1343話 知識の光明
とは言ったものの……どうしたものかしらね……。
低い唸り声を漏らして自身を睨み付けるハルキの前へと戻りながら、フリーディアは胸の中で静かにひとりごちる。
さっきの一撃は確かに、彼の首を確実に捉えていたはずだった。
「…………」
思考を巡らせると同時に視線を先ほど斬り付けたはずのハルキの首へと向けるが、そこには切り傷一つ残っておらず、ざわざわと逆立った獣人族特有の体毛が、彼の怒りを物語っていた。
「っ……!! そういえば……!!」
まるで針のように逆立つハルキの毛を見て、フリーディアの脳裏を一つの可能性が駆け抜けていく。
あれはいつだったか、まだ白翼騎士団が立ち上げたばかりの小規模な新設部隊だった頃。
相対する魔族の弱点や戦い方を知るために、王城の図書館へと通い詰めていた時の事だ。
かつて最前線で激しい戦いを繰り広げていた騎士だった司書のおじいさんが、本を読み耽る私を見かねて教えてくれたんだ。
「心応魔装……。扱うことの出来る素質を持つ人は少ないと聞いたのだけれど」
曰く。一部の獣人族は強い激情を抱く事で、その身体を強化する事ができるらしい。
その効果は、速力の上昇であったり、膂力の上昇であったりと各個体……個人の資質によって異なると聞くが……。
「恐らくは体毛の変質……。いいえ、それだけではないかもしれない。もしかしたら、魔力を纏った毛が鱗のような役割を果たしただけで、他にも効力があるかも……」
守りの構えを取ったフリーディアは慎重にハルキの様子を観察しながら、過去の自分が収集した知識と、現在の自分が持ち得る観察眼を総動員し、一つの仮説を導き出していた。
きっと彼のあの状態は、一種の魔法を用いた強化によるものなのだろう。
しかし、明確に魔力によって導き出される事象が定められている普通の魔法とは異なり、彼等はただ感情のままに魔力を垂れ流しているだけ。
故に、胸の内の感情がそのまま魔力へと反映され、一定に定まる事の無い現象を引き起こしているのだ。
これならば、ごく一部の者しか行使できないという点も、獣人族の中で高い魔力を内包する事が条件だとするならば、一応は合致する。
「……試してみるしか無いわね」
一向に隙を見せないフリーディアを前に、唸り声を共に様子を窺っていたハルキが身を屈め始めたのを見ると、フリーディアは覚悟を決めて己の剣へと魔力を集め始めた。
もしも、刃を弾いたあの体毛が純然たる魔力で強化されているだけなのならば、魔力を纏わせた剣を叩き込む事で、魔力の伝達を乱して変質を一時的に解除する事ができる筈だ。
しかし。
「ッ……!! くぅッ……!!」
固く結んだ唇から苦し気な息を漏らしながらも、フリーディアは更に意識を集中させた。
ただでさえ、人間族は有する魔力が乏しい。
テミスの月光斬を真似る為に鍛練したフリーディアでさえ、集中に集中を重ねて、体中の魔力をかき集める必要がある。
そこまでして初めて、漸く剣に纏わせる程度の魔力を絞り出す事ができるのだ。
「グルゥァアアアアッ!!」
「――ッ!! 勿論……待ってなんかくれないわよねッ!!」
荒々しい咆哮と共にハルキが突撃を仕掛けると、フリーディアは苦々しく呟くと、自らの剣へと向けていた集中を解いて身を翻し、振り下ろされたかぎ爪をすんでの所で回避する。
そして軽い足取りで数歩の距離を取り、再び剣に意識を集中させて魔力を纏わせる作業へと取り掛かった。
「ガルァッ!! ……スッ!!! 殺スッ!!!」
「くぅッ……!!」
だが、フリーディアが防御の構えを取ったまま攻めて来ない事を知ると、ハルキは更に勢いづいて、二撃、三撃と嵐のような追撃を繰り出し始める。
その攻防はまるで、今もフリーディア達の背後で繰り広げられている、テミスとヤヤの激戦を鏡映しにしたかのようで。
止まる事の無いハルキの追撃を紙一重で躱しながら、フリーディアは皮肉気な戦況に苦笑いを零した。
「こっちも負けてられない……わねッ!!」
気合の籠った呟きを漏らすと、フリーディアはハルキの猛攻を躱していた足を止め、再び防御の構えを取る。
そして、眼前の敵が迎撃態勢を取ったにも関わらず、構う事無く追撃を続けるハルキの剣で受け止めると、その横をすり抜けるように刃を滑らせ、剣を振り抜いたのだった。




