121話 襲撃準備
燃えるような夕陽が町を照らす中、テミスとフィーンは息を殺してその時を待っていた。
眼下には広大な庭を持つヒョードルの館が鎮座しており、その周りを監獄など比べ物にならない程の数の私兵が固めていた。
「流石の白翼もアレには苦戦するかもな……」
「えっ? そうですか? 魔王軍の精鋭と日々鎬を削っている彼等なら心配ないのでは?」
テミスがそう呟くと、隣で様子を観察していたフィーンが小首をかしげて問いかける。
「いや……連中は格上相手の多対一の戦いには慣れているが、自分達の方が数的劣勢に置かれる戦いは不慣れだろう」
「ああ、なるほど……テミスさんが言うと更に説得力がありますね」
「フン……」
フィーンがそう返すと、テミスは不満気に鼻を鳴らして眉をひそめる。
見たところ、単純戦力で言えば白翼の方が上だろう。しかし、主戦力であるフリーディアを欠いた上にミュルクも不在となれば戦力は半減。それに加えて準備期間の少ない突発的な戦闘と、こちら側の不利を論えばいくらでも出てくる始末だ。
「急ぐ必要があるかもしれんな……」
テミスはそう呟くと、更に注意深く敵陣の様子を観察する。典型的な外周防衛の守り方だ。庭内には数えるほどの兵士しかおらず、その殆どが外壁の外をうろついている。この分では、館の中には兵士が配置されていない可能性も十分にあり得るだろう。
「ええ。ミュルクさんの事もありますしね」
「ミュルク……か」
テミスはため息を吐くと、あの愚直な騎士の顔を思い浮かべる。
あの時、自信満々にミュルクが言い放った策は、テミスからしてみれば無謀極まりない提案だった。
「囮の囮……言うは易いが、奴が簡単に捕まればそれだけ援軍が早く来る事になる」
テミスは苦々し気に呟いて、夕陽に沈む街を眺めた。
いまもきっと、ミュルクはこの町のどこかで監視役の連中と鬼ごっこを繰り広げているのだろう。
彼の役目は、派手に動く事で白翼騎士団に張り付いている監視の連中の目を引き付け、奴らが自由に動けるようにする事だった。故に、白翼がここに到着した時点で半分は果たされる。とはいえ、援軍の到着を遅らせるに越した事は無い。
「あとはフリーディアが何処に捕らえられているかだが、恐らく地下だろうな」
「よくわかりますね。もしかして、事前に調べてました?」
「いや……見たところ格子窓が無いからな」
「ああ、なるほど」
フィーンは納得したように頷くと、屋敷の方へと視線を戻した。目線からして兵士の数でも数えているのだろうが、テミスとしてはもう一つ懸念している事があった。
「フィーン。お前の言っていた奴の息子……シェリルだったか……どう見る?」
「シェリルさん……ですか?」
テミスが問いかけると、フィーンは再びテミスを見て首をかしげると、思案するように顎に手を当ててから口を開いた。
「特筆する事は無い普通のお坊ちゃまかと。ヒョードルはアレですが、彼の方はそれなりの騎士道は持っているようですしね」
「フム……お前はそう見るのか……」
「何か気になる事でも?」
「まぁ……な……」
テミスはそう曖昧に返しながら、伝え聞いたシェリルの言葉を思い返した。フィーンによれば奴は確かに、フリーディアを妻とする前提で話しを進めているように思う。ただしそれがヒョードルの前だけでの建前であり、上辺である可能性も否めないのだ。
「奴が騎士道精神を持つ者なら、何故フリーディアを救わない?」
「えっ? それは……ヒョードルの監視が厳しいとか……家には逆らえないからなのでは?」
「否だな。ヒョードルが四六時中監視できるとは思えんし、息子ならば見張りを騙して連れ出す事くらいは容易だろう。そして、相手によって手の平を返すような人間が騎士道精神を持ち合わせているとは思えん」
テミスはミスからの心のつかえをフィーンに語ると、何となくだがシェリルの正体が見えてきた気がした。
要はヒョードルと同じ穴の狢。シェリルは今、何もしなくても全てが手に入る状態なのだ。自らの手を動かさず、意地汚く甘い汁だけを啜りに集り、自分に被害が出そうになった瞬間に掌を返す。あの世界にも掃いて捨てるほど居た一番胸糞の悪い寄生虫だ。
「フィーン。ひとつ賭けをしないか?」
「賭け……ですか?」
「ああ。シェリルだ。奴が悪党ならば、お前はこの先、私の情報屋としてこの町の情報をこちらに流す役目を担ってもらう」
「や……やはは……かなり金額が高いですね……」
テミスが不敵な笑みを浮かべてそう告げると、笑みをひくつかせたフィーンが乾いた笑みを浮かべて言葉を続けた。
「……と言う事はですよ? 私が勝った場合はそれなりのモノが戴けるのですか?」
「無論だ。私の全てをかけて、魔王に取材させてやろう」
「へっ……!? 魔王って……あの魔王……魔王軍の長であるあの魔王ですか?」
「ああ」
「乗りますッ! 絶対ですよ! 魔王との取材。約束ですからねっ?」
テミスが頷くと、フィーンは間髪入れずに賭けを承諾すると、鼻息荒くテミスに詰め寄る。彼女にとって敵側の魔王との対話は魅力的だろうが、多少なりとも奴の人となりを知る私にとしては、面倒くさがりこそすれど、面白がって受けるように思える。
「勿論だ。っと……やっと来たようだな。私達も準備するぞ」
「わかりましたっ!」
眼下で雄叫びが上がり、屋敷の周りに居た兵士たちと、白い翼の描かれた旗を掲げた一団がぶつかり合う。
それを眺めながらテミスは身を翻すと、薄く頬を歪めて屋敷に向けて走り出したのだった。
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