1266話 痛みの深度
事実上の徹底抗戦。
一歩の歩み寄りすら無いテミスの宣言は、もはや宣戦を布告したにも等しい行為だった。
その証拠に、ルギウスを除くシャーロットと護衛の兵達は既に己が武器に手を番えており、主が発する決別の号令を待ち構えている。
一方で、その動きに反応したサキュド達テミス旗下の護衛たちも、半ば反射的に臨戦態勢を取っていた。
だが。
彼等の待つ号令が下される事は無く、吹き渡る風の音が重苦しい静寂を押し流していった。
「理由を……聞いても良いかい?」
そして吹き渡った一陣の風の音が途絶えると同時に、ルギウスは静かな声でテミスへと問いかける。
しかしその問いは、言葉面こそ穏やかではあったものの、それまでの会話でルギウスの声色に含まれていた穏やかさは消え去っており、代わりに冷ややかな緊張感を孕んでいた。
「お門違いなんだよ。お前達の怒りは」
「承服しかねる答えだえね。テミス、君は一体いつから、討つべき悪人を庇うようになったんだい? 財を奪われ、怪我を負わされた者達が、己を害した悪が滅びる事の何が間違っているというんだ?」
「フッ……クク……。討つべき悪人ね……おかしな話だ。お前達ラズールの者達にとっては、ただ金銭や商品を奪った盗人程度の小悪党のはずだが?」
だが、テミスはルギウスの問いを一頭の元に斬り伏せるかのように答えを返すと、皮肉気に嗤い声を漏らしながら言葉を続ける。
「確かに、我々ファントの者達にとって奴は憎んでも憎み切れない悪人だろう。職を追われた者も居れば、住居を……信念を失った者も居るからな。だが……勘違いするなよ? 私が剣を振るったのはあくまでも私の為、ファントの者達の為だ」
「……ラズールの者達の受けた恐怖は、苦痛はどうでもいい事だと?」
「どうでも良ければ補償などしていないさ。やれやれ……どうも理解できて居ないようだから言葉を変えようか」
まさに一触触発。
言葉を重ねる度に剣呑とした空気が立ち込める中、テミスは深い溜息と共に呆れたように大きく首を振ると、射貫くような視線でルギウスを睨み付けて口を開いた。
「金や商品を奪われた程度で外野がごちゃごちゃと喧しいんだよ。お前達はただ、私達に便乗して自分に痛みを与えた者が、完膚なきまで滅ぼされる様を愉しみたいだけだろうがッ!!」
「それは違うッ!! 僕達はただッ……!!」
「ただ……何だ? 失った金品は十二分に手元に返ってきている筈だ。傷を負った者も、受けた恐怖や痛みに見合った旨味を得たはずだろう? ならば逆に問おう。奴を処刑する為に、我々から受け取った補填を投げ打つ覚悟のある奴は居るか?」
「っ……!! それとこれとは話が違うだろうッ! 僕達は共に安寧を奪われた同じ痛みを持つ者の……筈ッ!?」
業を煮やしたテミスの叫びに、ルギウスもまた語気を荒げて言葉を返した時だった。
ルギウスが皆まで言い切るまでも無く、テミスの身体から寒気を感じるほどに静謐な殺気が放たれ始める。
その威力は、テミスと同等の実力を有するはずのルギウスですら、無意識のうちに一歩を退くほどで。
そんな突如として放たれ始めたテミスの殺意に言葉を詰まらせたルギウスに、テミスは明白な怒気を滲ませながら低い声で静かに言葉を紡ぐ。
「いい加減……知ったような口を利くなよルギウス」
「ッ……!!」
「同じ痛みだと? ならば……味わってみるか? 私たちと同じ痛みを。ラズールに暮らす民と、苦楽を共にした第五軍団の兵士たち。どちらか片方だけ救いたい方を選べ。自らの信念を曲げ、心を殺して、護りたいと願ったはずの者を切り捨ててみせろ!!」
「なっ……!? 何をッ……!!」
「そこに居るお前の副官を斬り殺してみたらどうだ? 他でもない、お前の手で。友だと信じ、背を預けた仲間の命を奪ってみろッ!!」
「馬鹿なッ!!! そんな事ッ!! 出来る訳が……ないだろうッ……!!! っ……!!? まさかッ!?」
それまで押し留めていた怒りが決壊したかのように、テミスは徐々に語気を荒げていった。
はじめは低く、唸るような声であったのに、最後は荒々しく血を吐くような叫びがルギウスへと叩き付けられた。
そんなテミスの絶叫に、ルギウスは眼前に突き付けられた理不尽な問いへ叫び返した後、すぐに何かに気付いたかのようにビクリと肩を震わせる。
そして、驚愕に目を見開き、ルギウスの声が微かに震えを帯びると……。
「あぁ……。私は……私達は、やったぞ?」
テミスは突如、その顔からおよそ感情と呼ばれる気配を消し去ると、まるで感情の抜け落ちた人形にでもなってしまったかのようにのっぺりとした表情で不気味にルギウスを見据え、何処までも平坦な声でそう告げたのだった。




