1278話 平和な戦争
意識を失ったルギウスをその場に寝かせると、テミスは手当に取り掛かるべく静かに立ち上がった。
恐らく、すぐに死んでしまう事は無いだろうが、未だ手に残る手応えがルギウスの傷の深さをテミスに直感させていた。
少なくとも、ルギウスが死なないように手加減をする余裕など無かった。
そんな余計な事を考えていては、今ここに倒れていたのは私の方だっただろう。
「おいッ!! 誰か衛――」
「――ウオォォォォッッッッッ!!!」
僅かな焦りを感じながらも、テミスが声を張り上げた時だった。
大地をビリビリと揺らす程の鬨の声と、それに負けじと打ち鳴らされる拍手の音がテミスの声を掻き消して響き渡る。
勝利を収めたファントの兵達が抱く熱狂と畏敬の想いと、敗北を喫したラズールの兵達が抱いた尊敬が入り混じり、テミス達の繰り広げた戦いを賛美した。
テミス達の繰り広げた熱戦は、いつの間にか兵達が胸に抱いていた怒りや恨みを忘れさせていたのだ。そこには既に、勝者や敗者といった枠組みは無く、さながらスポーツの仕合に決着がついたかのような雰囲気さえ醸し出している。
もしも、この場だけを見た者が居たとするならば、ここに雁首を並べて歓声を上げている兵士たちが、戦争の為に集ったのだと言っても信じる事は無いだろう。
そう断言できる程に賑やかで穏やかな空気に包まれたこの戦いは、きっと世界で一番平和な戦争であったはずだ。
だが……。
「チィッ……!! 喚いている場合かッ!! 馬鹿がッ!! 誰も気付かんのかッ!? おいっ!! 誰でもいい!! 手当ての出来る奴をここへ……えぇいッ!! クソッ!!」
テミスは一人、その身で一身に歓声を浴び続けながら、声を枯らして必死で叫びを上げていた。
その足元では、地面の上に寝かされたルギウスの身体から溢れ始めた血が、血だまりを作り始めている。
「クゥッ……!! このままではまずい。ルギウスの奴……本当に死ぬぞッ……!?」
まるで、小さな種火が一気に業火へと燃え姿を変えるかのように、テミスが胸の内で抱いていた僅かな焦りが、焦げ付くような焦燥へと変化した。
こちらからの声は届かない。
戦勝に浮かれるファントの連中は現状に気付かず、ラズールの者たちですら自分達の主の危機に気付いてはいない。
「仕方が無――ッ!!!?」
歯噛みと共に、テミスは歓声を上げ続ける兵士たちを黙らせるべく、上空へ向けて月光斬を放とうと大剣へと手を伸ばした。
しかし、テミスの手が大剣の柄を握り締めた刹那。テミスが自身の身に施していた強化魔法が切れ、その反動がまとめて襲い掛かってくる。
結果。ビキビキと音を立てているかのように痛みを発する腕では、月光斬を放つどころか大剣を持ち上げる事すら叶わなかった。
更に、酷使を続けていた足も自身の身体を支える力すら失い、テミスはその場でグラリと大きく体を傾がせて膝を付く。
「っ~~~~!!!」
全身の筋肉が引き千切れ、骨が軋みをあげる。
そんな、想像を絶する激痛にテミスは悲鳴を上げる事すら出来ず、ただその場に膝を付いたまま悶絶した。
こんな事をしている場合ではない。
声が届かないのならば、どちらの陣営でもいい……一刻も早く辿り着いて、ルギウスの手当てを始めなければ……!!
そう頭では理解していても、限界を超えて酷使されていたテミスの身体はこれ以上の労働を拒否し、ビクビクと激しい痙攣を繰り返すだけで、テミスは再び立ち上がる事さえできなかった。
「が――ぁッ……!!! あぐッ……!! ウゥッ……!!」
だがそれでも。
テミスは全身を蝕む痛みに脂汗を浮かべながらゆっくりと手を前へと伸ばすと、呻き声と共に前へと進もうとする。
這ってでも進まなければ。
こんな所で戦友を……ルギウスを喪ってたまるかッ……!!
心の中でそう絶叫し、テミスが痛む身体に鞭を打ち付けて必死で僅かな距離を進んだ時だった。
「……そのような格好では、どれだけ頑張った所で間に合いませんよ。お気持ちは嬉しく思いますが、そこで寝ていて下さい」
「っ……!!」
不意に背後から冷めた声がかけられ、テミスは土に汚れた顔で背後を振り返った。
そこには、いつの間にここまで辿り着いていたのか、倒れたルギウスの傍らにしゃがみ込んでいるシャーロットの姿があって。
しかし、そのような事を考える間も無くテミスはルギウスに治療を施せと口を開きかける。
「治療はもう始めていますからご心配なく。今回の一件で、私はルギウス様の副官として、貴女にはいろいろと思う所はありました。ですが……痛みを堪え、這いつくばりながらでもルギウス様を救おうと足掻く姿を見て、そんな思いは全て消えてしまいました」
「シャー……ロット……」
「数々のご無礼、申し訳ありませんでした。そして……ルギウス様を救おうとしていただき、ありがとうございます」
そんなテミスの機先を制して口を開いたシャーロットは、ルギウスに治療を施しながら、静かに、そして何処か憂いを含んだような声色でそう告げたのだった。




