1367話 世界で一番暖かな場所
ヤタロウ達の注文を取ったテミスを待ち受けていたのは、気が遠くなる程の激務だった。
作られた料理を運んでは飲み物を注ぎ、配膳した帰りに注文を取ってはカウンターへと踵を返す。
まさに文字通り、店の中を駆けずり回るようにして給仕としての仕事に励み、ホールとカウンターの間をいったい何度往復したかもわからなくなった頃。
店を訪れる客の足もようやく落ち着きを見せ、テミスにも店の中を見渡す余裕が生まれる。
見渡した視線の先では、最も奮戦していたアリーシャは当然として、慣れないながらも手伝いをしていたバニサス達も色濃く疲労を滲ませた笑顔を浮かべていて。
テミスは自らの身体を蝕むどこか心地の良い気怠さを噛み締めながら、クスリと小さく笑みを浮かべた。
「……久方振りに出陣する戦場にしては、少しばかり骨があり過ぎたな」
時間としてはたいして長くは経っていない筈だが、何より密度が濃すぎた。
空いた席の掃除を終えたテミスは、空の食器を持ち上げながら口の中でそう呟くと、ゆったりとした足取りでカウンターへと踵を返す。
そこでは、アリーシャが一足先に看板娘の定位置であるカウンターの脇へと戻っており、柔らかな笑顔と共に帰還を果たしたテミスを出迎えた。
「お疲れ様、テミス。ホント、手伝ってくれて助かったよ。ありがとうッ!!」
「ふふ……アリーシャこそお疲れさま……だ。こうして一緒に働くのは久しぶりだが、相変わらず素晴らしい腕前だな」
「いえいえそんな。それ程でも~……って!! そうだ! テミス!! お連れ様は大丈夫なの!? フリーディアさんとシズクちゃんと……えっと……」
「ン……? あぁ……そういえば……」
アリーシャに言われてはじめて、ヤタロウ達の存在を思い出したテミスは、再びホールの中を見渡して彼等の姿を探した。
突然の事だったとはいえあの生真面目なフリーディアの事だ、私に一声もかける事無く、ヤタロウ達を外へ連れ出すような真似などしないとは思うが……。
「ン……。ククッ……あいつ等……。さては人が必死で働いている姿を肴にしていたな?」
その予想が外れる事は無く、ヤタロウ達はまだ、テミスが席を外した時と同じテーブルを囲んでおり、楽し気な表情を浮かべてこちらの様子を眺めていた。
強いて違う所があると言えば、彼等の席から離れているこの場所からでも分かるほど、皆の頬が赤く上気している事くらいだろう。
「ごめんね? 友達とのお食事だったのに、テミスの事借りちゃって」
「なに……気にするな。どうやら、あちらはあちらで楽しんでいたらしい」
「でも、テミスと一緒にご飯食べられなかったし……何かお詫びしなくっちゃ。あッ! テミスも、もうお手伝いは大丈夫だよッ! これからの時間なら私一人でもなんとかなると思うしッ!」
「フム……そうか。だったら、お言葉に甘えようかな。アリーシャはその間に、とびっきり冷えたエールを人数分と……マーサさんに例の肉のステーキをお願いしてくれ」
気丈に振舞っているとはいえ、アリーシャもかなりの疲労が溜まっているだろう。
しかし、ここで手伝いを続けると言ってしまえば、アリーシャがヤタロウ達の事を余計に気にしてしまうのは火を見るよりも明らかだ。
故に、テミスはあえてアリーシャの提案を受け入れてコクリと頷くと、穏やかな笑みと共に『お詫び』代わりの仕事を頼んだ。
こうして先手を打っておけば、必要以上に気を回したアリーシャが予想だにしない『お詫び』を申し出て来ることも無いと企んでいたのだが……。
「わかった!! じゃ、エールは私のおごりって事で!」
「あっ……! ったく……別にアリーシャが悪い訳では無いだろうに……」
アリーシャは元気よく頷いて身を翻した後、付け加えるようにして一言を添えると、テミスが止める間も無くカウンターの奥へと入っていってしまう。
そんなアリーシャに、テミスは肩を竦めて苦笑いを浮かべると、こちらを眺めているフリーディア達にチラリと目配せを送った。
「だが……まぁ、悪くないな……。再びこうしてアリーシャ達を手伝う事ができるのも、平穏が戻って来たという証だ……」
テミスは、胸の内にじんわりと広がっていく暖かな気持ちを噛み締めながらボソリと呟きを漏らすと、一度給仕服を着替えるべく自室へと上がっていったのだった。




