幕間 苦肉の決断
ファントの隣町。
魔王軍第五軍団が治めるラズールの町は、ファント程大きくはないものの長閑で平穏な町だった。
しかし、今はそんな穏やかな雰囲気など微塵も存在せず、町はピリピリとした怒りと緊張感に塗れている。
「ハァ……。ねぇ、シャル……外の彼等、何か良い案は無いかな?」
執務室の椅子へと深く腰をし済めたルギウスは、第五軍団の駐留している詰め所の前へと押しかけ、抗議の声を張り上げる人々の怒号を聞きながら、傍らに控える己の副官に力無く問いかけた。
テミスから送られてきた報告と、今回の一件でラズールが被った被害の補填として贈られた金品を給付してからというもの、ラズールの人々はファントへの怒りを燃やして日々高らかに怒号を上げている。
その内容は、仮にも第五軍団を率いる軍団長である自分を軽視しているというものから、ラズールの民を苦しめた人物を許すなという旨のものまで様々だった。
「ルギウス様。私としては、ルギウス様が悩まれている事の方が不思議なのですが……」
「それは……何故だい?」
「我々に対するファントの対応です!! 寄越された報告書には詳しい顛末や詫びの一つすらも記されておらず、ただ事実を書き連ねただけッ! 加えて、此度の元凶たる者を捕えながら、それをこちらへ引き渡すどころか罰する事すらしないなんてッ!! 我々を馬鹿にしているにも程がありますッ!!」
「僕はそんな事……無いと思うのだけれどね……」
ルギウスの質問に、シャーロットは堪え切れぬ怒りを漏らしながらも答えを返した。
しかし、忠義故の怒りに燃え上がる回答に、ルギウスは深い溜息を吐いて悲し気に目を伏せて呟きを漏らしてみせる。
その心を痛める主の姿に、シャーロットは更に怒りを燃え上がらせ、ギリギリと歯を食いしばりながら言葉を重ねた。
「ルギウス様はッ……お優し過ぎるんですッ……!!!」
「…………」
――そんな事は無いさ。と。
結局は堂々巡りとなる議論へ早々に見切りをつけたルギウスは、黙したまま胸の内でだけシャーロットへと言葉を返す。
テミスは決して悪人の甘言に耳を貸すような愚物ではない。むしろ、そう言った類の言葉をかけられれば、嬉々として刃を振るうだろう。
そんなテミスが、処刑はしないと判断したのだ。そこにはテミスなりの考えがあるのだろう。
それに、そもそもラズールは今回の一件で被害を受けこそしたものの、貰い過ぎなくらいその補填を受け取っている時点で、ファントを治めるテミスの判断に異を唱える事ができる立場ではない。
しかし、自分達に危害を加えた元凶が、ただ捕えられただけで安穏と生きているなど許し難いと感じる心も理解できてしまって。
「ハァ……参ったなぁ……」
ルギウスとしては、自分達の町を取り戻した今だからこそ多忙を極めているであろうテミス達に、これ以上の負担を強いたくは無かった。
だからこそ、ラズールの皆には幾度となく説明を繰り返したのだが、逆上した彼等にそれは逆効果だったらしく、このような惨状にまで発展してしまったのだ。
「っ……!! ルギウス様。お心を悩ませている所申し訳ありません」
「……なんだい?」
パタン。と。
執務室の扉が閉まると同時に、ルギウスが物思いに耽っている間に訪れていたらしい伝令兵から受け取った書類を手に、シャーロットが静かに口を開く。
その押し殺したような事務的な声の中には、彼女との付き合いが長いからこそ解る一抹の喜色が含まれていて。
酷く嫌な予感を覚えながらも、ルギウスは内心で深い溜息を吐きながら問いを返した。
「被害を受けた民衆の一部と、任に就いていない我が軍団旗下の一部の兵達が、翌朝ファントへ向けて抗議をしに向かう……との報告です」
「ッ……!!!! 何故そんな事をッ……!! いいや……僕の所為か……」
「…………」
「……仕方が無い。もう僕が行くしかない……か。シャル。全部隊に呼集をかけてくれるかい?」
「承知しましたッ!! 直ちにッ!!」
返された報告に、ルギウスは頭を抱えて呻き声をあげた後、密かに心を固めてシャーロットへと指示を出した。
遂に下された待望の命令に、シャーロットはビシリと姿勢を正して力強い言葉を返した後、足早に執務室から去っていく。
「これもラズールの町を預かる僕の役目……。さて……どう落し所を作ろうか……」
その背を眺めながら苦笑を浮かべた後、ルギウスは静かな声で呟きを漏らしたのだった。




