124話 因果の定め
「また会ったな、ヒョードル。自己紹介は必要か?」
硬い足音を鳴らすテミスの声が、地下牢に響き渡る。
「あっ……あ……あぁっ……」
しかし、名を呼ばれたヒョードルの視線はテミスの方ではなく、自らの足元に投げ寄越されたモノへと釘付けになっていた。
「シェ……シェリルッ……」
「なっ――!?」
呆然と呟いたヒョードルの声に、拘束されたフリーディアが息を呑む。その絶望に打ちひしがれる光景を眺めながら、テミスはニンマリと頬を吊り上げた。
「私は、魔王軍第十三軍団軍団長テミスだ。さて……どうだ? ヒョードル。企みが撃ち砕かれた気分は?」
「なんだと……? そんな……そうかっ! フリーディア! き……貴様ッ! まさかッ!!」
ヒョードルはそう叫ぶと、ぐるりと体を反転させて牢の格子に拳を叩き付ける。ゴィンという鈍い金属音が鳴り響き、同時に牢まであと数歩の距離を置いた場所でテミスが足を止めた。
「ヒョードル。貴様の家はここで滅びる。別に、一族郎党皆殺しにした訳では無いがな」
「待て! 待ってくれっ! お前達に付く! 初めからそのつもりだったんだ! 書状がお前達の王の元に届いている筈だ! 」
「ヒョードル……貴方……ッ」
「まさか……まさかフリーディアがそちら側だとは思わなかったのだッ!! 私がそちらに付けば魔王軍は更に中央に潜り込めるッ……悪い話では無い筈だッ!!」
テミスが黙って息を漏らすと、ヒョードルはひとりでに的外れな命乞いを始める。奴からしてみれば、白翼騎士団から要請を受けた私がフリーディアを救いに来たように見えるだろうし、それ以外にここに私が現れる理由など思い付きすらしないのだろう。
しかし、その命乞いは皮肉にも罪の自白でもあった。
「だ……そうだフリーディア。災難だったな」
「っ……テミス……どうして貴女がここにッ……」
テミスはヒョードルを無視すると、その頭を飛び越えて檻の中のフリーディアに声をかける。その姿は痛々しいまでにボロボロになってはいたが、彼女の持つ生来の美しさは微塵たりとも損なわれてはいなかった。
「お前を助けに来た……と言った方が良いか?」
「冗談ッ! あなたがそんな事をする理由は無いわっ! ……それだったら、嬉しいけど……」
「フッ……」
顔を逸らして呟いたフリーディアの言葉に、テミスは僅かに頬を緩める。フリーディアを救うのはあくまでもヒョードルの意思を挫くため。それ以上でも、それ以下でもない。
「はぐらかさないで! 理由によっては……」
「私と戦う……か?」
「ええ」
現状がまるで理解できないという顔でテミスを眺めるヒョードルの上で、二人の視線が激しくぶつかった。傷付き、疲弊したフリーディアが私と戦うのは不可能だろう。そもそも、ガチガチに拘束された分際でそんな言葉を口にできるのは大したものだ。
「正義の為さ」
「私を助ける事に、貴女の正義の何があるというの?」
「別に、私はお前を助けに来た訳じゃないんだよフリーディア」
テミスはそう言うと薄く頬を吊り上げ、足音を鳴らしながらヒョードルの元へと歩み寄った。
「お前の撤退の判断は正しい。あれ以上の戦いは互いに無駄な消耗を垂れ流すだけだ。敵である私が保証してやろう」
「っ……!」
「だと言うのに? それを理由に捕まっただと? 言ったはずだフリーディア。私は悪を討ち滅ぼすと」
テミスは語りながら傍らのヒョードルの肩に手を添えると、そのまま後ろへと引き倒して地面へと叩き付けた。
「何をっ――」
「私がこの男を……ヒョードルを撃ち滅ぼしに来ない理由はあるまい?」
「なっ……馬鹿なッ……そ、そんな理由――ぐぶッ!」
そう宣言するとテミスは腰の剣を抜いて切っ先をヒョードルへと向ける。途中、自らの立場を正しく理解したヒョードルが声を上げたが、テミスは鳩尾を踏みつけて黙らせた。
「貴様のような見下げ果てた悪党には理解できまい? 他者を貶め、その屍と怨恨の上をのし上がる貴様には……自らの姿の醜さなど理解しようも無いだろうな」
「待ちなさいっ! なら……なら何故シェリルさんまで殺したのっ!? 彼は――」
「奴にお前を助ける気など毛頭ないさ。奴も同類……この下種と同じように、自らの事しか頭にない人種だ。その証拠に、お前はいまだに獄に繋がれているでは無いか?」
フリーディアの問いかけに答えながら、テミスは足をグリグリと動かして足の下のヒョードルを責め立てる。無論。ヒョードルがあげる苦悶の声など一切無視して。
「でも彼は私に約束をしてくれたわっ!」
「なら聞くが、一度でも奴が食事を運んできたことはあるか? 一度でもお前のその傷を診ようとしたことがあったか?」
「っ……それは……」
「フン。それが証拠だ……さて? 待たせたようだな、ヒョードル?」
テミスはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、足元のヒョードルへと視線を落とした。先ほどから何とか逃れようともがいていたが、ナイフの一本すら持たないただの人間の膂力では、テミスの足から逃れる事は叶わなかった。
「待て……やめろっ……」
仰向けに地面に転がされたヒョードルにテミスは腰をかがめて顔を寄せると、顔を凶悪に歪めて口を開く。
「貴様の企みは騎士団によって暴かれる。最後の足掻きで屋敷ごと騎士団を道連れにしようとした貴様の企みは、最後の最後まで実を結ぶ事無く潰えるのだ」
「待ってくれっ! 情報! 情報だっ……! 私のよく知る冒険者将校が一人、連絡を寄越してきたんだっ!」
「聞く耳を持たんな。信憑性の欠片も無い。貴様たちの築いた地位や名誉は地に堕ち、ヒトを裏切ろうとした卑怯者として歴史に名を残す事になるだろうな」
「やめろ……頼む……それだけは……」
「お前はそうやって懇願する奴に、何と答えていたんだろうな?」
「そ……それはっ……ヒィィィッ……!!」
命乞いを続けるヒョードルの言葉を切り捨てると、テミスは邪悪な笑みをでヒョードルへと嗤いかけた。心の底からヒョードルの破滅を喜んでいるその表情は、彼に深い絶望を抱かせるには十分だった。
「やれやれ……下らん幕切れだ」
テミスがそう呟くとその右手が閃いて甲高い音を立てた。直後、絶望の表情で固定されたヒョードルの首が転がり、牢獄の床に血の海が広がる。しかし、つまらなさそうな口調とは裏腹に、テミスの顔は狂喜の愉悦を湛えていた。
「そう言う訳だ。悪いが、私の正義に付き合ってもらうぞ?」
テミスは事も無げにそう言い放つと、牢獄の格子ごとフリーディアの拘束を切り裂いて微笑んだのだった。
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2020/11/23 誤字修正しました