1360話 北の友の来訪
あえて働かない。
そう決めた所で、テミスが融和都市ファントの長であるという事実は変わらず、逃れ得ぬ仕事も存在する。
なかでも特に、最近テミスが個人で友好関係を捥ぎ取ってきたギルファーに関してはその色が強く、先日に捕えたヤヤ達捕虜の扱いなどは、超一級の外交案件であるともいえる。
だからこそ。
捕虜として捕えたヤヤ達をいつまでもファントに置いておく訳にもいかず、テミスは一件の後処理の一環として、シズクを通じてこの件を即座にギルファーのヤタロウへと報せた訳なのだが……。
「いったいこれは……どういう事だい?」
「…………」
黒銀騎団が利用している部隊の詰所。
その建物の一室には、非常にピリピリとした緊張感を孕んだ重たい空気が充満していた。
何故ならそこには、報せを受けてギルファーから駆け付けたヤタロウその人が、凄まじい威圧感を纏った笑顔を浮かべており、その視線の先ではテミスが苦渋の笑みを浮かべている。
「確かに彼等は、我がギルファーに轡を並べていた者達だ。だからこそ、僕は君に注意すべきだと彼等の情報を渡したとも」
「そうだろう? であるからこそ、お前にこそ真っ先に伝えるべきだと思ったのだがな?」
「……大恩ある君が相手だ。正直に言おう。僕は今、かつてない程に君を警戒しているよ。こんな書状を寄越してまで、君は僕たちに何を求めようというんだい?」
「……?」
ぱしり。と。
ヤタロウが懐から出した一通の書状をテミスの前へと置くと、静かに目を細めて問いかける。
その書状は確かに、テミスがしたためてシズクへと持たせたものであり、その内容は一字一句違う事無く記憶している。
尤も、内容といっても事実を記しただけで大した事は書いておらず、ヤタロウの寄越したリストにあった者達の襲撃を受け交戦した事、戦いの結果、彼等の一部を捕虜として捕えた事を伝えただけだ。
だからこそ、こんな風に警戒されるような心当たりなど微塵も無いのだが……。
「……ヤタロウ陛下。黒銀騎団旗下、白翼騎士団団長のフリーディアと申します。私の私見ではありますが、陛下とテミスの間には重大なすれ違いが起こっているのではないかと愚考いたします。つきましては、テミスがお送りしたという書状を拝見させていただきたく」
「フム……君は……」
すると、状況を見かねたかのように、テミスの傍らに控えていたフリーディアが静かに進み出ると、ヤタロウへ頭を下げながら恭しく問いかけた。
だが、ヤタロウはすぐにフリーディアの問いに応える事はせず、思案するような素振りと共にテミスへと視線を向ける。
「彼女は私の盟友にして同胞だ。今は共に、このファント治める仲さ」
「報告では、君に反旗を翻していたのも彼女の筈だけれど?」
「クス……そこまで知っているのならば話が早い。叩きのめして屈服させ、今や無害な私の側付きだ」
ヤタロウの投げかけた視線の意味を察したテミスが口を開くと、強い警戒を孕んだ声で問いが重ねられた。
しかし、その問いにテミスは不敵に笑みを零すと、肩を竦めて堂々と答えを返した。
「それを信じろと? 言ったはずだよ。僕は今、君をとても警戒している。出来るのならば、先に要求を聞いておきたい」
「理解しているさ。そんな調子では、とても共に酒を酌み交わしたなどと言っても信じては貰えんだろうな。だが私とて、そうまでお前に警戒されている理由が分からんのだ」
そもそも、テミスとしては妹とその取り巻きを捕らえたから、連れて帰ってくれと手紙を送っただけなのだ。
だというのに、こうまで敵愾心を持たれる意味が分からないし、こんなつまらない話はさっさと終わらせて町にでも繰り出そうと考えていたものだから、表面こそ辛うじて平静を保ってはいるものの、内心では如何に収集を付けたものかと大焦りしている。
「…………。君がそう言うのなら、許可しよう」
「ありがとうございます」
数秒の沈黙の後。
まるで思考を読み取ろうとしているかのようにじっとテミスを見つめていたヤタロウは、その視線をフリーディアへと向けて静かに許可を出した。
その言葉に応えて、フリーディアは再び深々と首を垂れると、書状を受け取って内容へ目を通し始める。
「っ…………」
「…………」
しかし。
フリーディアが書状を改めている間は、酷く気まずい沈黙ばかりが流れていて。
事のほか、ヤタロウからの視線を一身に受け続けるテミスにとって、その時間は永遠に感じられてしまうほど長く続いた。
故に。
「っ……!! そうだ!! サキュド。彼女をここへ」
「はぁい」
「ちょっ……!!?」
いっその事、妹であるヤヤに会わせてしまえば話が早い。
兄であるヤタロウとしては、きっと妹の無事が心配で仕方ないのだろう。
気まずさに耐え兼ね、焼き付く思考の中でそう結論を導き出したテミスがそう命令を出すと、即応したサキュドが鼻歌まじりに部屋を後にする。
だが。
その傍らでは、書状を確認していたフリーディアが、酷く焦ったような声を漏らすと共に、テミスへと目を剥いていたのだった。




