1292話 活路の先
ブシュゥッ!! と。
赤黒い鮮血が中を迸り、ドロリとへばり付くような鉄の匂いが辺りに立ち込め始める。
同時に雷鳴のような獣の悲鳴が森の中に響き渡り、エビルオルクの巨体がグラリと大きく傾ぐ。
それは紛れもなく、テミスの放った一太刀がエビルオルクの頑強な毛皮を断った証であり、漸くこぎつけた有効打であった。
「よし……まずは一太刀……。――ッ!?」
しかし、二人がかりで作った隙を突いたとはいえ、ただ一太刀を浴びせただけ。
有効打ではあるものの致命傷には程遠く、こちらの攻撃が通る事が証明されただけに過ぎない。
故に、ここからは更に慎重な戦術の組み立てが必要となってくる。
振り抜いた剣を再び構え直しながら、テミスは冷静にそう考えていたのだが……。
「フリーディアッ……!? 何をッ……!!?」
テミスが一太刀を入れた隙に、エビルオルクの背にしがみついたフリーディアが離脱する。
そう考えていたのはどうやらテミスだけだったらしく、フリーディアは逆に大きく傾いだエビルオルクの背を肩の上までよじ登り、驚きに息を呑むテミスの眼前でショートソードを振りかざしていた。
「貴女らしくないわよテミスッ!! こじ開けた活路は……貫き通すッ!!!」
「ギャォォッォオオオオオオオッッ!!!」
フリーディアは不敵な笑みを浮かべて凛と叫びをあげると、振りかざした剣をエビルオルクの右目へと突き立てる。
瞬間。眼窩を貫かれたエビルオルクはテミスに斬られた時よりも痛烈な悲鳴をあげ、己が身に走る激痛にのたうち回った。
そんなエビルオルクの上から、フリーディアは一足飛びに高々と跳びあがり、長い金色の髪を宙にたなびかせながら、テミスの隣にスタリと身軽に着地する。
「……でしょ? そんな無茶苦茶な貴女の作戦に、私は何度苦しめられた事か」
「っ……!! フン……。勘違いをするな。私だってやりたくて無茶をしている訳では無い。必要に迫られたが故に、仕方なく取った最善の手がそうであっただけの事」
「あら? そうだったの? なら、私達もテミスをそこまで追い詰める事ができていたって事ね」
「……!! チッ……」
互いの顔を横目で見合いながら、テミスとフリーディアは軽口を叩き合うと同時に、ヒャウンと甲高い音を響かせて剣を振るい、己が剣に付着したエビルオルクの血を振り払った。
確かに、結果的にフリーディアの選択はエビルオルクから片目を奪い、状況を一気に好転させた。
しかしそれは、痛みに悶えるエビルオルクの肩の上という不安定な足場で、かつ眼窩という小さな的を、瞼に阻まれる事無く貫く必要がある危険な賭けであり、万に一つ失敗を喫していれば、今テミスの眼前には無残に中身をぶちまけたフリーディアの骸が転がっていた事だろう。
「……ねぇ、テミス。今なら月光斬で止めを刺せないかしら?」
再び剣を構え直したフリーディアが、その身に走る慣れない激痛を堪えながら、ゆっくりと立ち上がるエビルオルクを見据えて静かに問いかけた。
事実。今テミス達が戦っている川べりは、剣を振り回すのに不自由しない程度には開けているし、深手を負って激高するエビルオルクが相手ならば、命中させるのは難しくないだろう。
「無理だな。この剣の強度では多く見積もっても数発が限度。下手をしたら一撃で刀身が砕けかねん。それをやるならば最後の手段だ」
「あぁ……そうよね。アレを倒しても帰り道があったのだった……。流石に貴女といっても、この森の中を丸腰で進むのは無謀だわ」
「それだけではないさ。万に一つ、一撃で仕留められなかった場合、本当に打てる手が無くなる。尤も、狩りに仕留める事ができたとしても、酷く匂う荷物が増えるしな」
「…………。私いま、それを聞いてすご~く逃げ帰りたくなったのだけど」
「同感だ。だが、奴さんが許してはくれまいて。なにせお前は自慢の右目を抉り抜いてしまったのだからな」
「なっ……!! 貴女だってッ!! あんなに深い傷を付けているじゃないッ!!」
「ガルゥォォアアアアアッッ!!!」
最初は真面目な話だったものの、テミスとフリーディアの会話はすぐに口論へと発展する。しかし、ここは怒りの唸り声をあげるエビルオルクの前で。
己が存在を丸ごと忘れ去ってしまったかのように言葉を交わす二人に、エビルオルクは更に怒りを滾らせたかの如く、殺意に塗れた唸りと共に襲い掛かった。
だが。
「おっと。そら、ご指名だぞフリーディア」
「ッ……!! 調子に乗らないッ!! あまり油断してると次は助けないわよッ!?」
「っ……! やれやれ……」
二人は示し合わせたかのように同時にヒラリと左右へ身を翻すと、エビルオルクの突進を易々と躱して言葉を続ける。
そんな二人の眼前で、ボタボタと自らの血が滴るエビルオルクの牙が、その激怒を表すかの如く、喰らい付いた木の幹をバキバキと噛み砕いたのだった。




