1272話 偽りの月
「う……ぉぉぉぉおおおおおおッッッ……!!!!」
バヂィッ!!! と。
テミスは真正面からルギウスの放った斬撃受け止めると、雄叫びをあげてギシギシと鍔迫り合う。
その威力は凄まじく、テミスの膂力を以てしても受け止める事が精一杯で。弾き飛ばす事も、ましてや切り裂く事など叶わなかった。
だが、辛うじて堪えられている。
その事実にテミスは瞳に宿した好戦的な光を爛々と輝かせると、力を振り絞って眼前に迫る斬撃を圧し返した。
しかし。
「――ッ!!!!」
ピシリ。と。
途方もない威力がせめぎ合う攻防の最中に、一筋の不吉な音が鳴り響く。
それは、テミスの握る剣から響いており、視線を落とせばルギウスの放った斬撃を受け止め続けるその刀身に、みるみるうちに亀裂が広がっていった。
「ク……ソッ……!!! がっ……!!!」
だが、既に斬撃を受け止める事に全霊を尽くしているテミスに打てる手立てなど残っているはずも無く、薄氷を踏み砕くような音と共に広がっていく亀裂を、ただ見ている事しかできなかった。
無論。ルギウスの放った斬撃は、ヒビのはいった剣などで受け止められる訳も無く、数瞬こそ堪えたものの、許容量を超えた圧力を受け止めていた剣が済んだ音と共に砕け散る。
「ぐ……がぁぁあああああああああああああッッッ!!!」
直後。
剣を食い破ったルギウスの斬撃はテミスを呑み込み、その途方もない威力を受けたテミスの身体が空高く舞い上がった。
手には、僅かばかりの刀身が残った剣を握り締めてはいるものの、舞い上がった長い髪が、苦痛を叫ぶ絶叫が、その身に襲い来るダメージを物語っている。
テミスが斬撃を受け、宙を舞っていたのは時間にして、僅かに数秒。
しかし、戦いを見守る者達や、技を放った本人であるルギウスにとって、その光景は衝撃的な物で。
ドサリと軽い音を立ててテミスの身体が地面に落着するまで、途方もない時間が流れたように知覚した。
「っ……ぁ……!!」
つい先ほどまで奏でられていた賑やかな戦いの音が一転し、足元の草が擦れる音すら聞こえてきそうな程の静寂が戦場を支配する。
今の一撃は不味い。と。
ルギウスを含めたその場の誰もが危機感を覚え、しかしそれを確かめる事に恐怖してその場に立ち竦んでいた。
不幸だったのは、テミスが斬撃を受けたのが彼女愛用の大剣ではなかった事だろう。
ブラックアダマンタイト製のあの剣ならば、如何なる斬撃を受けようと砕ける事は無かったはずだ。
だが、肝心のその大剣は地面に突き立てられ、今も尚儚げに佇んでいる。
これはあくまでも一騎打ち。命懸けである事など承知のうえであったはず。
だというのに、ルギウスは斬撃を放って着地した直後の姿勢のまま、脳裏を巡る最悪の想像に絶叫を零しそうになる。
その刹那。
「――っ痛ゥ……!!! まさか……受け止め切れんとはな……」
ルギウスの斬撃を受け、平原に没したはずのテミスが呻き声と共にムクリとその体を起こすと、片手に握り締めていた剣の残骸を投げ棄ててフラフラと立ち上がった。
そして、周囲の空気が凍り付いている事などお構いなしに、テミスは自ら突き立てた大剣の側へと歩み寄ると、深い溜息と共に引き抜いて肩に担ぎ上げる。
「……ん? どうした? よもや、今ので一本だとでも言うつもりか?」
「ッ……!! 生きて……いる……? 君は今、月光斬を受けたはずでは……」
「見くびるな。あの程度で死ぬほどヤワではないわ。それに……だルギウス。お前の放った先程の一撃……あれは断じて月光斬ではないッ!!」
ガシャリと音を立てて悠然と大剣を担ぎ直したテミスに、驚愕に身を震わせるルギウスが掠れた声で問いかけた。
その問いに、テミスは鼻を鳴らして肩を竦めながら嘯いた後、担ぎ上げた大剣の切っ先をルギウスへと向けて鋭く断言する。
「私の身体をよく見ろ。お前の一撃は確かに威力こそ凄まじかったが、まともに喰らったとて私の身体にも、鎧にすら傷一つ付いていない。勘違いだよルギウス。今のはただの剣圧だ。幾ら魔力で増幅しようとも、それでは月光斬足り得んのだ」
もはや剣を構える事すら忘れ、まるで死者でも生き返ったのを目撃したかのような顔で自らを見詰めるルギウスに、テミスはどこか呆れたように朗々と言葉を重ねていった。
我ながら、一騎打ちの最中に自らの技の解説をするなど何をしているのかと思う。
だが、こんな呆けたルギウスを倒した所で、誰も私の勝ちだなどと認めはしないだろう。
むしろその逆。ルギウスの放った決定的な一撃を受けて尚、何故か傷を負う事無く反撃した卑怯者などと誹りを受けかねない。
「やれやれ……とんだ災難だ。一騎打ちではなかったのか? ったく……見せてやるからもう一度放って来い。お前が月光斬だと語る一撃をな。その呆けた目を覚まさせてやる」
いっその事、追撃の一つでも仕掛けてくれればよかったのに。
テミスは呆れかえった心の中でそう呟きながら、自らも技を放ってみせるべく、ルギウスへと突き付けていた大剣をゆっくりと構え直したのだった。




