1359話 手心無き仕置き
ファントに町を騒がせていた騒動から約一週間。
警戒態勢を敷いていた事による混乱も落ち着き、町には平凡な日常が戻ってきていた。
無論。通常運転に戻ったのは町だけではなく、テミスもまた渇望した穏やかな日々を存分に満喫している最中だった。
「くぁ……ぁふぁぁ……。マグヌス~? お代わり~」
「ハッ……只今」
テミスは大きく欠伸をした後、空になったコーヒーカップを持ち上げながら、間延びした声で副官の名を呼んだ。
すると、自席で作業をしていたマグヌスは即座に席を立ち、テミスの差し出した空のカップを受け取ると、手際よくコーヒーを淹れ始める。
しかしその一方で、テミスの机の上には一枚たりとも書類の類は無く、代わりとばかりにテミスが枕代わりとしている丸められた上着が、執務机の真ん中に鎮座していた。
「ハァ~……。テミス……貴女ねぇ……あなたも仕事をしているならば兎も角、ただ怠けているだけだというのに、仕事中のマグヌスさんに給仕させるのはやめなさいよ」
「い・や・だ。悔しいが、珈琲は自分で淹れた物よりマグヌスが淹れた物の方が断然美味いからな。マグヌスが側に居るというのに、自分で淹れるなど勿体無いわ」
そんな様子を見かねたのか、隣の席でペンを動かし続けているフリーディアが、手を止めないままに苦言を呈する。
だが、テミスは当てつけるかのように机の上へごろりと身を投げ出すと、机の上に身を横たえたまま器用にフリーディアの方へと顔を向けて、皮肉気な笑みと共に言葉を返した。
「いや……私は貴女も仕事をしなさいって言っているのよ。貴方、最近何もしていないじゃない」
「そうは言うが、私の出る幕なんて無いじゃないか。各所の調整にはマグヌスやサキュドが、承認の判断も大概のものはお前で事足りる」
「だからってそう怠けていられる気が知れないわッ! そんなに暇なら、少しくらい仕事を手伝おうと思わないの? 私の分を引き受けるのが嫌なら、二人の仕事でも構わないわよッ!」
「ククッ……解ってない。解ってないなぁ……フリーディアは」
「何がよッ!?」
「今、私が出向いたとて仕事にならんさ。お前でも、噂の一つや二つは耳にしただろう?」
「っ……!!」
机の上に身を投げ出したまま、テミスが気の抜けた声で問いかけると、フリーディアは唇を噛み締めて押し黙る。
そう。平穏な日々が戻ってくるというのは素晴らしいことではあるが、それは兵達に余裕が生まれるいう事も意味していて。
その余裕は、先日の不平不満も相まって悪い方向へと働き、今兵達の間ではテミスの悪評がもっぱらの話題となっているのだ。
「仕事に出向けば自分ばかり功を求めている。鍛練をしてみれば強さを見せ付けている。何をしても誹りを受けるのだ。ならばいっそ、こうして何もしない方が誹られる甲斐もあるというものだ」
「それはッ……!!」
「フフ……テミス様らしい意趣返しでありますな。私も耳に届いた暁には注意をしておりますが、あまり堪えていないようでして……」
「……!?」
フリーディアが返す言葉を失ったタイミングで、マグヌスが暖かに湯気の立つ珈琲をテミスの前へと差し出すと、余裕を感じさせる笑みと共に会話へと参加する。
しかし、先日のテミスとのすれ違いを目の当たりにしたフリーディアには、マグヌスの穏やかな態度には違和感しか感じられなかった。
てっきり、忠義に厚い彼の事だ、いつもならば、テミスの陰口を叩いている兵達に対して堪え切れない怒りを露にする所なのだが。
「構わんさ。いや……そうでなくては困る。そういう類の毒だからな。尤も、聡い連中は既に気付き始めているようだがな……」
「えっ……?」
「コルカやヴァイセ達ですな……。彼等にも説明をしますか?」
「いいや、必要無いだろう。近しい所に止める者が居た方が良く効くはずだ」
「ハハ……確かに……。連中が真実に気が付いた時、いったいどんな顔をするのかが楽しみですな」
「ククッ……お前はよく解っているじゃないかマグヌス」
混乱するフリーディアの前で、テミスとマグヌスは意味深に笑みを交わすと、深く頷き合って話を終える。
その瞬間、フリーディアの中に在った違和感が確信へと変わり、嫌な予感が背筋を駆け抜けていった。
「テミスッ……!! まさか貴女ッ……!!?」
「なに。そう危惧する事は無いさ。ただ、噂が真実となっていくだけなのだから。今はその第一段階。さぁて……何処で気付き始めるかな……?」
しかし、その予感を言葉にする前に、テミスはフリーディアへニンマリと邪悪に微笑んでみせると、酷く愉し気にそう嘯いたのだった。




