120話 口先三寸舌八丁
「それで……? これはいったいどういう状況なんだ?」
時刻は昼前。もはや日課となっているミュルクへの見舞いに足を運んだカルヴァスの前には、異様な光景が広がっていた。
そこには、ベッドの上で口を塞がれ、簀巻きになっているこの部屋の主を眺める二人の少女が、入り口から入ってきたカルヴァスを出迎えていた。
「仕方が無いだろう。状況を説明しようにも騒ぎ立てるのだ。我々の存在が露見するのは得策ではない」
「やははは……私は……止めたんですけどねぇ……」
テミスが悪びれもせずに言い放つと、傍らの少女が苦笑いを浮かべて頬を掻く。この少女が何者かは分からないが、ここに居る以上は何かしらの関係者なのだろうとカルヴァスは判断した。
「それで……何の用だ? 我々は決別したと思ったのだが?」
「フ……私もそのつもりだったのだがな?」
カルヴァスは静かに告げると、部屋を横切ってミュルクの拘束を解きにかかる。それを眺めながらテミスは、隣に立つフィーンを指しながら皮肉気に頬を歪めた。
「えぇ……そこで話をこちらに回しますか……ま、まぁいいです」
水を向けられたフィーンが一歩前に出ると、いつもの人の良い笑みを浮かべて口を開く。
「コホン。私はフィーンと申します! この王都イチ真実を求める正義の記者ですっ!」
「……それで、その正義の記者とやらが、正義からは最も遠い奴と何で一緒に居るんだ?」
フィーンが愛想笑いを浮かべた先で、拘束から解き放たれたミュルクが静かにその顔を睨み付ける。この様子では共闘など夢のまた夢に思えるが……。
「私達は、ヒョードルの狙いとフリーディア様の今の居場所を知っています」
「っ!!!」
斬り込んだ。フィーンが言葉を放った瞬間、傍で見ていたテミスは拳を握った。フィーンの見つめる先では、ミュルクとカルヴァスの顔色が明らかに変化している。
「その情報を提供しに来てくれた……そう言う認識で良いのかな?」
「ええまあ、概ね。ただいくつか問題がありまして」
「何……?」
静かに切り返したカルヴァスの牽制を、笑みを張り付けたフィーンは軽々と躱してみせる。確かに、こと交渉においてはフィーンはかなりの腕を持っているらしい。
「正直、私達の旗色は悪いです。これ以上無いと言って良いほどに。この機を逃せば、白翼騎士団が再び自由に空を舞う日が来る事は無いでしょう」
「何を根拠に――ッ」
「……口から出まかせならば、撤回する事を勧めるぞ。彼女の目の前だ……今ならば戯言と聞き流してやらん事も無い」
事実を突きつけたフィーンにミュルクが気炎を上げた瞬間、それまで静かに対応していたカルヴァスの雰囲気が一変した。気迫の籠った目でフィーンを睨み付けるその顔には殺気すら浮かんでおり、後ろのテミスの手が無意識に剣の柄へとかけられる。
「撤回などとんでもない。私が掴んだ情報では、それほどまでに状況は逼迫しているという訳です。今日か明日か……はたまた今この瞬間にも手遅れになってしまっているかもしれません」
「……詳しく聞かせてくれ」
その気迫の中で踊るように身を翻したフィーンが不敵に笑みを浮かべると、うめき声のような溜息を一つついたカルヴァスが殺気を霧散させて問いかけた。
「それでは、結論から言います。あなた達白翼騎士団には道化になっていただきます」
「道化……だと?」
「はい。表に出す物語を彩る為の無為な戦い。担ぎ上げられる偶像とでも言えば良いでしょうか。フリーディア様が置かれた状況をひっくり返す為に、その役目を担っていただきます」
「っ……」
薄い笑みを浮かべたフィーンの言葉にカルヴァスは黙り込んだ。普段であればこのような戯言は聞くに値しない。欺瞞に溢れた無為な戦いなどフリーディア様の最も嫌う行為だ。しかし、フリーディアの為と言う一言が、カルヴァスの心を楔のように蝕んでいた。
「正義の為の戦いです。謀略に囚われた姫を救うのはいつだって騎士の仕事。まるで英雄譚のような光景に、人々は必ず掌を返す事でしょう」
「……上辺の話はもういい。具体案を聞かせてくれ」
「やはは……これは失礼しました」
大げさな身振りと共に芝居がかった口調で語っていたフィーンは、静かに告げられたカルヴァスの言葉と共に元の話し方へと戻る。その口元には、自信とも思える誇らし気な笑みが浮かんでいた。
「ここに、ヒョードルが魔王へと宛てた密書があります。これがあなた達の掲げる御旗です」
「っ……」
ごくりと。自然な動きで封筒を取り出したフィーンの動きに、交渉の流れを見ていたテミスは息を呑んだ。
完璧な意識誘導だ。おちゃらけた雰囲気で相手を油断させた瞬間に現実を叩き付け、相手に聞く体制を取らせる。そこから先はもう、フィーンの独壇場だった。
「ヒョードルの謀略によって囚われたフリーディア様を救う為、白翼騎士団は正面からヒョードルの私兵と戦ってもらいます」
「っ!! だがそれでは……」
「ええ。十中八九ヒョードルは逃げるか、フリーディア様の身柄を盾に脅迫してくるでしょう。そこで私と……リヴィアさんの出番です」
「……我々に囮をやれと?」
張り詰めた空気が病室に充満し、その中心でカルヴァスとフィーンが対峙する。空気が硬化したような緊張感を、部屋の外から漏れ聞こえる病院の雑踏が僅かに希釈していた。
「……カルヴァス副隊長」
「何だ?」
その静けさの中。まるでカルヴァスのように落ち着いた声色で、ミュルクが口を挟んだ。
まずい流れだ。とテミスは密かに舌打ちをした。カルヴァスは今、フィーンの提案に葛藤している。それが何かはわからないが、私達と手を組んでフリーディアを救い出す事と同等に重要な事が、彼の胸の内にあるに違いない。
そして、フィーンが黙して答えを待っていると言う事は、これ以上の材料はないのだろう。ならば、ミュルクの反対で押し切られる可能性が高い。
「乗りましょう。フリーディア様をお救いできるのなら、コイツと手を組む屈辱など安いものです」
「――っ!!」
ミュルクが口を開くと、そこから出てきた言葉はテミスが予想したものとは正反対のものだった。てっきり、魔王軍憎しの感情論で反対するものだと思っていたが……。
「だがそれは……うむむ……」
しかしそれでも尚、カルヴァスは頭を抱えて悩み始めた。あのミュルクが推して尚彼を悩ませるものとは、いったい何なのだろうか。
「副隊長。ヒョードルは魔王軍にフリーディア様を売ろうとしたんですよ! あろう事か戦線総司令の身でありながらッ!」
「っ……!! わかった。ヒョードルの私兵の相手は我々に任せて貰おう」
「ふふっ……ご英断ですよ。安心してください。後悔はさせませんので」
ミュルクが拳を握って声を荒げると、それに背を押されたかのようにカルヴァスは重々しく首を縦に振った。それを見たフィーンは、花が咲いたような笑みを浮かべると、いつかの時のように背に隠した片手でピースサインをテミスへと向けていた。
「フッ……流石だな。ならばカルヴァス副隊長。動員と出撃にはどれくらいかかる?」
「そうだな……以前にも伝えたが我々は監視下にある。それを出し抜いて出撃するとなると、相応の時間はかかるだろう」
「それなのですが。俺に任せてくれませんか、副隊長! 上手くいけば、今夜にでもすぐに出撃できるでしょう」
ミュルクはベッドから勢いよく立ち上がると、自信満々にそう言い放ったのだった。
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