1319話 朝靄の中の鍛練
「セイッ!! ハァッ……!!!」
翌朝。
朝の澄んだ空気を裂く鋭い音と共に、気迫の籠った声が響き渡る。
今はまだ、日も昇ったばかりの時間で、起き出している者の方が少ないだろう。
そんな中。テミスは一人、軍団詰所の中庭の真ん中で、ただひたすらに愛用の大剣で宙を薙いでいた。
「ッ……!! クッ……ォォッ!!」
上段に構えた大剣を右手のみで振り下ろした後、そのまま鋭く勢いを反転させて斬り上げる。
無論。使用者の思い通りにその重量を変化させるブラックアダマンタイトを以てしても、大剣を振るう右腕にかかる負荷は凄まじく、様々な力がテミスの手から大剣を引き剥がしにかかった。
しかし、テミスはそれらの力を全て膂力でねじ伏せると、自らの体の内側をミシミシと筋肉や骨が軋む音が響くのを聞きながら剣を振るい続けた。
「ッハ……!! ハァッ……! ハァッ……!!」
そこから更に数度。
テミスは漆黒の大剣を、物理の法則を捻じ曲げているかのような軌道を描いて振るった後、地面に突き立てて荒い息を吐く。
体調は万全。ルギウスとの戦いで負った傷も既に癒えており、エビルオルクを狩った時の疲れも完全に抜けている。
だが……ほんの僅かではあるが、思い描いた動きとの間にズレが生じていた。
「……鈍っているな。少々無茶を繰り返し過ぎたか?」
そう呟くような声でひとりごちった後、テミスはまるで自らの身体の動きを確かめるかの如く、剣を手放した右手を眺めながら握っては開いてを繰り返した。
きっと、身体自体に問題は無いのだろう。
仮に今すぐ、イルンジュの元へと駆け込んでこの違和感を申し出たとしても、何一つ異常が見つからない事は想像に難くない。
「フン……身体は人間の癖にこれ程の膂力だ。何かしらツケがあるだろうとは思っていたが……」
身体の調子を確かめながらテミスは皮肉気に鼻を鳴らすと、地面に突き立てた大剣の柄に掌を乗せて空を仰ぎ見る。
恐らくは筋肉が、腱が、骨が死んでいるのだろう。
もしくは、肉体の限界を超えた酷使を成立させるために施されていた何かに綻びが生じているのやもしれない。
けれど、理解の出来ない話ではない。
たび重なる大怪我を魔法という超常の理で癒し、更に常人ではあり得ない程の出力で肉体を操り続けたのだ。
むしろこの程度の代償で済むのならば破格も良い所だ。
「出来ればこのまま鍛練といきたい所だが……フム……」
力で解決できないのならば、技を磨くほか道は無い。
しかし、ただ素振りをしているだけというのも味気が無いし、手合わせの出来る相手が欲しかったのだが……。
「贅沢は言えん……か……」
考えてみたところで、剣を交える相手が沸いて出るはずも無く、テミスはクスリと笑みを浮かべて嘯いた後、再び素振りを始めるべく大剣を肩に担ぐ。
この中庭をこうして独占していられるのも、長くてあと一時間が限度だろう。
ならば、この貴重なひと時を無為に過ごすのは、犠牲となった私の睡眠時間に失礼だ。
「…………」
胸の内で呟いたつまらない冗談に肩を竦めながら、地面から大剣を引き抜いたテミスは再び静かに構えを取る。
だが、剣を構えた腕に力を込めて宙を薙ぐ直前。テミスは詰め所の門の入り口から微かな足音が近付いてくるのに気が付いて動きを止めた。
「珍しいわね。寝坊助の貴女がこんな朝早くから鍛練なんて」
「……フリーディア」
「お陰で出し抜かれた気分だわ? まさか、置いて行かれるなんて思わなかったもの」
「個人的な確認だ。わざわざお前を叩き起こしてまで付き合わせる理由が無い」
ゆっくりとした足音と共に姿を現したフリーディアは、涼し気な表情で言葉を紡ぎながらテミスへと歩み寄ると、少し離れた場所で足を止める。
そこはちょうど、互いの剣が届かない程度の位置で。
それがフリーディアからの誘いであると理解しながらもテミスは構えを解くと、肩に大剣を担いで言葉を続ける。
「それで? 何の用だ?」
「あら……言わないと分からない? 朝の散歩ついでに、鍛練に付き合ってあげるって言ってるのよ」
「ハァ……お前も大概だな。こちらは身体の調子を確かめている所だ。怪我をしても知らんぞ?」
テミスの言葉に、フリーディアは不敵な笑みを浮かべて答えると、腰に帯びていた剣を静かに抜き放つ。
そんなフリーディアに、テミスは呆れたように小さくため息を吐くが、その口角は何処か愉しそうに吊り上がっていて。
「安心しなさいな。軽く流すだけだから、怪我なんてさせないわ」
「ハッ……言うじゃないか。フリーディア」
「殺し合いじゃなくて手合わせなら、私はいつだって大歓迎だもの。さ、早く構えて」
「ならば少々、付き合って貰うとしようかッ!」
一部の隙も無く構えたフリーディアが挑発するかのようにそう告げると、テミスはゆらりと大剣を構えて叫びを上げた後、真正面からフリーディアへ向けて斬り込んでいく。
それからしばらくの間、静やかな詰め所の中庭には激しい剣戟の音が響いていたのだった。




