1301話 遺されし王女
――夜々。
真実が判明してしまえば、なるほど名前に聞き覚えなど無い筈だ。
今の今まで気付く事の出来なかった己の迂闊さを呪いながら、テミスは胸の中で独り言を漏らした。
だが、見覚えはある。シズクの描いた文字の軌跡を見て初めて確信した。
その名が記されていたのは、ギルファー出立の直前にヤタロウから渡された書類の中。
つまりは、ヤタロウに背いた者たちの名を記した手配書の中に、奴の妹は名を連ねていたという事で。
しかも、ヤタロウはその事実を私に告げる事無く、ただの離反者として突き出したのだ。
「奴の妹だと知れば躊躇うとでも思ったのかッ!? この私がッ……!? 舐められたものだ……あぁ!! 舐められたものだなッ!!」
「っ……!? テ……テミスさん……?」
「…………」
胸の中を反響する事実に、テミスは遂に堪え切れずに怒りの叫びを上げると、チビチビと傾けていたジョッキの中身を一気に飲み干した。
聞けば、ヤタロウの母たる王妃・クズミはあの戦いの中、猫宮の一族によって討ち取られたらしい。ならばこの夜々を除けば、自らの父であるヤトガミを討ち倒したヤタロウに残された血縁は一人も残されていない事になる。
そんな唯一の肉親でさえ、敵として己が前に立ちはだかっているのだ。
外様のテミス達には、ヤタロウの心中を推し量る事はできても、真の意味でその苦悩を知る事は永劫叶わないだろう。
ましてやその妹の情報を、ただの外敵として売り渡すのには、想像を絶する苦しみと葛藤があったはずだ。
だが。
「下らん気遣いをしやがって……忌々しいッ!! そもそも、生け捕りを狙った程度で私が敗れるとでもッ……!? 何の為の友好だッ。友だと抜かしたあの言葉は偽りだったのかッ……?」
容易に想像できる苦慮だからこそ、テミスはヤタロウがその事実を自分に伏せた事が腹立たしかった。
国を率いていく王であるが故に、己の感情を、希望を押し殺さなくてはならない事があるのは承知している。
それでも尚。
死を以て決別する事を決断する前に、相談の一つくらい持ち掛けるのが友と云うものではなかろうか。
地獄のような苦しみの中にあって尚、頼られなかった悔しさが、怒りとなってさらにテミスの心に薪を投じる。
「……そろそろ満足した? 満足したなら説明をして貰えるかしら?」
「フゥ~……ッ! フゥ~……ッ!!」
己が悋気をまき散らしたテミスがふと我に返ると、眼前ではシズクとカガリがテミスの放つ怒気に怯え、椅子の上でその身を縮こまらせていた。
けれど、真隣に腰を落ち着けているフリーディアは驚く素振りすら見せる事は無く、荒々しく熱い息を吐くテミスへチラリと視線を向けると、ふてぶてしささえ感じさせる口ぶりで問いかけた。
「ッ……!!! チッ!!! あぁ……ヤヤの名前は以前ヤタロウから渡された離反者リストにその名が載っていてな。曰く、友好を結んだファントを敵視する可能性が高いとか」
「ふぅん……それで何でそんなにテミスが怒るのよ?」
「何ィ……? 怒って当然だろう? やむを得ずとはいえ、私は既に奴の父親をこの手にかけているのだぞ? そのうえ、お前は妹まで奪えというのか?」
「らしくないわね。それとも、改心したのかしら? 悪逆の芽は全て刈り取る……それが貴方の信条だったと記憶しているのだけれど」
「っ……!!」
悠然とジョッキを傾けながら冷たく言い放つフリーディアに、テミスは返す言葉を失って黙り込んだ。
確かにその通りだ。
ヤヤがヤタロウの妹だろうと、この世に最後に残った唯一の肉親であろうと関係は無い。
もしも、ヤヤがその力を以て力無き誰かを害する悪逆の輩ならば、私はただ力を以てこれを誅するのみのはず……。
「……私としては、別にこのまま気付かないで居て貰った方が良かったのだけれど。今の私は貴女の側付きだから」
「数日私の後ろを付いて回った程度で、一丁前に助言のつもりか?」
「いいえ。苦言よ。これまで幾度となく貴女と剣を交え、何度も共に戦ってきた私からのね」
「…………!」
静かに、そして凛々しくそう告げたフリーディアに、テミスは驚きに目を見張りながらしばらくの間視線を送ると、不意に口角を吊り上げて不敵な笑みを浮かべた。
そして。
「ハッ……そういうお前は、随分とらしい調子が戻って来たようじゃないか」
会話に立ち入る隙を見極めるのを諦め、机上に並べられている料理へと意識を向けたシズク達の前で、テミスはすまし顔でジョッキを傾けるフリーディアへ向けて皮肉気に言葉を返したのだった。




