1328話 恐怖の中で安寧を
「よし……総員止まれ。夜が明けるまでここで休息を取る」
ファントを出立して数時間。
救援部隊を率いて馬を走らせ続けたテミスは、次第に速度を落として馬を止めると、背後に続く仲間達を振り返って静かに告げた。
辺りは既に夜の闇に包まれており、これ以上無理をして馬を走らせ続けては、夜眼が利く自分とサキュドは兎も角、シズクとフリーディアが危険だと判断したのだ。
その危惧を証明するかのように、隊列は縦に大きく形を崩しており、戦闘を駆けるテミスのすぐ後ろにサキュド、そこに少し遅れてシズクが続き、最後尾をフリーディアが食らい付いていた。
普段は何事もそつなくこなすフリーディアであったが、今回ばかりはそうもいかなかったらしく、さきほどシズクから数秒遅れて到着すると、色濃い疲労を露わにしてまるで干された洗濯物の様にぐったりと馬の背に身を預けている。
「……サキュド。火起こしや諸々の事は我々がやろう。そちらの方が早そうだ」
「はぁい。ったく、だらしないんだから……」
そんなフリーディア達の様子を見たテミスは、言うが早いか自らの馬に結わえ付けていた荷物を下すと、手早く野営の準備に取り掛かった。
それに追従するように、サキュドもまた全身に薄っすらと赤い光を纏って宙に浮くと、自分が乗ってきた馬に背負わせていた荷物を地面へと下す。
「フフ……そう言ってやるな。しっかりとついて来れているだけ大したものだと思うぞ」
「えぇ~……? そうですか? 最後の方なんてテミス様、アイツらに合わせてかなり速度を落としていたじゃないですか」
「部隊とはそういうものだ。無理に急がせた所で損しかあるまいよ」
僅かに輝く星明りと月明りのみが降り注ぐ中。
テミスとサキュドは暗闇をものともせず、穏やかに言葉を交わしながら組み上げた薪に火を灯した。
瞬間。
ボゥッ……! と音を立てて燃え上がった炎は揺らめくと、闇を押し退けるようにして煌々と周囲を照らし出す。
だがそれに伴い、月明りや星明りが照らしていた遠い景色は闇へと消え、そのある種異様な光景は、闇を払っているこの焚き火の周囲だけが、正常な世界であるかとすら思えてくるようだった。
「そういうもんですかねぇ……?」
「あぁ。それに、明日には戦闘も予測されるんだ。どちらにしても休息は取るつもりだったからな」
「では……せいぜいその戦果に期待しましょう。さ……テミス様、こちらへ」
「ン……ありがとう」
他愛のない会話を続けながら、サキュドは近くから倒れた丸太を引きずって来ると、焚き火の傍らにドスリと置いてテミスへを導いた。
その好意を受け入れて、テミスは礼と共に丸太へ腰を下すと、己の身体が長い時間馬を操っていた疲れを認識し始めるのを感じながら、シズクの手を借りて崩れ落ちるように馬から降りるフリーディアへと視線を向ける。
「…………」
実際、大した奴だ。と。
テミスは焚き火の方へ、這う這うの体でフラフラと近付いてくるフリーディアから目を離さぬまま、胸の中でひとりごちる。
我々が駆け抜けて来た道は、一応は町と町を繋ぐ街道であるとはいえ、街灯などという親切極まりない設備など存在しない。
つまり、日が暮れれば辺りは明かり一つ見えない宵闇の中という訳で。
仮に前を走る我々が多少の目印になっていたとしても、そんな闇の中を馬で駆け続けるという行為は、例えるのなら目を瞑って自動車のアクセルを踏み続けるに等しい恐怖があったはずだ。
「随分とお疲れだな? フリーディア。夜道を駆けるのはそんなに怖かったか?」
だが、ここで馬を降りた事によって緊張が解け、食事を取る前に眠りこけられても困る。
そう、新たな危機を感じ取ったテミスは、努めてその顔を皮肉気に歪めると、自分はピクピクと痙攣する内腿を揉みほぐしながらフリーディアを挑発した。
「あ……当り前でしょう……!! 正気じゃないわよ……!! こんなの……ッ!!」
けれど、フリーディアにはもう皮肉に食らい付く余裕すら残っていなかったらしく、声を震わせて目尻に涙さえ浮かべながら、剥き出しの感情をテミスへとぶつけていた。
「っ……! クク……あぁ、よく頑張ってくれた。お前ならばついて来られると信じていたよ。歯を食いしばり、目を凝らして、我等の背だけを追ってくる事ができるとな」
そんなフリーディアに、テミスは一瞬だけ驚いたように目を見開くと、油の切れた機械が軋むような鈍い動きで腰を上げると、フリーディアの肩を抱き寄せて共に地面へと座り込む。
「グス……ごめん……この借りは返すわ。だから……もう少しだけ……」
「あぁ、構わないとも。大丈夫だ。手も足も付いている。生きてここに辿り着いているぞ」
「あのフリーディアさんが……。よっぽど怖かったんでしょうね……」
「そういう貴女はどうなのかしら? ずいぶん平然としているけれど?」
「私は……サキュドさんほどでは無いですが、ある程度夜目も効きますから。全く見えない訳では無いので」
恐怖に駆られ、まるで子供のようにテミスの腕の中でその身を震わせるフリーディアを眺めながら、シズクが準備に勤しむサキュドの元へ静かに歩み寄って囁きかける。
すると、サキュドは口調こそ刺々しいものの言葉を返しながら、さり気なく己の身体を捌いてシズクの作業する場所を作ってやっていた。
「それを言うのなら、テミスさんは凄いですよね……。まるで何もかも見えているみたいに一番前を走って……」
「…………。……見えているのでしょう、きっと。なにも瞳に映るものだけが、『視えている』という訳では無いのだから」
焚き火の傍らで身を寄せ合うテミスとフリーディアを眺めながら、サキュドは肩を竦めてシズクにそう告げると、密かに息を吐いて闇空を仰いだのだった。




