1355話 白銀の意志
「フム……」
遠くから刻一刻と近付いてくる馬車を前に、テミスは小さく息を漏らすと、改めて自らの周囲へと目を向ける。
そこに広がっているのは血に塗れた平原と傷付いた兵士達。誰がどう見ても、見紛う事の無い戦場そのものだ。
たとえあの馬車を繰る者が、見ず知らずの者であっても手を貸さんとするお人好しであったのだとしても、流石にこの光景を目にすれば逃げ出してしまうだろう。
そうなってしまえば、協力を取り付けるも何も無い。
「馬車を壊さずに止めるとなると少々面倒だな……」
ならば、多少手荒であっても足を止める必要がある。
そう考えたテミスは、背中の大剣へと静かに手を伸ばすと、近付いてくる馬車に備えた。
馬車は急には止まれない。
無理に急旋回をすれば馬を失う可能性も高く、彼等がこの場からの離脱を目指すのならば、まず間違いなく急加速をして通り過ぎるはずだ。
狙いを読む事ができれば、動きを封じる事など造作もない。
ギリギリまで引き付けて前へと飛び出し、走り抜けんとする馬車をこの大剣で受け止めて強制的に停止させる。
多少の危険はあるが、その程度でほとんど詰んでいると言っても過言ではない現状を打破できるのならば安いものだッ!!
「ッ……!」
胸の中で歓喜の叫びを上げると、テミスは既に程近くまで迫っている馬車の前へと飛び出すべく身を屈める。
だが……。
「んぉ……? あれぇ……? テミス様じゃないですかッ!! こんな……所で……何……を……? って……ぅぉぉ……」
テミスの予測に反して、前へと飛び出すまでも無く馬車は速度を落として停止し、御者台からは聞き覚えのある暢気な男の声が響いてきた。
それと同時に、御者台に座っていた男がスタリと身軽に馬車から降りると、テミスの背後に広がっている惨状へと目を向けて、引き攣った笑みと共に唸り声を漏らす。
「お前……ヴァイセッ……!! 何をしているはこちらの台詞だッ!! 即時帰還命令を出したはずだぞッ!!」
「あぁ、はい! 確かに。ですから今、こうして大急ぎでファントへ帰投すべく馬車を走らせていた次第でして」
「何を馬鹿な。誤魔化されんぞ? お前達と任地の近かった連中はとっくに戻ってきているんだ。ヴァイセ、貴様……命令を無視して何をしていた?」
「へっ……!? いやいやいや……ッ!! 勘弁してくださいよ。ちゃあんと理由があるんです。理由が」
テミスは馬車から降りてきたヴァイセと言葉を交わすと、ゆっくりと怒りを露にしていく。
そんなテミスに、最初は意気揚々と胸を張っていたヴァイセも次第に顔色を青く変え、わたわたと手を振りながら弁明を口にする。
「戦ってたんです! 村を占領して好き放題やってた連中と!! たとえテミス様の命令であっても、戦いを途中で放っぽり出してどっか行っちまうなんて出来る訳がねぇ!!」
「なに……!? しかし……」
次第に熱を帯びていくヴァイセの弁明に、テミスは小さく息を呑んで驚きを露わにした。
そもそも、ファントの周辺は治安が良好だ。
魔王領側はファントとルギウス率いる第五軍団を軸に、魔王ギルティアの助力も加わった治安維持体制が整っている。
対して人間領側は、幾度となく行われた戦争の所為で寄り付く者は居らず、ならず者達さえ避ける忌まわしき地にファントが睨みを利かせているため、悪逆などという無謀な真似を働く者は居ない。
故に、この近辺を荒らし回っている野盗と言えば、ヤヤの一団くらいしか無い筈なのだが……。
「恐れながら、テミス殿。先王の崩御により、各地へ散っていた我等のような者が盗賊と化しております。恥ずかしながらその中には、我等のように目的を持たず、ただ力のままに暴れ回っている者も居るようでして……」
「なるほど……?」
すると、テミスの傍らで膝を付いていた獣人族の男が再び進み出ると、粛々とした声で言葉を紡ぐ。
確かに、その言葉を信じるのならば、辻褄は合っているが……。
「それで……? ヴァイセ。こうして戻ってきているという事は、きっちりと始末は付けてきたのだろうな?」
「勿論ですッ!! 連中、予想以上に手練れではありましたが俺達に抜かりはありませんとも! 弱きを虐げる強きを挫くッ!! 黒銀騎士団の正義を為してきました!!」
「そうか……。…………」
目を輝かせるヴァイセの報告を聞き終えた後、テミスは鷹揚に頷きながら、元の位置へと戻った獣人族の男へチラリと視線を向けた。
もしも、ヴァイセ達が片付けた連中が彼等の別動隊ならば、何かしらの反応を示すかとも思ったのだが……。
「…………」
「……。フン。ならば良い。ヴァイセ、このまま我等と合流してファントへ戻るぞ。それと……理由はあろうと命令無視は命令無視。罰としてキリキリと働いてもらう。フリーディア達を手伝って怪我人連中を馬車に積み込め」
「いぃっ……りょ……了解ですッ!! っていうかコレ、まるで戦場じゃないですか。ホントに、いったい何があったんです?」
「無駄口を叩くな。さっさと作業に取り掛からんか。話を聞きたければ手を動かしながらあいつ等に聞け」
「っ……!! 了解ッ!! ですッ!!」
堪えているのか、それとも本当に関心が無いのか。特に反応を見せない男にテミスは小さく鼻を鳴らすと、その苛立ちをも叩き込むように、ニヤリと黒い笑みを浮かべてヴァイセへと命令を下した。
そんな、ある種の理不尽ささえ垣間見える命令を、ヴァイセはビクリと背筋を正して受諾した後、思い出したかのようにテミスを振り返って質問を重ねた。
だが、その質問にテミスが応えを返す事は無く、ヴァイセは重ねられた命令に再びビクリと肩を竦めると、大慌てでフリーディア達の元へと走り寄っていったのだった。




