1275話 超然たる全霊
再び距離を取り、向かい合ったテミスとルギウスが静かに睨み合う。
恐らく、この一合が最後の打ち合いになるであろうという事は、互いに言葉にせずとも直感で理解していた。
故に、全力で行く。絡み合う視線がその覚悟を確かめ合うかのようにピタリと止まった後、二人は同時に剣を構えた。
「フゥ……」
無論。今までとて全力を尽くして戦っていなかった訳では無い。
テミスは小さく息を吐くと、心の中でそう独りごちりながら、自らの内で高鳴る鼓動が放つ熱を口内で噛み締めた。
これから挑むのは、魔王軍が誇る軍団長が一人・ルギウスの全霊。
生半可な攻撃では、この大剣が届く距離に近付く事すら許されないだろう。
だが、あの目まぐるしく放たれる多彩な魔法の嵐を躱す事など困難だ。
それに加えて、彼の持つ剣から放たれる剣技は正確無比にこちらの隙を突いてくる。
攻防一体となったその戦闘スタイルは、完璧と断じても過言ではない。
ならば……。
「……死中に活を見出すのみ。ただ、ひたすらに前へ……私にできる事など一つしかあるまい」
「…………」
大剣を構えたテミスが精神を研ぎ澄ましていく一方で、ルギウスもまた胸の底から絶えず湧き上がるゾクゾクとした高揚感を味わっていた。
これから相対するは、かつて全滅寸前であった第五軍団の前に颯爽と現れ、その比類なき強さで戦局を引っ繰り返してみせた猛将・テミス。
戦姫と名高い彼女が繰り出す全力が如何様なものであるかなど、想像すら及ばない。
少なくとも一つだけわかるのは、これまで自らが培ってきた全てを注ぎ込まなければ、易々と噛み砕かれるであろうという事のみ。
「フフ……全力……か……」
この詠唱を言祝ぐのは、一体いつぶりの事だろうか。
我々エルフの一族に伝わる古代魔法。時代を重ね、魔法は姿を変え、多くの種族へと渡ってきた。
恐らくはこの古代魔法とて、遥か遠い古の時代に、何処かの誰かがエルフへと伝えたものなのかもしれない。
だが、少なくとも今の時代において、古代魔法以上に強力な魔法をルギウスは知らない。
皮肉なものだ。と。クスリと口角を歪め、ルギウスは胸の中で呟きを漏らした。
魔法の進化の過程で、魔族が不要と見做して切り捨てた詠唱という名の祈り。
時代を経て、詠唱は魔力に乏しい人間達が拙い魔法を扱う技術の一つとなり、今その原初たる古代魔法を、人間であるテミスへと放とうとしているのだから。
「彼方に眠りし至高の精霊達よ 今、我が祈りに答え祖の力を貸し与えたまえ……」
「っ……!! 詠唱ッ……!?」
静かに、しかし朗々と詠唱を紡ぎ始めたルギウスに、テミスは鋭く息を呑んだ後、魔法の発動を阻止すべく、半ば反射的に脚に力を込めかける。
だが。すんでの所で反射を堪えたテミスは、僅かに身体をピクリと動かしただけに留まり、その間もルギウスが祈るように紡ぐ詠唱は途切れることなく続いていた。
「…………」
恐らく、今斬り込めばこの詠唱を止める事など容易いだろう。
間違い無く、今ルギウスが紡いでいる呪文は途方もない威力を秘めており、こうして居る今も、彼の身体から練り上げられた魔力が迸っている。
戦術的な思考をするのであれば、あの魔法の発動は絶対に阻止すべきだし、一刻も早く突撃すべきだ。
しかし。
「フッ……ハハハッ……!! 笑止ッ!!」
テミスは唇を歪めてクスクスと不敵な笑い声を漏らすと、自らの脳裏に浮かんだ幾つもの考えを振り払うように吐き捨てた。
私は先程、この一騎打ちがただの殺し合いでは無いと理解したばかりではないか。
これは意地の張り合い。即ち、誇りと信念を賭けた想いのぶつけ合いなのだ。
ならば、ただの敗北に意味など無く。例え互いに生き永らえたとて、互いの心が決着を認めれば雌雄は決する。
故に。相手の出鼻を挫くという小賢しい真似などできようはずもないッ!!
「お前が詠唱に費やすその数秒……私も己を高める為だけに使わせて貰おうッ!!」
猛々しく吠えると同時に、テミスは自らの身体に次々と魔法を重ね、余った膨大な魔力を噴出させてその身を包み込んだ。
その魔法はかつて、あの忌々しい魔女と戦った時に見た強化の呪文。それを、自らの能力を以て再現し、自身の肉体へと施したのだ。
力が漲り、気力が滾る。
テミス達の身体から放たれる気迫と魔力が暴風となり、荒々しく周囲を吹き荒らすが、最早二人の目には互いの存在しか映っていなかった。
そして。
「――照覧せよ。御力の切り拓く覇道をッ!!」
「行くぞルギウスッ!! 私の全力ッ……受け切れるかァッ……!!」
長い詠唱を終えたルギウスが静かにその目を開き、鋭い眼光をテミスへと向けた瞬間。
地面とは水平に大剣を構えたまま猛々しく吠えたテミスは、待ち構えるルギウスへ向かって渾身の力を振り絞って飛び出したのだった。




