1316話 意識の隙間
「それでは。失礼致します。珈琲、ご馳走様でした」
職務である報告書の説明を終えると、ミシアは深々とテミス達へ頭を下げて冒険者ギルドへと戻っていった。
結局、エビルオルクとの戦闘があった川べり以外では、特に有用な情報は無かったのだが。
「……どう思う? フリーディア」
「少なくとも、敵の斥候が訪れていたと見るべきだと思うわ。焚き火が増えていたという事は、おそらく渡河をする技術も持っている……。けれど、他の場所に異常が見られないから、敵の拠点があの川よりもこちら側に来ている事は無さそうね」
「フム……結果としては、思わぬ大収穫といった所か」
ミシアに付き添ってマグヌスが執務室を後にするのを見送った後、テミスは自らの席から立ち上がると、作戦卓の前に立って不敵な笑みを浮かべた。
本来、今回冒険者ギルドに出した依頼の目的は威示行為。
こちら側の索敵行為を見せ付ける事で相手に警戒させ、侵攻を遅らせる為のものだった。
だからこそ、その過程で情報が得られるなどとは思っていなかったのだ。
「そうね。本当なら、何事も無いのが最善なのでしょうけれど、異常がある事を早めに察知する事ができたのは大きいわ」
「……だな。それにしても、魔物の死体なんざ持ち帰って何をするつもりなのやら。狩ったばかりのものなら兎も角、捨て置かれたものなんてロクな使い道もあるまい」
「それは……どうかしら? 食糧としなくても、皮や骨は扱える者が居れば立派な素材だわ」
「あのなぁ……フリーディア? 骨は確かに使い道があるやもしれんが、皮も肉同様に腐るんだぞ? それに、仮に腐ってなかったのだとしても、皮だけあった所でなめし革を作る事はできまいよ」
新たに得た情報を基に、作戦卓の上に駒を並べながらテミスが肩を竦めてそう零すと、フリーディアは真面目な表情を浮かべたまま言葉を返し、自らも作戦卓へ歩み寄るべく自分の席から腰を上げた。
だが、そんなフリーディアにテミスは呆れたように深い溜息を吐くと、まるで幼子に道理を説くかのように、ゆっくりとした口調で皮肉を告げる。
腐った死体などただのゴミ。強いて使い道をあげるのならば肥料くらいのものだろうが、町を侵略すべく身を潜めているような連中が、額に汗をして土いじりなどしているはずも無い。
「そんな事、貴女に言われなくてもわかっているわよ。でも事実、死体は全て無くなっている。なら、何かあると考えるべきじゃない?」
「確かに、我々は情報が不足している。だからこそ、かき集めた少ない情報から推測を重ねるべきではあるが……」
「……斥候を出す程の戦力。それにあの死体……詳しく見た訳では無いけれど、かなりの大きさがあったわよね? なら、一人や二人で運んだ訳では無い。つまり、斥候役だけでも小隊規模? だったら……」
フリーディアは作戦卓の傍らまで辿り着くと、小声でブツブツと呟きながら、机上に設えられた地図を見据えて目を細めた。
テミスはそんなフリーディアの姿を眺めて苦笑いを浮かべると、頭の中ではこれからの計画を練り始める。
どうやらフリーディアは、こんな尻尾の皮の先が見えた程度の情報で現状を探ろうとしているようだが、つい先日考え過ぎるなと忠告したのはどこの誰だったか。
しかし、これだけの情報では事前に立案した計画に及ぼす影響は少なく、テミスの思考はすぐに明後日の方向へと飛んでいった。
「くぁ……。そういえばサキュド。自警団の連中の様子はどうだ?」
「はい? 自警団ですか?」
「あぁ。この間の一件で、魔族……人間以外の団員が幾らか抜けただろう? この警戒下で音を上げていないかと思ってな」
「クス……いい気味だと思いますけどね、アタシは。えっと……特にまだ報告は上がってきていないみたいですよ? アタシの方には……ですが」
「フム……」
「っ……!! 待って……! もしも……もしも前提が間違っていたら……!?」
そして、思案を続けるフリーディアを尻目に、小さく欠伸をしたテミスが、ふと思い出したかのように通常業務へと戻りかけていたサキュドへ声を掛けた時だった。
それまで口の中でブツブツと呟くように独り言を口走っていたフリーディアが目を見開くと、ビクリと肩を震わせて青ざめた顔を上げて口調を荒げる。
「そうよ……そうだわッ!! ねぇテミス!! 私たちはとんでもない勘違いをしていたのかもしれないわッ!!」
「やれやれ……フリーディア。ついこの間、お前が私に告げた忠告をそのまま返してやろうか?」
「私たちはこれまで、『軍隊』を相手取っていると仮定してきたわ。でも、もしも……もしもよ? 侵略と撃滅に特化した軍隊じゃなくて、誘拐や略奪を目的とした『盗賊』だったら……? 敵の規模が変わってくるッ……!!」
「…………。何? 何故そんな話が出て来る?」
「テミス。貴女だって言っていたじゃない!! ただの野盗ではないって! 野盗でも軍隊でもなくて、軍団崩れの盗賊団だったら……?」
「ッ……!!!」
そんなフリーディアの様子に、テミスが静かに問いかけると、フリーディアは僅かに震える声でそう結論を口にした。
その瞬間。
テミスがピクリと眉を跳ねさせて息を呑み、一種の張りつめた緊張感が執務室の中を駆け抜けていったのだった。




