1304話 臣下の誇り
「テミス様。お待ちしておりました」
武具屋に脇差しを預けたテミス達が詰め所へと到着すると、既に執務の準備を整えていたマグヌスが待ち構えていたかのように二人を出迎えた。
それは明らかな激務の前触れであり、昨日の疲労が色濃いテミスとフリーディアにとっては、紛う事無き凶報ではあったのだが。
「なぁ、マグヌス。私は今、死ぬほど眠たい。つい先ほども武具屋の主人に酷い顔をしていると言われたばかりなんだ」
「心中……お察しいたします。では、せめてもの慰みですがこのマグヌス、お淹れする珈琲はいつものものより濃いめにお出しします」
「いや、そういう事では無くてだな……」
「テミス……貴女ねぇ。ここまで来ておいて今更ワガママを言うのは無しよ? 観念なさい。あと……マグヌスさん。私も、珈琲はテミスと同じものでお願いしても良いかしら」
「フ……畏まりました」
ガックリと肩を落として背を丸めたテミスを尻目に、フリーディアは足早に自らの執務机へと歩み寄るりながらマグヌスにそう告げると、早速といわんばかりに机の上に積まれていた書類へと目を通し始める。
一方で、テミスは肩を落としたまま、ゆらり、ゆらりと覇気の無い調子で自分の席へと辿り着き、崩れ落ちるようにしてその身を椅子へと預けた。
働き者と怠け者。まるで対照的な調子を見せる二人であったが、マグヌスは口元にひっそりと柔らかな笑みを浮かべると、部屋の隅でテミス達の珈琲の準備を始める。
しかし。
「……あら? マグヌスさん。準備してくれた書類なのだけれど」
「ム……何か不備がありましたか?」
わずか数分の間に自分に割り当てられた書類の山に一通り目を通し終えたフリーディアが、首を傾げながらマグヌスの名を呼ぶ。
その声に応じたマグヌスは、手に持っていたポットを置いて素早くフリーディアへ向けてその身を翻した。
「自警団からの報告書や商店からの陳述書が見当たらないの。何処に置いたか覚えているかしら?」
「あぁ……そちらの書類でしたら我々の方に。本日の通常業務は私とサキュドで対応します故」
「そんな……! 悪いわ。かなりの量がある筈よ?」
「ふふ……これもまた副官の務め。責務であるからとテミス様方ばかりに仕事を押し付けては、我等の名折れです」
しかし、マグヌスから返ってきた答えはフリーディアに取って予想外のもので。
微笑んで答えたマグヌスの視線を追った先には、彼等の机の上にもテミス達の机の上に積み上げられたものと変わらぬ量の書類が山を形作っていた。
執務室の準備に、作業の供である珈琲などの給仕。加えてそこに、今席を外しているサキュドのように、副官としての仕事も在るだろう。それらを加味すれば、マグヌス達の仕事量は相当なものになってしまう筈だ。
だというのに、マグヌスは柔らかな表情を崩すことなく、誇らし気に胸を張ってフリーディアへと宣言した。
「っ……!! でも……」
「お心遣いだけ、有難く頂戴しますとも。ですが、早々に取り掛かられるのがよろしいかと。テミス様のご指示通り、片端から資料や情報をかき集めました故、見た目以上に量があります。その証拠に……ほら……」
それでもなお食い下がろうとするフリーディアに、マグヌスは小さく息を吐いた後、視線で指し示すように傍らのテミスへとチラリと向けると、静かな声で言葉を続けた。
そこでは、ぐったりと机の上に身を投げ出しながらも、酷く気怠げに書類を片手で持ち上げたテミスが、その中身に目を通し始めている所だった。
「えっ……!? 嘘……あのテミスが……もう……?」
「ギルファーからの資料だけでなく、現状の把握や最新の周辺環境の確認に加えて、斥候に出ている者達からの報告書もありますからな。いくらテミス様とて、いつまでも怠けたままでは居られますまい」
「……おいお前ら。わかっているだろうが、聞こえているからな? 特にフリーディア。本気で驚いたような声を出すな。私の机の上の書類。そっくりそのままお前にプレゼントしてやっても良いんだぞ?」
そんな二人に、テミスは机の上に身を投げ出したまま視線だけを向けると、ハリの無い低い声で忠告を投げ付ける。
実際、テミスは本気で全ての仕事を押し付けるつもりは無かったが、存外に効果てきめんだったらしく、フリーディアは慌てて机へ戻って書類を手に取った。
「フフ……お二方とも、すぐに飲み物をご準備いたします。あと……テミス様。一部の資料は情報共有の為、お二人に同じものを準備してありますので、書類全てをお渡しする必要はありませんよ?」
「……ったく。揶揄っているな? ハァ~……わかってるよ。やる事はやるさ」
珈琲の準備へと戻りながら、悪戯っぽい笑みを浮かべたマグヌスがそう言葉を付け加えると、テミスは苦笑いを浮かべて深い溜息を吐いた後、机の上に投げ出していた身体をムクリと起こして仕事に取り掛かったのだった。




