117話 剣とペン
「っ!!?」
暗がりからかけられた声に対するテミスの反応は迅かった。
即座に腰の剣を抜き放ち、その勢いを殺さぬまま体を回転させる。そのまま真後ろの空間を薙ぎ払う…………直前でその剣はピタリと動きを止めた。
「お前……はっ……!!?」
「や……やははは……し、死んだかと思いましたよ……」
テミスがピタリと剣を止めた先。そこに居たのは、目を丸くしてずるずると崩れ落ちるフィーンの姿だった。
「いや、それにしてもその早さ……噂以上ですねぇ……」
「…………」
フィーンは笑みを浮かべて立ち上がると、尻もちをついた際に汚れたズボンの汚れを払う。その姿を眺めながら、テミスは目を細めて思考を巡らせる。
何故、彼女は私がフリーディア救う為にここへ来たと知っている?
何故、記者であるフィーンがこんな所に居る?
それに……コイツは今……私の事を何と呼んだ?
一瞬のうちに様々な疑問が頭の中を飛び交い、そのすべての違和感が疑惑となって目の前の少女へ突き刺さる。
故に。テミスは剣をフィーンに向けたまま、構えを崩すことができなかった。
「って……どうしたんですか? 剣を下ろしてくださいよ。私です。フィーンですってば」
「動くな」
首を傾げたフィーンが笑顔を浮かべてテミスに一歩歩み寄る。その瞬間、テミスは冷たい声と共に剣の切っ先をフィーンへ突きつけてその動きを制する。
「ま、待って下さいってっ! 私が敵なら声なんかかけずに斬るなり刺すなりしてますってば!」
「……ならば答えろ。どうしてここに居る? どうやってここに来た? そして――」
「――何故私の名を知っている? ……ですか?」
「っ!!」
テミスが問いかけた瞬間。フィーンがその先を奪い取って笑みを浮かべる。その表情は先ほどまでの物と変わらない笑顔の筈なのだが、彼女から滲み出る雰囲気がその表情に凄まじい威圧感を持たせていた。
「調べさせていただきました。あなたの事」
「……何だと?」
フィーンは突き付けられた剣など眼中にないかのように、テミスへ視線を合わせて語り始めた。
「貴女が正義を求めている事。迫害を受けていた遠征師団を救った事。そして、罪無きテプローの人々を救った事やラズクの村……そちら側ではラズールでしたね……あの村の事もです。だからこそ、私はあなたに一つだけ確認しなくてはならないんです」
フィーンはそこで言葉を切ると、笑顔を引っ込めた真剣なまなざしでテミスの目を射抜く。そして、数瞬の間をおいてから言葉を続けた。
「貴女の正義とは……何ですか?」
「私の正義だと? それがお前に何の関係がある?」
「大ありなんです。あなたは魔王軍の軍団長です。幾ら行動が正しくても、その事実だけは変えられない。ならばこそ、人間軍の最高戦力であるフリーディア様を救おうとするその行動は矛盾している」
「ああ……そう言う事か」
フィーンはそれだけまくし立てると、テミスを見つめたまま返答を待つように口を噤む。同時に、テミスは薄く笑みを浮かべて納得していた。要するにフィーンは、私が本当にフリーディアを救うのかを知りたいのだろう。ならば、答えは一つだ。
「別に……私はフリーディアを救いにこの町に来た訳では無い」
「えっ……!?」
テミスの返答を聞いたフィーンの顔が曇り、その左手が密かに腰の後ろへと回された。しかし、それを無視してテミスは言葉を紡ぎ続ける。
「私の正義は悪に誅罰を与える事。それは、相手が人間だろうと魔族だろうと関係は無い」
「ですがフリーディア様は何もっ――」
「ああ。今回のアイツはただの被害者だな。それ以上でも以下でもない」
「っ……まさか、あなたは……」
言葉を交わす毎にフィーンの目が大きく開き、その驚愕が見て取れた。テミスはその表情に小さく頷いて肯定してやると、頬を吊り上げて会話を締めくくる。
「私の目的は、私欲か保身か……我欲の為にフリーディアを食い潰さんとするヒョードルを裁く事だ。正直、フリーディアなどどうでもいい」
「……なら、なんでヒョードルを叩きに行かないんです? こんな所にヒョードルが居ると思って来た訳では無いでしょう?」
「何をわかり切ったことを……」
続くフィーンの問いを鼻で嗤うと、テミスは突き付けた剣を肩に担ぎながら答えを続けた。
「奴を裁くのならば、その計画が成就してはならん。奴の企みを全て叩き潰し、絶望の底へ叩き落としてはじめて、見下げ果てた悪には死ぬ権利が与えられる」
「なる……ほど……そう言う事でしたか」
テミスが口上を述べると、フィーンは浅く頷いて言葉を止めた。何かを考えていたようだが、テミスが声をかける前にすぐそれはまとまったらしく、時間を置かずに再び口を開く。
「なら、私達は協力できると思うのですがいかがでしょうか? 正義の執行者たるテミスさんと、正義の記者たる私。剣とペンが合わされば、それこそ敵は無いと思いますが」
「……それは、お前次第だな」
再びにっかりと笑みを浮かべたフィーンに、テミスは剣を収めながら言い放った。ここでそんな事を言い出すのであれば、何かしらの情報を掴んでいると言う事なのだろう。ならばそれを出さない事には、協力も何もあったものでは無い。
「おぉっと、これは失礼しましたっ! ですが時間も押してますし、ここで何があったか、ヒョードルの狙いが何か……かいつまんでお話ししましょう!」
テミスの答えに気を良くしたのか、背筋を伸ばして人差し指をピンと立てたフィーンの明るい声が、地下牢の鬱屈とした空間に響いたのだった。
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