1342話 纏わり付く迷い
これだから嫌なのよ。
剣を構え、自らへ向けてすさまじい殺意をむき出しにするハルキを見据えながら、フリーディアは胸の中でうんざりと呟いた。
復讐。敵討ち。報復。
テミスから言わせれば、その想いを成し遂げる事ができるか否かは別として、私達に向けられた彼の感情は正当なものだと言うのだろう。
だからこそ。きっと、テミスは今もヤヤと一対一で決着を付けようとしているのだから。
けれど……。
「殺して。殺して殺して。それであなたには何が残るのよ……」
フリーディアは固く剣を握り締めると、剣越しに憎しみに染まったハルキの目を見て小さくひとりごちる。
悪党を打ち倒し、その残虐と傲慢に塗れていた顔が恐怖と後悔に塗り替わる時、何よりも胸が空く……なんてテミスは言っていたけれど。
共に肩を並べて尚、終ぞフリーディアにはその感覚が理解できなかった。
たとえ相手が罪を犯した者であったとしても、その罪を赦し、間違いを正し、共に笑い合って過ごすことの出来る未来へと向かうのが一番ではないか。
「ウ……ォォォォォオオオオオオオアアアアアアアアアッッ!!!」
もはや獣人ではなく、獣そのものになってしまったかのように荒々しい叫びを上げると、ハルキは手にしていた刀を振り上げ、一直線にフリーディアへと突貫する。
そんなハルキに応ずるべく、フリーディアは静かに構えた剣へと力を籠めるが、その表情は深い悲しみに沈んだままだった。
何故なら。
怒りに任せたハルキの突進は、フリーディアにとって、躱す事も、反撃を浴びせる事も容易く、あまりにも拙かったのだ。
「せめて……苦しまないように……」
「ガァァアアッッッ!!」
胸を押し潰されるかのような苦痛を感じながら、フリーディアは自らの脳天目がけて振り下ろされるハルキの刀に剣を合わせた。
彼が今、深い絶望と悲しみの中に居るのは一目見ただけでも解る。
けれど、彼が心の底から憎む『敵』であるフリーディアには、最早何もしてあげられる事など残っていない。
取り得る手段はただ一つ。
何よりも残酷な方法で終わらせる事だけだ。
「ごめんなさい」
静かにハルキへ向けての謝罪を口にし、フリーディアは刀に合わせた剣を払うと、ハルキの手から刀を弾き飛ばした。
そしてそのまま、切り上げるようにして剣を振り抜き、一刀の下に命を絶つべく、武器を失ったハルキの首へと斬撃を浴びせる。
だが。
「なッ……!? きゃ――ッ!?」
フリーディアの手に伝わってきたのは、肉と骨を断つ感触ではなく、まるで砂地にでも斬り付けたかのような妙な手応えだけで。
しかし、フリーディアがその違和感に驚愕している暇など無かった。
手元に伝わってくる奇妙な感触に鋭く息を呑んだ直後。
猛然と振るわれたハルキの腕がフリーディアの顔面に直撃し、人間を遥かに凌駕する獣人族の膂力を以て、後ろへと吹き飛ばされたのだ。
「がッ……!? あ゛ッ……ぐぅッ……!!」
その凄まじい威力にフリーディアは地面に叩きつけられた後も数度、蹴り飛ばされたボールの如く地面を転がって止まる。
そこは、フリーディアがその背を守るべく戦っていたテミスの足元にほど近い場所で。
「クッ……!!」
「どうした? フリーディア。随分と楽しそうだな?」
「テミ……スッ……!!」
ズキズキと頭の芯に残る痛みを堪えながら立ち上がるフリーディアに、背後から皮肉気な声が投げかけられる。
突如として響いたその声に、フリーディアが思わず背後を振り返ると、頬に滝のような汗を流しながら戦いを続けるテミスが、肩越しに膝を付いたフリーディアを見下ろしていた。
「楽しい訳ッ……!! ないでしょうッ……!!」
そんなテミスに、フリーディアは半ば反射的に語気を荒げて言葉を返すと、再び前へと向き直り、自身の敵を鋭く見据える。
「フン……ならば、あくまでもこれは独り言だがな。怒りという感情は往々にして実力以上の力を引き出すものだ。死んでやらないのならば侮るな。敵は迷わず叩き潰せ。悩む事など後で幾らでもできる」
「ッ……!!」
だが。無軌道な怒りと苛立ちをぶつけた言葉に返ってきたのは、まるでその背を押すような、悠然と構えるテミスの声だった。
自身の命を差し出す事ができないのならば、ひとまず相手を倒してから考えろ。
その単純極まる内容はとても、フリーディアにとっては受け入れがたい言葉ではあったが、再び剣を構える頃には、胸の中で蟠っていた粘つく泥のような迷いが消え去っていた。
「フフ……。そうよね。そうだったわ。貴女ならそう言うわよね……。なら、私がやる事は一つだけッ!!」
変わる事の無いテミスの言葉に、フリーディアは自らの心の迷いが晴れたのを自覚すると、クスリと小さな笑みを浮かべて自らの戦場へ戻るべく足を踏み出したのだった。




