1337話 紅の逆鱗
フリーディアがテミスの背を守るべく奮闘している傍らで、サキュドもまたテミスの右翼側を守る戦いを担っていた。
深い笑顔に象られたサキュドの視線が射貫く先では、無数の武器を携えた獣人の兵士たちが裂帛の気合と共に突撃を仕掛けてくる。
しかし、対するサキュドは手にした紅槍をぐるりと回して構えを取っただけで、彼等の前へと立ちはだかったままその場を動く事は無かった。
「行くぞォォォォォッッ!!!」
「圧し潰せェッッ!!!」
「くふふ」
振りかぶられた刀の刃が、槍の穂先がサキュドを狙った白刃を閃かすも、サキュドはひらりひらりと身を翻してその事如くを躱しながら、手にした紅槍を振るう。
「ぎゃぁッ!?」
「う……ぐ……あああぁぁッ!!!」
「がはっ……!!」
一薙ぎ。また一薙ぎと、紅の軌跡が宙を疾るたびに血の飛沫が舞い上がり、獣人の兵士たちが苦悶の声をあげて倒れ伏していく。
そんな彼等を見据えるサキュドの表情は、とても残酷に、しかし何処か純粋さすら感じ取れるような、恍惚とした笑みが形作られていて。
相対する獣人の兵士たちは、眼前に形を成した恐怖にゴクリと生唾を呑み込むが、気合を以て恐怖を吹き飛ばし、足を止める事無く斬りかかっていく。
「あはァッ! 良い眼……気迫は一人前ね……。でも、愉しむには腕前が足りないわ?」
「ウオオォォォォッッ……!! ヒ……ぐゥッ!!」
笑みを湛えたサキュドがボソリとそう呟くと、戦列の中から飛び出た一人の獣人が雄叫びと共に跳び上がり、手にした刀を大きく振りかぶる。
しかし、直後に振るわれた紅槍が弧の軌跡を描いて閃くと、刀を振り上げていた右腕が中程で刈り取られた。
「…………。ふぅ……本当……つまらない。さて……私の担当はアナタで最後かしら?」
苦痛に呻く声が響く中。
サキュドの前に立っていた兵達は既にほとんどが斬り伏せられており、自らの足で立っているのはたった一人の男だけだった。
だが、まるでその時を待っていたかのように、ようやく腰に帯びていた刀を抜いて前へと進み出る男を前に、サキュドは紅槍を振り回していた手をピタリと止めて静かに問いかけた。
「……聞いていた噂とは少し違うみたいだね。これだけの人数を倒しておいて、一人も死んでいない」
「この程度の腕前でテミス様の邪魔をしておいて楽に死ねるとでも? 雑魚に用は無いのよ。後で刻んで遊ぶくらいしかできないもの」
「っ……!! 少しでも感心した僕が馬鹿だったよ。君は絶対に許さない」
「くふっ……!! アンタは、他の連中よりは少しマシみたいだけれど……」
ビシリと刀を構えた男の瞳には、確かな怒りの光が煌々と輝いてはいたが、男は他の兵達とは異なり、静かに怒りに身を委ねながらも、欠片ほども冷静さを失ってはいなかった。
「僕の名はタロ。ヤヤ様配下の百人隊長だッ!!」
「……テミス様の副官。サキュドよ」
正眼に構えた白刃の向こう側から、タロが高らかに名乗りを上げると、サキュドは浮かべていた嗜虐的な笑みを引っ込めると、名乗りに応じて口を開く。
同時に、特に構える事などせず、その手で携えていた紅槍が僅かに輝きを増し、穂先から僅かに血のような魔力が溢れ始める。
「戦いを始める前に……一つだけ。どうか訂正して欲しい」
「何よ改まって」
「君はさっき、僕の仲間達を雑魚だと嗤ったね? たとえ君に力及ばずとも、彼等は誇り高き戦士だ。それだけは訂正してくれないか?」
「ハッ……雑魚を雑魚だと言って何が悪いのよ? これだけの人数が居て、アタシに傷一つ付けられない。そのくせ口だけは一丁前で? 笑うなって方が無理な話よ」
「ッ……!!」
ゆっくりと告げられたタロの言葉を、サキュドは一笑に伏して吐き捨てるように言葉を返す。
その答えに、タロは相対するサキュドの耳にまで軋む音が聞こえてくるほど歯を固く食いしばると、瞳の中に灯る怒りの炎をより一層強く燃え上がらせて鋭くサキュドを睨み付けた。
「……そんな顔をするなら、最初から戦いなんて仕掛けて来るんじゃないわよ。アンタ達はいっつもそう。いっつもいっつもいっつもッ!!! 弱っちい癖に生意気に突っかかってきて、負けたらそうやって被害者ぶって……ムカつくのよ」
「僕も……自分達が正しいなんて思っちゃいないさ! でも……仲間の誇りを……尊厳を……命を嗤う君を許す事はできないッ!!」
まるで、自らを非難するかのようなタロの視線に、サキュドは休息に湧き上がってくる怒りを殺意へと変え、冷たい視線でタロを睨み返した。
だが、そんなサキュドの濃密な殺気を受けても尚、タロは気圧される事無く背筋を伸ばして高らかに吠えると、構えた刀を振り上げて前へと駆け出したのだった。




