1313話 第三の報せ
息を切らせた伝令がテミス達の執務室へと飛び込んで来たのは、テミスが帰還命令を発してから八日後の昼頃の事だった。
その頃には既に、正気に戻ったテミスからは緊張感をも抜け落ち、若干の退屈ささえ滲みだしていた。
だが、執務室の中へと駆け込んだ伝令が顔を上げる頃には、テミス達の間から緩んでいた空気は消え失せ、堂々たる姿のみが伝令の目に映し出される。
「ほ……報告ッ!!」
「フム……」
そんな凛とした姿のテミスに、胸の内で安堵と感動を覚えながら伝令が高らかに声を上げると、テミスは小さく息を吐いて頷き、黙したまま続きを促した。
その隣では、少しだけ不安気な表情を浮かべたフリーディアが、黙って様子を見守っている。
――さて、これはどちらだろうか。
傍らから注がれるフリーディアの視線を感じたテミスは、伝令の兵が自らの前まで進み出てくる僅かな時間の間に思考を巡らせた。
帰還命令を出した部隊がファントへ到着し始めるのは、そろそろといった頃合いだろう。
だがその一方で、敵の部隊が動き始める確率も日に日に高まっている。
尤も、つい先日フリーディアが零していた妄言の様に、いっその事ヤヤの率いているであろう一団がファントの襲撃を企んでいるという予測が、全て杞憂であれば言う事は無いのだが。
「冒険者ギルドより、職員が一名テミス様との面会を求めておられます! なんでも、テミス様の出されていた特別環境調査依頼の報告との事ですがッ!!」
「ン……あぁ、そっちか……。いや……待て、面会だと?」
「は、はい。書面のみでの報告よりも、実際に冒険者たちから話を聞いた者が説明を添えた方が分かりやすい為……と」
「っ……わかった。通せ」
「ハッ……!!」
伝令の兵に伝えられたその内容に、テミスは僅かに眉を吊り上げると、鋭い口調で指示を出した。
そもそも、環境調査を名目とした冒険者の派遣は、相手方にこちらの戦力を誤認させるための欺瞞工作だ。
だからこそ、あえて危険度の低い箇所へと送り込んだのだが……。
「読み違えたか……? いや……」
「テミス」
「わかっている。報告を聞くのが先だ。マグヌス。すまないが急ぎ、サキュドを呼んできてくれ」
「御意に」
緊張した面持ちを浮かべるテミスに、傍らのフリーディアがまるで忠告をするかのようにその名を呼ぶと、テミスは静かに頷きを返して、自らの席で控えていたマグヌスへ追って指示を下す。
すると、マグヌスは即座に音も無く椅子から立ち上がり、テミスへ一礼してから足早に執務室を後にした。
今の時間帯なら、サキュドは屋上で昼寝でもしているか、訓練場で兵達を相手に暴れ回っている頃合いだろう。上手くいけば、伝令がギルドからの報告者を連れてくる前にサキュドを捕まえて来られるはずだ。
「ねぇ、テミス。冒険者ギルドって、依頼を出す度にわざわざこうして説明に来てくれるものなの?」
「いや。無い筈だ。本来ならば調査結果は書面でのみ。訪ねて来るケースとしては、事前に通達した難易度に誤りがあった場合の割増金・違約金の請求が一般的だが……」
「私たちの読みが外れて、ヤヤ達に遭遇してしまった可能性はあるけれど……。そんな雰囲気でも……無いわよね……」
「ウム……」
テミスとフリーディアは顔を見合わせて意見をすり合わせると、それぞれに首を傾げて唸り声を漏らす。
万が一、ヤヤ達と遭遇してしまったのなら、その不運な冒険者たちが生きて帰ってくる事は無いだろう。
無論。冒険者稼業に危険は付き物な訳で、腕や足を失うような大怪我や、昨夜共に肩を並べて酒を飲んだ奴が、次の日には帰ってこないなどという事は日常茶飯事ではあるのだが。
「それならば先にこちらで動きを掴めるはずだ。町の警備に出ている兵達の報告の中にも、警戒態勢を敷いてから未帰還の冒険者は出たというものは無かった」
「……だったら、ヤヤ達絡み以外の何か見付けたとか?」
「例えば……?」
「うーん……私たちの倒したエビルオルクが、実はつがいの片割れでした~……みたいな?」
「勘弁してくれ。冗談でも考えたくない。妙にありそうな所がもっと嫌だ」
「同感だわ。正直今の私達には、これ以上よそに裂く戦力なんて残っていないもの」
テミスの問いかけに、数秒間中空へと視線を彷徨わせたフリーディアが、軽い口調で答えを導き出すと、テミスは心底うんざりしたという様子で深くため息をつき、言葉を返しながらがっくりと肩を落とす。
一方でフリーディアも、先日繰り広げたエビルオルクとの死闘を思い出したのか、それとも戦力が逼迫している現状を思い返したのか、その表情は即座に渋いものへと変わってテミスに同調する。
「お待たせいたしました。マグヌス、戻りました。ムっ……?」
「テミス様? 何やらご指名との事ですが何か……って、どうしたんです?」
そこへ、カチャリと扉を開けて副官達が執務室へと戻ってくると、渋面を浮かべる二人を前に、揃ってピタリと動きを止めた。
しかし、現状を聞かされていないらしいサキュドはすぐに首を傾げると、普段通りの軽い口調でテミス達へそう訊ねたのだった。




