1287話 奇妙な師弟
「……という訳だ。たかだか魔物だと侮っていると怪我どころか……フッ……」
テミスは少しばかり長くなった話をそう締めくくると、周囲へと彷徨わせていた視線をフリーディアへと戻す。
そこでは、既に真剣な表情をしたフリーディアが、ブツブツと呟きながら何かを確かめるかのように腰に携えた剣で宙を薙いでおり、それを見たテミスは小さく笑みを零した。
どうやら、わざわざかつての失態を語り聞かせるなどという恥を晒した甲斐は十分にあったらしい。
なまじ腕が立つからこそ生まれてしまう心の隙は、どうやら完全に消し去る事ができたようだ。
「……これ以上の忠告は余計だな」
テミスは肩を竦めると、集中するフリーディアの邪魔をしないよう、静かに数歩離れると、手近な場所に生えていた大きな木の枝へと飛び登って、木々の隙間から空を仰いだ。
今の時間は丁度、昼前といった所だろうか。
本来ならば、深い森の中では太陽の位置や明るさは頼りにならず、時間を確かめるのも自らの感覚が頼りとなる。
だが、身体能力の優れたテミスであれば、さして時間をかけること無く木を登り、生い茂る葉を抜けて空を確かめる事ができた。
「ま……私達だからこそ生じる余計な手間というヤツだがな……」
手早く時間を確認したテミスは、スルリスルリと木を降りながらひとりごちると、皮肉気な笑みを口元に浮かべる。
冒険者を生業とする者達ならば、狩りに出た先でここまで入念に時間を気にする事は余りない。
あるとすればせいぜい、野営の準備を控えた日没前や、獲物を狩った後に門が閉ざされるまでに町へ戻ろうとしている時くらいだろう。
しかし、テミス達は冒険者を本業としている訳では無い。
そのうえ、もしも二人揃って今日中に町へ戻らないなどという事態になれば、町を挙げての大騒ぎになるのは間違いないだろう。
「やれやれ……こういう時ばかりは、文明の利器が恋しいな。腕時計……いや、懐中時計の一つでもあれば楽なのだが」
ザクリと地面を踏みしめ、テミスは己が身についた枝や葉を払うと、溜息と共に愚痴を漏らしてからフリーディアの元へと戻った。
かなりの無理を押し通したとはいえ、全体の行程は遅れている。
できれば、遅くとも昼過ぎには生息域に辿り着き、獲物を探し始めたい所ではあるのだが……。
などと、テミスが頭の中でこれからの行程を練り直していると、突如として視界一杯に真剣な顔をしたフリーディアの顔が現れた。
「っ……!!? な、何だ……? 急に人の顔を覗き込むな。びっくりするだろうが」
「急じゃないわ。何回も呼んだじゃない。何を考えていたの?」
「ン……あぁ、少しな……」
「…………」
互いが呼吸をする音さえも聞こえてきそうなほどの距離から逃れるように、テミスは一歩後ずさりながら用件を問いかける。
だが、話の矛先を変えるべく咄嗟に投げかけた質問も、向かった先の旗色は悪く、テミスは言葉を濁す事しかできなかった。
現在、行程に遅れが出ているのは不慣れなフリーディアの足に合わせている所為なのは事実だろう。
しかし、それは監督する立場であるテミスが仕向けたものであり、今回が冒険者としての初仕事であるフリーディアに責を問うべきではない。
けれど、フリーディアの性格からして、行程に遅れが出ている事を知ればまず間違いなく己を責めるだろう。
だからこそ、テミスはその事実を秘する道を選んだのだ。
「……貴女がそう言うのなら、胸を借りる事にするわ。けれど、私の役割は斥候……今のままじゃ駄目だなんて事は理解してる。だから……」
「無論。教えてやるさ。森の中の歩き方から索敵の仕方までな」
「ありがとう。頼りにしているわよ? 先輩……いえ、師匠かしら?」
「止めろ気色悪い。お前にそう呼ばれると背筋が薄ら寒くなるわ」
「えぇ~? 酷いわ? 他でもない貴女が、自分の失敗談まで交えて丁寧に教えてくれたっていうのに。弟子とすらも認めてくれないなんて……」
真面目な声色で語るフリーディアに、クスリと微笑んだテミスは胸の内を隠して言葉を返す。
だが半ば条件反射的に、まるで懐いた犬のように距離を縮めて来るフリーディアをいつも通りすげなくあしらおうとする。
しかし、どうやら今日のフリーディアは一筋縄ではいかないようで。
冷たい態度を取るテミスに唇を尖らせたフリーディアは、さめざめと泣くフリをしながら大袈裟な口調で嘆きを漏らしはじめた。
「なぁっ……!? お前なぁッ……!! 人が珍しく真面目に教えてやろうとしているのにッ……!!」
「だからこそ。よ。知らない事ばかりで本当に勉強になるわ……。頼りにしています」
「っ……! フン……。ならばそろそろ出発するぞ。私をしっかりと見て、寸分違わず後ろを付いてきてみろ」
「わかったわッ!!」
己が信頼を憚る事すらせず、真正面からぶつけてくるフリーディアに、テミスは僅かに頬を上気させてたじろいだ。
そして、己が言葉に力強く頷くフリーディアの視線から逃れるかのように、地面に投げ出した荷物を素早く担ぎあげて再び森の中を歩きだしたのだった。




