1356話 それぞれの苦悩
テミス達とヤヤ達の戦いの翌日。
厳戒態勢を取るファントの町では、大きな騒ぎが起こっていた。
それもその筈。
ヴァイセ達の救援へと向かったはずのテミス達が、大人数の獣人たちを引き連れて戻って来たのだから。
しかも、その獣人たちの大半は青息吐息。酷く傷付いている者が大半なのだ。
「だからッ! 何度も言っているだろうッ!! 奴等には道中で襲撃を受けたんだ。決して我々だけで敵を討ちに行った訳では無いッ!!」
「しかしテミス様ッ!! 現にあなたはこうして、敵の首魁を捕えて帰還を果たされておりますッ!! 過程はどうあれ、兵達の目にはそう映ってしまうかと……」
そんな、町がある種の騒ぎの対応に追われている中。
執務室へと戻ったテミスは、待ち受けていたマグヌスと激しく言葉を交わしていた。
傍らでは、その様子を何処か楽し気な表情を浮かべて微笑むサキュドと、沈痛な面持ちを浮かべたフリーディアが口を挟む事無く見守っている。
「だったらどうしろというのだ!! 捕虜を皆殺しにして来いとでも? ならば! まずはお前がッ! フリーディアを黙らせろッ!!」
「ッ……!! テミス様ッ……!! いえ……!! 私が言いたいのはそういう意味ではなく――」
「――あぁ理解しているさ!! 解っているとも!! 兵達からしてみれば、出し抜かれたも良い所だからなッ!! だが、これ以外にどうする事もできなかったんだよッ!! どいつもこいつも自分勝手に好き放題に言いやがってッ!」
テミスは怒りに任せて苦言を呈したマグヌスへと怒鳴り散らしながら、自身の執務机に両手を激しく叩きつけた。
マグヌスとて、兵達の思いを代弁して進言しているに過ぎない。そんな彼を怒鳴りつけた所で百害あって一利すらなく、結果は部下達の信頼を失うだけだろう。
それを理解しながらも、テミスは溜め込んだストレスを吐き出すかの如く言葉を続けた。
「戦う相手を慮れ? 平穏で幸せな暮らしがしたい? 戦いで武勇を上げさせろ? 知った事かッ!!! 私は最善手を打ったはずだ!! ヴァイセは無事に戻り、特に大きな被害も無く敵を排除した!! 責められる謂れなど無い筈だッ!!」
「勿論ですッ!! このマグヌス、テミス様が苦悩し、御身を顧みる事無く戦われていると、よく知っておりますッ!! ですが、末端の兵達や町を守護する自警団の衛兵たちでは全てを知る事など到底できませんッ!! つまり、私の言いたいのはッ!! もっと御身を大切にして頂きたいという事ですッ!! 最善手でなくとも構いません!! その為の被害ならば致し方の無いものでしょうッ!! ですからどうか……そのようにご自身の名誉を……魂を削るような真似はお控えくださいッ!!」
怒りをあらわにしたテミスに、マグヌスもまた己の感情を爆発させて声を張り上げる。
そこに込められていたのは、何よりもテミスを思う忠義の心で。頂点と現場のこと両方を知るが故の魂の叫びだった。
「…………」
「ハァッ……! ハァッ……!!」
そして、まるで互いに胸の内をすべて吐き出してしまったかの如く、酷く気まずい沈黙が執務室の中を支配した。
それでも尚、フリーディアとサキュドは表情一つ変える事は無く、また横から口を挟む事も無かった。
だた静かに、真っ向から向かい合う二人の言葉に耳を傾け、行く末を見守っているだけだった。
そんな沈黙が長く続いた後。
「……すまない。マグヌス。お前は何一つ悪くなどない。お前こそ、怒鳴られる謂れなど無い筈なのにな。悪かった」
「っ……!! いいえ!! むしろテミス様がそこまで思い悩まれていたとは……我等の不徳の致す限り……ッ!!」
「だが……お前の意を汲んでやる事はできない。私の名誉のために兵に犠牲を強いるなどあってはならない事だ。将というものは常に最善手を打ち続けなければならないものだ」
「ッ……!! ゥッ……テミス……様ッ……!!!」
「それで旗下の者達が付いて来なかったのならば、向いていなかったという事なのだろう」
テミスは一転して静かな声で口火を切ると、クスリと小さな笑みを口元に浮かべながらマグヌスへの謝罪を口にした。
しかし、譲るべきではない一線を譲る事は無く、テミスは穏やかな口調のままきっぱりとマグヌスの進言を却下する。
親の心を子が知らぬように、守られている者が、自身が如何に庇護下にあるかを自覚する事は酷く難しい。
だが、自らの庇護する者にその背を刺されて尚、正しく在り続けんとするテミスの姿に、マグヌスは堪え切れず僅かに嗚咽を漏らした。
この方を決して失ってはならない。
そう深く理解すればするほど、マグヌスの心には締め上げるような痛みが襲ってきて。
「すまない……。少し頭を冷やしてくる」
テミスはそう告げて素早く席を立つと、マグヌスの傍らを通り抜けて執務室を後にして後ろ手に扉を閉める。
その瞬間。
背後からドスリと何か重たい音が響くのを聞きながら、屋上へと続く階段へと足を向けたのだった。




