行へと注がれていた。
だが、アリーシャはテミスのささくれ立つような警戒心など露知らず、明るい声で返事を返すと、軽い足取りで男たちの元へと向かって行った。
「っ……んむ……」
流石は幻の食材の一つに数えられるエビルオルクの肉と言うべきか。
一口、また一口と肉を噛み締める度に旨味が弾け、テミスはそのあまりの美味さに思わず小さく身震いをする。
一方で、男たちへと向けられた視線が動く事は無く、テミスは口内の美味さへと傾きかける意識に全力で抗いながら、まるで獲物を狙う肉食獣のように、彼等の様子を伺っていた。
「テミス……? 心配し過ぎよ。それよりもほら、折角の美味しいごはんなんだから、そんな顔していないでもっと楽しまないと」
「ムグ……? フム……っ……んぐっ……。いや……僕はその予感は正しいと思うけれどね。彼の言葉からして。素直に引き下がってくれると良いのだけれど」
そんなテミスに、フリーディアが呆れたようなため息と共にそう告げる。
だが、その傍らで口いっぱいに肉を頬張っていたヤタロウはその言葉を聞くと、ゴクリと飲み下してから静かに口を開いた。
「っ……。ハァ……やれやれ、お前もそう思うか……。失敗したな、せめて制服を着て来るべきだった」
「はぐっ……!! んむぅ~っ……!!」
しかし、緊張感を漂わせるテミスが溜息を吐く隣では、自分の分の肉へと食らい付いたシズクが、満面の笑みを浮かべてその味に酔いしれている。
「シズク。お楽しみの所すまないが、もしかしたらひと働きをして貰う事になるかもしれん」
「はも……? っ……!! ひと働き……ですか?」
「そうだね。テミス、君の剣は?」
「上だ。私としたことが抜かった……。失態だ」
「いいや、仕方が無いさ。まさか、自分の家の中でまで、あんな大きな剣を持ち歩く訳にもいかないだろう」
「そういう訳だ。万が一の場合はお前達に頼むしかない……フリーディア。わかっているな?」
「もちろんよ。むしろ、いつも逸る貴女の手に武器が無くて安心したわ」
「っ……! わかりました」
テミスはヤタロウの問いに答えを返すと、手にしていた食事用のナイフを握り締めて歯噛みをした。
そこで漸く、ステーキの美味さに骨抜きとなっていたシズクも、ヤタロウとテミスの纏う緊張感を正しく認識したのだろう、緩み切っていた表情を引き締めるとフォークを握っていた左手が音も無く机の下へと消える。
そうして、テミス達の食事の手が止まってからまもなくの事。
「えぇ~っ!? 出せないってどういう事? さっきの分で肉が無くなっちゃったっていう訳じゃないんだよね?」
アリーシャの向かったテーブルから、素っ頓狂な男の声が再びホールの中に響き渡った。
瞬間。それまでざわざわと賑やかだった店内は一斉に静まり返り、食事を楽しんでいた客たちの視線が男たちの方へと集中する。
「ごめんなさい。あのメニューは特別なお客様にしかお出しできないものなんです」
「特別な……? そうは見えないけれど……。あぁ、お金のことなら心配しなくてもいいよ。これでも僕たちはSランクの冒険者なんだ」
「いえっ……!! そうではなくて……!! 申し訳ありませんっ……!!」
「えぇ……? う~ん……困ったなぁ……。町を回ってみたけれどどこももう置いていないって言うし……」
怪訝な表情で首を傾げる男に、アリーシャは何度も頭を下げて謝罪を繰り返す。
それもその筈。エビルオルクの肉がいくら魔力に満ち溢れているとはいっても、所詮はただの生肉。普通の肉より長持ちはしようが、いつまでも腐らない訳ではない。
故に、確実に鮮度を担保できる間だけ店頭に並べ、幾ばくか残った肉は狩ってきた本人であるテミスや、その連れとアリーシャたち家族のみに振舞われているのだ。
無論、その辺りの事情を知る町の者達は皆、一様に男たちへと剣呑な視線を向けていた。
だが……。
「おい。いい加減にしないかッ!! 金を払わないと言っている訳でも、不当に値切っている訳でも無いんだぞッ!」
「イメルダ!? まぁまぁ……」
「イメルダが正しいわ。クルヤは優し過ぎるよ。ここは私たちに任せて」
「…………」
「っ……!!! ぁ……!!」
それが、何も知らない男たちの目には、余所者である自分達が差別されていると映ったのだろう。
騎士らしき女が怒声をあげたのを皮切りに、一際幼い少女を除く女たちが怒りを露にして立ち上がり、眼前のアリーシャを睨み付けたのだった。




