1310話 残り香を追って
一方その頃。
テミスとフリーディアがエビルオルクと交戦した地点より更に森の奥深くでは、三人の獣人族たちが辺りを警戒するかのように周囲へと視線を走らせていた。
一人は、すらりとした長身にくせ毛の短い頭髪をした猫人族の女で、その後ろに続くようにして、もこもことした白い垂れ耳が特徴的な犬人族の男と、薄い灰色の短い体毛が身体を覆う筋骨隆々な狼人族の男が列を成している。
「辺りに異常はなさそうね……。タロ。そっちはどう?」
「こっちも、おかしな臭いはしないよ」
「そう……痕跡からして、ヤツがこちらの方角に向かったのはまず間違い無いと思うんだけど……」
「おいミケ。あんま身を乗り出すな。ヤヤ様の奮戦を無駄にするつもりか。俺達に課された任務は――」
「――誰に口を聞いているつもりだ? ハルキ十人隊長」
ミケと呼ばれた猫人族がピクピクと耳を動かしながら身体を伸ばすと、傍らで腕組みをしていた狼人族の男が肩を掴んでそれを諫める。
しかし、ミケはギラリと鋭い視線で狼人族の男を睨み付けると、喉から唸り声を漏らしながら殺気を纏った言葉でその名を呼んだ。
「ウッ……!!」
「アンタに言われなくてもわかっているわ。そんな事よりもまずは、口の利き方を覚えなさい。ハルキ、アンタは十人隊長。私はそんなアンタ等を統べる百人隊長さ」
「クッ……す、すまねぇ……」
「すまねぇ……だって?」
ミケの言葉に、ハルキはビクリと身を震わせると、悔しさを滲ませて歯を食いしばりながら謝罪の言葉を口にする。
だが、そんな欠片たりとも謝意の籠っていない謝罪は酷くミケの気に障ったらしく、ミケは怒気を滲ませながら自らの肩を掴むハルキの手を払い除けると、怒りに顔を歪ませてハルキへと詰め寄っていく。
「グッ……ウッ……ッ……!!」
「たった今、私は口の利き方に気を付けろって言ったよな? 私より弱い癖に何だ? その態度は」
「ッ……ぅ……す……すい……ッ~~!!」
「まぁまぁ。ミケの気持ちもわかるけれど落ち着きなよ。ハルキは幼馴染でしょう? 群れの仲間は大事にしないと。それに、百人隊長っていったってヤヤ様からお役目を賜わっただけで、そんなに人数居ないしさ」
一歩。また一歩とミケが詰め寄る度に退いたハルキの背が木に阻まれると、退路を失ったハルキは新たな謝罪の言葉を口にすべく声を絞り出す。
その悔しさは、傍目から見ても一目で分かるほどに滲み出ていて。
それを見ているからこそ、ミケもハルキが足を止めて尚、唸り声を漏らしながらゆっくりと詰め寄っていた。
しかし、すんでの所で柔らかな笑顔を浮かべた犬人族の男……タロが割って入ったお陰で、ハルキの口から漏れかけた謝罪は虚空へと消えていった。
「そりゃあ……そうだけどさ……。まぁ、同じ百人隊長のタロがそう言うんなら……今回は大目に見てあげるけど……」
「ふふ……ありがとう。幸い、怪我人たちの薬草は早めにある程度見付けられたし、今日はもう少し先まで偵察してみようか」
「っ……!!」
「それはいい考えだねッ!! いつまでもチマチマと近場ばかり警戒していたんじゃいつまでたっても気が休まらないってものさ!!」
タロの言葉にミケは力無く頷くが、先程までぴんと立てていた耳はぺたりと萎えてしまっていて、明らかに気落ちしていた。
だが、その場をまとめ上げるかのようにタロがぱちりと片目を瞑ってそう提案をすると、ミケは目に見えて喜びを露わにしてその案に賛同する。
その傍らでは、戦慄と恐怖に表情を曇らせたハルキが、自らが口を挟む余地もなく進んでいく会話を、悔し気に眺めていた。
「決まりねッ! ふふっ……やっぱり行動範囲が狭いと、食糧の調達も一苦労だもの」
「そうだね。でも忘れないで。僕たちはあのエビルオルクの後を追っているんだ。絶対に気取られないように、慎重に進んでいこう」
「な……なぁ……本当に行く気なのか……? あのヤヤ様でさえどうにか追い払った相手なんだぜ? 俺達じゃどうやったって……」
上機嫌で身を翻し、弾むような足取りで歩を進め始めたミケの背にタロがそう忠告を添えた時。
緊張と恐怖による呪縛から逃れたハルキが、二人の背に向けて弱々しい声で語り掛けた。
その口調は言葉遣いこそ変わらないものの、そこには確かに未知の領域へと歩み出す恐怖と、二人の仲間を心配する思いが籠められていた。
「ハァ……ったく、ハルキ? アンタはその臆病な所を直しなさいっていつも言っているでしょう? そんなだから私やタロよりも力は強い癖に、いつまでたっても十人隊長なのよ」
「っ……!! で、でも……よぉ……」
「僕たち三人なら大丈夫だよハルキ。ミケの耳と僕の鼻なら、何か異常があればすぐに気付ける。あとは、僕とミケが本当に無茶をしていると思ったら、誰よりも慎重なハルキが止めてくれる……だろう?」
「っ~~~~!!! 分かったよ……俺だってヤヤ様に……怪我しちまった皆にたらふく飯を食わせてやりてぇし、あの野郎の居場所突き留めて安心させてやりてぇ。よっしゃ……覚悟……決めたぜッ……!!」
そんなハルキに、ミケは深い溜息と共に後ろを振り返ると、どこか呆れたような口ぶりで言葉を返す。
それでも尚、ハルキは視線を明後日の方向の地面へと彷徨わせながら言葉を濁したが、柔らかな微笑みを浮かべたタロが説得に加わると、バシリと両手で自らの頬を叩いて力強く頷いたのだった。




