1350話 毀たれた夢
――視界が霞む。
手足は軋み、身体はまるで鉛と化してしまったかのように重たい。
もう……限界だ。戦いを続ける事はできない。
身体が叫び、経験が判断を下す。
けれど……。
「…………」
ずるり。と。
脚は私のいう事など聞かず、無様に引きずりながらも戦場へ向けて進み続けた。
何を馬鹿な事をしているのだろう。戦ったとて、勝てる訳が無いのに。
もう、まともに刀を振るう力すら残っていない。
だというのに、私の中に滾る何かは、ここで倒れる事など赦さないと叫んでいて。
「ッ……!!!」
胸の内から響く声に突き動かされるようにして、私はただひたすら前へと進み続ける。
その歩みは、かつて斬った死霊術師が使役していた生ける屍のようで。
|あの凄まじい強さを持つ女ならば、こんな私など斬って捨てる程度容易い事だろう。
今にきっと、この苦しみを終わらせてくれる一太刀が来る。
……そう、思っていたのに。
「がッ……ァッ……!!!」
全身がばらばらに千切れてしまったかのような痛みを堪えながら顔を上げ、前を見る。
そこには、仲間達の元から進み出たテミスが、静かにこちらを見据えていて。
「ゥ……ァ……ァァァァァアアアアアアアッッッ!!!」
その顔を見た瞬間。
ドクン……と。全身の血が沸き立つような感覚と共に苦痛が薄れ、気が付けば絶叫と共に力を振り絞り、引き摺っていた刀を振り上げていた。
だが……そこまで。
前へと踏み込む力など残っているはずも無く、磨き上げた技を繰る余裕もない。
斬撃と呼ぶには程遠い無力な一撃。
当然、そのような攻撃が当たるはずも無く、テミスが悠然とその身を傾けただけで、私の渾身の一撃は虚しく空を斬った。
「ッ……!!!」
嫌だ。
負けたくない。こんな所で……ッ!!!
今度こそ斬られる。
そう直感すると同時に、耐え難い叫びが胸の内で木霊する。
けれど……もう遅い。
何が悪かったのだろう。どうしてこうなってしまったのだろう。
末期の刹那で胸の内に問いかけても、答えが返ってくる事は無くて。
「……?」
だが、この身を裂くはずの一撃も、いつまで経っても浴びせられる事は無く、私はまた無理矢理顔を上げて前を見る。
すると今度は、憎いあの人間が、間近で首を垂れる私を見下ろしていた。
そしてゆっくりと、その形の良い唇が動き、言葉を紡ぐ。
「それで終わりか?」
冷ややかな声。
まるで、溜息でも吐くかのように漏らされた、失望の籠った声。
終わりな訳があるか。絶対に許さない。
心の中でそう叫び返す。
けれど、私の喉からは朽ちた木の洞を吹き抜ける風のような、しゃがれた音が漏れ出てくるだけだった。
「――――!!!!!」
その代わりに、軋む身体は勝手に動き、身体の傍らで刀を交叉させる。
この動作は構えだ。身体に染み込む程、幾度となく繰り返したからこそ解る。
型の名を天駆閃。
天へと駆け登る鳥の如く、下段から上段へ向けて切り上げて敵の防御を崩し、羽ばたく翼を思わせる二撃目を以て敵を斬る連撃技だ。
「……。フン……」
「…………」
しかし。カキン……と。
力無く振るった刀は、悠々と突き出された漆黒の大剣に阻まれ、気の抜けた音を奏でただけに終わる。
天へと駆ける道は潰え、刃は羽搏く事なく地へと落ちた。
……無様だ。
どうして、こんな事になってしまったのだろう。
何故か動き続ける我が身を嗤いながら、私は胸の中でひとりごちる。
「……」
チャリン。カチン。と。
剣戟などと呼ぶべくもない情けない音と共に、肩から力が抜けていく。
――人間が憎い。
――本当にそうだろうか?
胸の奥底から響く声が揺らぎ、猛りをあげていた炎のような怒りも揺らぐ。
その代わりに溢れてきたのは、胸が張り裂けてしまいそうな程の悲しみだった。
――憎い。
そうだ。私は憎い。
父上を殺したテミスが。
兄上と違って戦う事しか能の無い私は、父上にとってただ都合の良い道具でしか無かったのだろう。
だからこそ、兄上は傍に置き、私は戦場へと駆り出された。そんな事は分かっていた。
けれど……命に従い首級を獲り続ければ、父上もいつかは私を認めてくれる。そう信じていた。
智の兄上と力の私。兄上が民草を統べ、私が国に仇成す敵を討つ。
いつの日か共に父上たちから国を継ぎ、父上と母上と……そして兄上と笑い合いたかったのに。
「オ……」
胸の内に封じ込めていた夢が溢れ、熱い液体が頬を伝う。
それは二度と叶わぬ毀たれた夢。眼前の仇敵の手によって千々に砕かれ、断たれた未来。
思い出した途端。止めどない悲しみが込み上げてくると同時に、萎え切っていた手足に決意が籠る。
私は……家族の仇を討つッ!!!
「お前ッ!!! がぁぁぁぁぁッッッ!!!!」
絶叫と共に一転。
私は踏み込んだ足で力強く大地を蹴り抜き、身体の傍らで交叉させた刀を鋭く振り抜いたのだった。




