1300話 秘されし真意
「以上の点を踏まえて考えますと、この脇差しの持ち主は恐らく……ヤヤ様かと」
三人の意識が脇差しへと集中し、会話が途切れた隙間を縫って、シズクの静かな声が結論を述べる。
だが、フリーディアは勿論として、テミスも至極当然であるかのように告げられた名に聞き覚えは無く、剝き身の刃へと向けられていた二人の視線が、続きを促すかのようにシズクへと向けられた。
「えぇ……っと?」
「ごめんなさい。実際にギルファーへ行ったテミスとは違って、私はそちらの事情に疎くて……良ければ、どんな方なのか教えて貰えるかしら?」
「あぁ……そうでしたね。失礼しました」
その視線に首を傾げたシズクだったが、テミスが口を開く前に身を乗り出したフリーディアがそう問いかけると、納得したかのように頷いてから『ヤヤ様』とやらについて語り始める。
その隣で、テミスは他でもないシズクを相手にこのような手を使う事に少しばかり良心の呵責を覚えながらも、あえて沈黙を貫きながらその説明に耳を傾けた。
「ヤヤ様は現・ギルファー王であらせられるヤタロウ様の妹君です。ヤタロウ様が思慮深く頭脳明晰であると称されるのに対し、ヤヤ様は大変腕が立ち、その実力は我等猫宮に並ぶとも劣らずとまで謳われておりました」
「ホゥ……?」
「へぇ……凄い方なのね。是非一度、お手合わせをお願いしたいわね」
「それは……その……やめておいたほうがよろしいかと。ヤタロウ様はこうしてファントと友好を結ばれるほど他種族の皆さんに対して歩み寄られる方ですが、ヤヤ様は……どちらかというと、先王・ヤトガミ様のお考えを色濃く受け継いでおりまして」
「あぁ……なるほど」
自らの立場の事もあるのだろう。
シズクの言葉は非常に歯切れが悪く、加えてオブラートに何重も包んだかのように婉曲な表現となっていたが、それを聞いたテミスはふと納得したかのように言葉を零すと、小さく頷いてみせた。
つまり、ヤヤなるヤタロウの妹は、他種族を憎む典型的な獣人族なのだ。
以前に相まみえたシズクの祖父であるセンリ然り、転生者たちを深く憎んでいたシロウ然り、憎しみと暴力に取りつかれた輩は得てして話が通じないもの。
だからこそ、ヤタロウもそんな自らの妹の存在を、テミスへと伝える事はしなかったのだろう。
尤も、ギルファーではさんざん私の事を利用して暗躍していたヤタロウの事だ。このヤヤの一件にも、何かしらの意図が隠れている気がしないでもないが。
「ヤトガミ……さんって確かテミスが戦ったって人よね? なら……んん……あまり他国のこういうことに首を突っ込むのは良くないかしら……?」
小さな笑みを浮かべるテミスの隣で、何かを思い悩むかのように喉を鳴らしたフリーディアは、最終的に助言を求めるかのようにテミスへと問いかけた。
今は付き人などという役柄に収まっているとはいえ、フリーディアとてロンヴァルディアに戻れば一国の姫君なのだ。こういった王権絡みの諸々の問題には、幾らか思い当たるフシがあるのだろう。
だが。
「そんな事よりも今は、それ程の戦力を持つ他種族嫌いの者が、このファントの近くに居るかもしれないという事の方が問題だろう」
「っ……!! そ、そうよ! それだわ! 王女だからてっきり、ギルファーに居るものだと思っていたのだけれどッ……!!」
本題から逸れ始めた話題を戻す為にも、テミスは小さく肩を竦めてフリーディアへと言葉を返す。
すると、フリーディアはまるで天啓を得たと言わんばかりに体をビクリと震わせた後、再びその爛々と輝かせた視線をシズクへと向ける。
「それは……その……すみません。私の口からは……。テミスさんに聞いていただけると」
「あぁ……そうよね。ごめんなさい。配慮が足りなかったわ」
「ン……?」
しかし、フリーディアの熱の籠った視線を受けたシズクは、手にしていたジョッキを抱えるかのように両手で包み込むと、肩を落としてモゴモゴと口ごもった。
けれど、シズクの口ぶりはまるで、テミスであれば何故このヤヤという姫がファント近郊に居るかを知っているかのようで。
納得したかのように頷いた後、シズクに謝罪をしたフリーディアがその矛先をテミスへと向ける傍らで、問答に違和感を覚えたテミスは再び自らの記憶を遡り始める。
ヤタロウに妹が居たなど初耳だ。酒の席でも、交渉の場でも、間違い無くその事実が私に共有される事は無かった。
だというのに、シズクの口ぶりはまるで、私ならば知っていると確信しているかのようで。
「と、言う事らしいけれど……テミス? むぐっ……!」
「っ……! シズク。そのヤヤという王女。名は何と書くんだ?」
「あ……はい。夜に々……と書いて『夜々』……様です」
ふと、脳裏に走った閃きを確かめる為、テミスはこちらに身を乗り出してくるフリーディアを押し退け、胸の高鳴りを押さえてシズクへと問いかけた。
もしも、この閃きが正しかったのなら、とんだ気遣いをしてくれたヤタロウには、次その顔を見た時に文句の一つでもぶつけてやらなければならんが……。
「ッ……!! やはりかッ……!!! あの大馬鹿がッ!!!」
テミスに問われたシズクが、机の上に指で文字を描いた瞬間。
己の予感の的中を確信したテミスは、思わず固く食いしばった歯の隙間から、零れるように苦々しい怒りを滲ませたのだった。




