12話 想い、正義
そして、出立の朝が来た。
「本当に、行くんだね?」
マーサ達に拾われて十五日目の朝、朝の仕事を免除されたテミスは、食堂でマーサ達と向き合っていた。
「はい。大変お世話になりました。本当に……ありがとうございます」
心からの感謝を込めて、深々とお辞儀をする。彼女達には窮地だけではなく、私の心までも救われた。
「またいつでも戻ってきな。遠慮なんてするんじゃないよ? 私達はもう、アンタの事は家族だと思ってるんだ」
「……応援、してるから!」
寂しさをこらえて笑うアリーシャの顔に、もう心が揺らぐ事はない。彼女たちの恩に、想いに報いるためにも戦う。
「本当に楽しかったし……救われた。最後に一つだけ……わがままを言わせてください」
「ん? なんだい?」
緊張と恥ずかしさで、手が震える。だがこれは、私にとって必要な事。町娘のテミスはここに置いていくのだ。この先、正しい道を選択するために。
「やれやれ、んじゃ先にこれ渡しとくよ。弁当だ、今日の昼飯にでも食べな」
マーサは何か察したようにため息をつくと、ほんのり温かい笹の葉のような包みを手渡してくれる。
「ありがとうございます」
「私からは、これ。お守り……お揃いだよ」
アリーシャが、爪のようなものが結ばれたネックレスを手渡して、自分の首に下げていた同じ首飾りを見せてきた。
「っ……、あり、がとう……」
最後の最後まで自分の事を思ってくれる暖かな心遣いに、目頭が熱くなる。せめて、この気持ちくらいは持って行っても良いだろうか。
「……じゃあ」
テミスはアリーシャの首飾りを身に付け、マーサに貰った包みを外套の下の手提げに入れて、ドアの前で振り返った。
「……」 「っ……」 「……」
一瞬の静寂。三人の呼吸の音だけが大きく聞こえた気がした。大きく息を吸い込んで、笑顔を作る。町娘テミスとしての、最後の台詞。
「いってきます……母さん、姉さん」
口にしてすぐ頬が上気するのを感じる。恐らく、耳の先まで赤くなっているのだろう。そんな顔を見られたくなくて、振り返らずに戸を開けて歩み出す。
「ああ、行って来な!」
「テミス、いってらっしゃい!」
すぐに二人の家族の声が、背に投げかけられた。時間にすると短い時間しか一緒に居なかったが、振り返らずともはっきりと二人の表情がわかる。
「よしっ!」
テミスは頬を叩いて気合を入れると、キラキラと朝の陽ざしを反射して光る外套を翻しながら、再び魔王城への旅路を歩み始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ここが、王都ヴァルミンツヘイム……魔王城って言うから、もっと禍々しいのを予想していたが……」
ファントの町を出て一週間。テミスは外套のお陰か、さして怪しまれることも無く、魔王城のある王都・ヴァルミンツヘイムへたどり着いていた。
あれからファントの町以外にも、魔王領のさまざまな町や村に立ち寄ったが、どこも小ぎれいで活気があり、魔王が良政を敷いているのが見て取れた。
「流石に首都は、魔族ばかりか……」
一番意外だったのは、魔王領は人間領と違って旅人が多かった事だ。正確には、首都とその近隣の村や町の間では活発に交流があるようで、大きな街道を馬車が行き来していた。
「さて……どうするかな」
テミスは人ごみに紛れて巨大な門をくぐり、衛兵に目を付けられることなく町に入り込むと呟いた。
流石に魔族の首都と言うべきか、周囲に人間の姿は一切なく、立ち並ぶ店も行き交う人々も多種多様だった。
「ドワーフにエルフ……あれはワーウルフか?」
周囲に目を走らせながら、様子を伺う。領地の奥へ行けば行くほど、人間以外の種族が目立つようになり、一見しただけでは、異形の者にしか見えないような連中もちらほら見かけるようになっていた。
「人間以外の種族をひとくくりにして、魔族って呼んでるのか……?」
少し呆れてため息をつく。やはりこの世界の人間は、すこしばかり選民意識が過剰なのではないだろうか。
「フム……」
テミスは間違ってもフードが落ちないように気を付けながら、町の中心にそびえ立つ大きな城を見上げる。街の中であるにも関わらず、更に内塀で囲われている所を見るとあれが魔王城のはずだ。
「問題は、金か……」
今の時刻は昼過ぎ、できれば様子を探って準備を整えたいところだが、それでは時間が足りない。しかも具合の悪い事に、人間の使う5対1で成り立っている通貨と魔族の使う通貨は異なっていた。今までの町や村では、ファント帰りとの事で通してきたが、首都で変に目を付けられるのは芳しくない。
「別に、喧嘩をしに来た訳じゃないし……」
わざとらしく呟いて、魔王城へと歩を進める。ここまで見た所、人魔平等の良政を敷いている王だ、案外あっさりと話せるかもしれない。
「何者だ。止まれ」
しばらく歩いて城門にたどり着き、門番の横をすり抜けようとすると、眼前に槍が突き出される。
「そりゃそうか……魔王様に謁見させていただきたいのですが」
「できる訳ないだろう。馬鹿なことを言っていないで、さっさと……待て。お前、外套を取ってみろ」
「っ……何故ですか? 私は、魔王様に聞いていただきたい事が――」
違和感に気が付いた衛兵の槍に力が籠る。この状況で外套を取るのは非常にまずい。何とか話を逸らして、せめて上に確認を取るくらいはさせないと……。
「お前のような怪しい奴、通せるわけが無いだろう。一考してほしければ、せめてその外套を外せ」
「外套を外せば、取り次いでいただけますか?」
「ああ、だからさっさと――」
声を荒げた衛兵に気が付いたのか、様々な種族の衛兵たちが続々と周りに集まってきた。このまま騒ぎになっては元も子もないか……。
「っ……」
外套から気を逸らすことができなかった以上、この魔族が人間嫌いで無い事に賭けるしかない。テミスは、どうせ越えなければならない関門だと腹をくくって、フードを外す。
「に……人間っ!」
「魔王様と、お話をさせていただきたく――」
「敵襲! 敵襲! 人間だっ!」
そんな思いも空しく、目の前の衛兵が声高に叫ぶ。人間であるだけでこの警戒では、策を練ったところで、あまり意味は無かったかもしれない。
「待て! 敵じゃないっ! 私はただ話を――っ!」
敵意が無い事を弁明しようと試みるも、更にうじゃうじゃと出てきた衛兵達の槍が、拒絶感を露わにするように突き出される。
「人間がコソコソとこんな所まで入り込んで、バルド様の次はギルティア様を狙うか! この下郎!」
「やれやれ、聞く耳持たずか……」
ファントの町での光景が幻想か何かであるように、私を取り囲む衛兵たちの目には憎悪が満ちている。
「悪いが、こちらも退けない理由がある。正当防衛はさせて貰うぞ」
宣言してからテミスは、突きつけられた槍の一本を掴んで術を発動させた。
「錬成・バスターソード」
衛兵の持っていた槍が、光を放ちながら無骨な大剣へと形を変えていく。
「さて、これだけの人数が相手だ。加減はできないぞ」
テミスは意識して不敵な笑みを浮かべて、剣道の要領で大剣を構える。一対一の戦いですら剣術三倍段と言う言葉があるというのに、こうしているうちにも相手はどんどん増えていく。
「押し通るっ!」
気合と共に叫ぶと、横薙ぎに一閃。テミスは自らに向けられた槍を切り落として突撃する。いくら人数が多くても壁のように並んでいるのであれば、一度に攻撃できる人数などたかが知れている。
「グッ……」
しかし、明らかに多勢に無勢。横合いから突き出された槍が、外套から露わになった簡素な服を切り裂いて、浅くテミス肩を抉った。
「チィッ……やはり無茶か……」
悪態が口を突いて出る。もともと、現代の剣道は一対一を絶対の基本として型が作られている。こういった多対一の戦闘は想定されていないのだ。
「獲物だけでは、カバーできんか」
こちらの世界に来て、初めての実戦。臨機応変に適応し、失敗すれば死ぬ。ならば適応していない型なんて物は捨て去るべきだ。
「ハァッ!」
テミスは構えを崩すと、初撃の槍を切り落とした要領で身体ごと回転し、その勢いのまま兵士の壁に突入する。
「ギィッ……絶対に通す――ギャァァァッ!」
神の加護とやらで強化された膂力にものを言わせて、大質量の大剣を振り回し続ける。受ける者は吹きとばされ、突き出される攻撃も踏み砕く。
「邪魔……だァッ!」
テミスは咆哮と共に、魔王城を守る兵士の群れの中を突き進んでいく。斬り、飛ばし、潰し……城門の前に辿り着いた頃には、七色に輝いていた外套が返り血で紅く染まっていった。
「なにっ……⁉」
そのまま、息を切らせながら中に転がり込むと同時に、城門が硬く閉ざされる。
「クソッ! 罠かっ?」
大剣を叩きつけるが、小さな傷がついただけで城門はびくともしない。
「兵が居ない……?」
退路が断たれる形にはなったが、これでひとまずはやかましい衛兵共の追撃も来ないだろう。
「っ……」
大きなホールの両サイドから伸びている階段の一つに、まるで誘うように怪しげな光が灯る。
「歓迎してくれると……いう訳ではなさそうだが……」
テミスはゆっくりと周囲を警戒しながら呟いた。ここは魔王城で、敵勢として認識されている以上、敵陣のど真ん中に単身で切り込んでいるのと変わらない。
「……行くしかないか」
血に濡れてボロボロになった大剣を放って捨てると、派手な金属音を立てて魔王城の床に転がった。
「ああ、解除」
ふと、錬成した武器であったことを思い出して錬成を解除する。元の姿に戻った血濡れた衛兵の槍が、何とも寂し気な雰囲気を醸し出していた。
「錬成・ロングソード」
テミスはそんな槍に背を向けると、魔王城の床の一部を錬成して竹刀程の長さの両刃剣を創り出す。大きく振り回すことのできない室内での戦闘を想定するなら、慣れた長さの獲物が一番だ。
「さて……行くか」
テミスは一つ息を吐くと、炎の揺らめく階段を見つめて気合を入れなおすのだった。
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