1339話 すれ違う絆
時を同じくしてサキュドの逆側。テミスの左翼側では、鋭く白刃を振るいながら、シズクが奮戦していた。
力よりも速度を生かした戦い方で、シズクは敵の集団を悉く翻弄し、生み出した隙を見逃さず切り崩していく。
とはいえ、シズクの力量では隔絶した数の不利は如何とも覆し難く、今はまだ反撃こそ受けてはいないものの、今の拮抗した状況を保ち続ける限界が近いとシズクは直感していた。
「ハァッ……!! ハァッ……!! ッ……!!」
熱く火照る体の熱を荒い息で冷ましながら、シズクは鋭い視線で眼前の兵士達を睨み付ける。
まるで、胸の中が灼けてしまったかのような痛みを発し、高速で戦場を駆けまわった脚が徐々に重たくなっていく。
そうしている間にも、眼前の兵達は油断なく武器を構え、じわりじわりとシズクへと迫っていた。
休む暇など無い。
そう頭では理解している筈なのに、シズクの足は何故か地面に根を張ってしまったかのように動かず、ただゼイゼイと荒い呼吸を繰り返す事しかできなかった。
「ッ……まさか……こんなにッ……!!」
滝のように流れてくる汗を手の甲で拭うと、シズクは自らの不甲斐なさに臍を噛んで弱音を零しかける。
こんなに、戦場における不殺が難しいとは思わなかった。
胸の中で漏らしかけた弱音の続きをひとりごちりながら、シズクは前進してくる兵達の後ろに倒れ伏す、自らが斬った敵兵へチラリと視線を向ける。
相手が同胞であるというのもあったが、なにより今の私は、テミスさんの部下としてこの部隊に参加している。
ならば、先程から共に肩を並べて戦っている二人の様に、極力相手を殺さないように戦ってきたのだが……。
「待ちな。アンタ……さっきから妙な動きだね?」
残り少ない体力で、この難局を如何にして乗り切るべきか。
シズクがそう静かに考えを巡らせていると、武器を構えた兵達の群れの中から一人、軽装に身を包んだ女兵士がゆっくりと歩み出てくる。
「戦っちゃいるが、アンタに斬られた連中は一人も死んじゃいない。なんでそっち側に居るのか……ひとつ話しちゃみないかい? 同胞サン」
「…………」
「警戒しなくてもいい。罠なんかじゃないよ。まずは自己紹介かな……アタシはミケって言うんだ」
「そんな言葉を鵜呑みにするほど私が愚かに見えますか……?」
「あぁ……っと……本当なんだけどなぁ……。今はまぁいいか。それで? 宝物を奪われたのか? 家族でも人質に取られているのかい? 大丈夫だ。アンタが奪われた物全部、アタシ達が奪い返してみせる」
「何が……言いたいのです?」
「アンタの居場所はそこじゃない。アタシ達と一緒に来な。アンタは強い……私たちと力を合わせて、薄汚い人間共を叩き潰すんだッ!!」
呼びかけて来るミケの言葉に耳を傾けながらも、シズクは油断なく周囲へと視線を走らせて最大限の警戒を絶やす事は無かった。
しかし、眼前の兵達も武器こそ構えてはいるものの、ミケが出てきてから歩みを進めてくる素振りも無く、熱っぽく語られる彼女の言葉に嘘や謀は無いように思える。
彼女は今、本心から救いの手を差し伸べているのだろうし、そこに悪意は欠片たりとも含まれていないのだろう。
在るのはただ、同胞を想う純粋な心のみ。
けれど、その想いは悲しい程に的外れで。
だからこそ。シズクは小さな笑みを浮かべて静かに首を横に振って口を開く。
「私はテミスさんに何も奪われてなんかいませんよ。こうしてあなた達と刃を交えているのも、私自身の意志です」
「馬鹿なッ!! アンタは人間がアタシ達に何をしたか忘れたのッ!? ヤヤ様はアタシ達の誇りを……尊厳を取り戻すために立ち上がっているのッ!!」
「ミケさん……でしたね。そんな時代はもう終わったのですよ。憎しみ合うよりも赦し、手を取り合う。それに、あなたがそこまでの恨みや憎しみを抱くほど、かつて誰かに虐げられたというのなら……。猶更テミスさんを頼るべきです」
「頼……る……? だって……? 人間を……?」
「はい。テミスさんは悪人を絶対に許しません。こう言っては何ですが、その容赦の無さには私ですら閉口する程です。あなたが耐え難いほどに理不尽な目に遭っていたというのなら、きっと胸が空くほど惨殺してくれますよ」
突如として現れた融和の兆しに、シズクは一縷の望みをかけて言葉を紡いだ。
本当なら、テミスさんの真の部下ではない私が、こんな事を軽々しく口にするべきではないのかもしれない。
けれど、獣人と人間。憎しみ合い、蔑み合うばかりであった両者の橋渡しをする事こそが、きっとヤタロウ様と共に融和の道を歩み、ファントへと赴いた私の役目なのだから。
「ふふ……。なんて……」
自らに課した使命に心が燃え上がるのを感じながら、シズクは誰にも聞こえないほど小さな声でぽつりと呟きを漏らした。
確かに、ミケさんと戦わずに手を取り合いたいというのは本心だ。
だけど、彼女の会話に乗った理由は、たとえこの交渉が失敗に終わったとしても、酷く消耗した体力の回復が望めるからで。
「……こんな風に考えてしまうのは、師匠譲りでしょうか?」
シズクはどこか誇らし気にそう呟くと、今も尚、自らの背後で戦い続けるテミスへ密かに微笑みかけたのだった。




