1345話 嵐の先
同時刻。
己の攻撃を凌ぎ切るヤヤに、テミスは胸の内で密かな焦りを感じ始めていた。
初撃を放ってから既に、数百もの月光斬を撃ち続けている。
だが、追い詰めつつあると感じていたのはせいぜい最初の百発程度までで。
今となっては最早、こうして放ち続けている月光斬も、足止め程度の役割しか果たせていないだろう。
「フム……このまま我慢比べといくのもいいが……」
絶えず乱撃を打ち込みながらテミスは呟きを漏らすと、チラリと周囲の戦況へと視線を向けた。
フリーディア達の戦いは既に終わったらしく、自分達の奏でるもの以外に剣戟のが聞こえてくる事は無い。
故に。こちらの攻撃を凌ぎ続けるヤヤの体力が尽きるのが先か、私が月光斬を討てぬ程に疲弊するのが先かという勝負にもつれ込ませるのも一案だろう。
「厳しい……だろうな……」
だがそれは、あくまでも現状の拮抗状態が続いた事を前提とした案だ。
ヤヤはこの短時間で、既にこの月光斬の乱撃を凌ぐほどの腕と才覚の持ち主。あとしばらく続けていれば、突破口を見出されても何ら不思議ではない。
ならばその時。月光斬を撃ち続けて疲弊した身体で、ヤヤと満足に渡り合えるのか?
答えは否だろう。
今ではまだ、予想していたほどの疲労感は無いが、それでも相応の消耗は確実に蓄積していっている。
そんな余裕の無い状況で、一点突破で勢い付いたヤヤの構成を圧し返すのは、ほぼ不可能と言っていい。
「さもありなん……か……」
現状の優勢を信じて現状の維持を続けるか、多少の優勢に胡坐をかかず、多少のリスクがあろうとも、優位を利用して早々に勝負を決するか。
眼前へと引きずり出した問いに、テミスはクスリと笑みを漏らすと、皮肉気な呟きと共に月光斬を放ち続けていた手を止めた。
「…………」
「っ……! ハ……! ハッ……! ゼェッ……!!」
無数に放たれた月光斬の帯びていた光が消え、斬撃の威力が舞い上げた土煙が晴れる。
その向こう側から姿を現したヤヤは、汗を流して息を荒げ、身体の各所に刻まれた浅い傷から血を流しているものの、未だ二本の足でテミスの前へと立っていた。
だが、彼女とてかなりの消耗を強いられたのだろう。
テミスが手を止めたのを確認すると、構えていた刀を地面へと突き立て、ガクリと膝を付く。
「見事だ……と褒めるべきかな? 私としては、これにて決着としても構わんのだが?」
「ハァッ……ハァッ……!! 冗談ッ……でしょう? 貴女はまだ生きている……! 私もまだ死んではいないッ!!」
「お前の配下の兵達は既に鎮圧した。一人残ったお前が戦いを続けた所で、何かが変わるとも思えんがな?」
「――ッ!」
現状を示すかのように周囲を見渡しながらテミスがそう告げると、ヤヤもまた自身の周囲へと視線を巡らせて鋭く息を呑んだ。
そこでは、フリーディア達と戦い敗れた兵達が倒れ伏しており、少し離れた場所では、まるで一人遁走を謀ったか物を捕らえたかのように、非戦闘員らしき白衣を纏った男の背を踏み付けたサキュドが、嗜虐的な笑みを浮かべてその首元に紅槍を突き付けている。
「わかっただろう? お前達は全滅だ。お前が仮に私を倒せたとて、後にはフリーディアも、サキュドも控えている。無論……仮とはいえ私とて只でやられてやる気は無い。我が部下ながら、手負いで倒せる相手では無いと自負しているが?」
朗々と事実を突きつけながらも、テミスはヤヤが降伏するとは微塵も考えてはいなかった。
ヤヤの狙いは、自らの父を討った私の命のみ。
私の首さえ取ることができれば、後の事などどうでもいいのだろう。
故に。この問答はただの暇つぶしだ。
互いに体力を回復し、次なる剣戟に備えての小休止に過ぎない。
「なぁ……教えてくれ。お前の父……ヤトガミはお前ほどの者が命を懸けて敵を討つ程の男だったのか? 私の目には正直、過ぎたる力に溺れ、暴走した狂乱の王にしか見えなかった」
「ッ……!!! フン……魔王軍の軍団長をも務めたとはいえ、やはり所詮は人間。何一つわかっていない。いえ……わかろうとしていない」
「心外だな。わかろうとしているからこそ、こうしてお前に問いかけている訳だが?」
所詮は暇つぶし。テミスはさしたる答えが返ってくるなどと期待はしていなかったが、その予想に反して息を整えたヤヤは静かに立ち上がると、昏い笑みを浮かべて吐き捨てるように問答に応ずる。
しかし……。
「いいや、わかろうとなどしていないッ!! 真に理解しようとしていたならば、そのような言葉など出てくるはずが無いッ!! お前は知らないだろう!! 我等獣人族が如何に苦しみ抜いてきたかッ!! 同族の血を啜り、肉を食らって永らえ、貴様等卑劣な人間共を……悪辣な魔族共の喉笛を食い破らんと、恨みと怒りで牙を研いできたかをッ!!」
皮肉気にヤヤを見下ろしながら問答を続けたテミスに、ヤヤは胸の奥に封じ込めていた怒りや憎しみを解き放つかの如く叫びを上げたのだった。




