1264話 一触触発
正午。
燦然と暖かな光を降り注がせる太陽が天頂近くまで昇った頃。
ファントの町から打って出たテミスたち黒銀騎団は、ルギウス率いる魔王軍第五軍団を真っ向から迎え撃つ形で対峙していた。
しかし、町を背にテミスたち黒銀騎団第一分隊を先頭に陣形を構える黒銀騎団に対し、魔王軍第五軍団は一定の距離を保って進軍を停止、街道を少し外れた平原に陣を張った。
それ以降、睨み合う両軍に動きは無く、ただ張り詰めた緊張感だけが戦場と化した平原を支配していた。
だが……。
「っ……!! 報告ッ!! テミス様ッ!! 敵軍に動きアリッ!!」
「チッ……仕掛けて来たかッ!?」
「いえッ……!! 副官を伴った敵将……ルギウスと思われる人物が、約一個小隊ほどの護衛部隊と共に突出、団旗を掲げながらこちらに向けてゆっくりと進んできますッ!!」
先制攻撃を禁じているが故に、途方もない緊迫感が漂う黒銀騎団の陣営に、伝令の声が木霊する。
その報せは、戦闘の回避に一縷の望みを賭けたテミスが待ち望んでいたものであり、同時にこの騒動における最大の山場が訪れた事を意味していた。
「よしッ……!! 流石はルギウス……私の見込んだ男だッ!!」
「待って! テミス。こちらの最大戦力は貴女なのよ? 貴女を誘い出すための罠という可能性は無い?」
しかし、喜色を露わに立ち上がったテミスを制したのは、意外にもその傍らに控えていたフリーディアだった。
静かに、そして鋭い光を瞳に宿したフリーディアは、真剣そのものといった表情でテミスを見据えると、まるで再考を促すかのようにテミスの前へと立ちはだかる。
その姿は彼女が既に、清廉潔白で正々堂々とした騎士道精神を疑う事の無かった、以前のフリーディアとは異なるのだと示していた。
「フッ……あぁ、そうかもしれない。だが、奴が胸を張って前に出てきたのだ。例えそれが罠だろうと、私が応じぬわけにはいくまい」
「っ……!!」
けれど、テミスはフリーディアの肩に柔らかく掌を置くと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて言葉を続ける。
ルギウスとは幾度となく共に戦った仲だ。互いに性格は知っているだろうし、戦のやり口も理解しているだろう。
ならば、こと意地の張り合いにおいて決して譲る事の無いテミスを罠に嵌めるのであれば、この奇特とも思える行動は絶好の戦略ともいえる。
それはテミス自身も理解している事ではあり、ルギウスというあの底の知れない男が、自分を嵌めるつもりならば最も取り得るであろう手段であることも理解していた。
「第一分隊から一個小隊を抽出。サキュドとフリーディアは私に随伴しろ」
「はぁい」
「……わかったわ」
「マグヌス。万が一の時はお前が全軍の指揮を執れ。だが、先の命令を忘れるな。決してこちらから先制攻撃を仕掛けるなよ」
「ッ……!! ハッ……!! ご武運を……!!」
だからこそ。
テミスは如何なる事態であっても対処ができるように命令を付け加えると、愉し気な笑みを浮かべたサキュドと緊張の面持ちで頷いたフリーディアを連れ、迷いの無い足取りで前へと歩き始める。
その後ろを、互いに目線を合わせて頷き合った兵士たちの中から進み出た四人の兵が、団旗を手に駆け足で追いかけていく。
そして、互いに歩み寄るかのように進み出た二つの団旗は、ちょうど両軍が睨み合う平原の中央付近でその歩みを止め、その旗の下では完全武装に身を固めた両軍の長が静かに向かい合っていた。
「……よかった。君なら来てくれると思っていたよ」
「フン……軍を率いて出張っておいて今更だな。ぞろぞろと一体何の用だ? よもや、そのような格好でハイキングという訳でもあるまい」
「っ……!! 貴様ッ!! ルギウス様を愚弄するかッ!!」
「クスッ……」
「シャル」
穏やかな口調で口火を切ったルギウスに対して、テミスはいつもと変わらぬ皮肉気な笑みを浮かべ、まるで挑発するような口上で言葉を返す。
だが、それに反応して気炎をあげたのはルギウスの隣で控えていたシャーロットで。
怒りの叫びと共に武器に手をかけたシャーロットに対し、艶やかな笑みを浮かべたサキュドが一歩前へと歩み出る。
しかし、両者が戦端を開く前に。気炎を上げるシャーロットを手を伸ばしたルギウスが言葉と共に制すると、それに合わせてサキュドもピタリと動きを止めた。
「勿論。全て説明するとも。こちらも、君に確かめたい事がある。だから、あまり僕の部下達をいじめないでやってくれないかな? 御覧の通り、みんな気が立っていてね」
「ククッ……虐めたつもりなど、私には無かったのだがな……。それに、先に刃を突き付けたのはそちらなのだ。説明を果たすのは当然の事だろう」
「クッ……!!! 言うに……事欠いてッ……!!」
「……おい。仮にもここは戦場なんだ。知己のよしみで一度は見逃したが、言動には気を配れよ?」
「ッ――!!!」
皮肉気に返されたテミスの言葉に、ルギウスは穏やかながらも少し低い声で応じ、確固とした意志を示してみせる。
それに対し、テミスもまた皮肉気な表情を崩す事無く肩を竦め、溜息まじりに抗議の意を露わにした。
だが、ルギウスの背後では、テミスの挑発に乗ったシャーロットと護衛の兵達が殺気の籠った視線でテミスを睨み付けており、静やかに臨戦態勢を取るサキュドの気配を傍らから感じながら、テミスは向けられた殺気に倍する殺意を以てこれに応じる。
瞬間。
ギリギリと身を焦がす怒りに歯を食いしばっていたシャーロット達はビクリと身を震わせ、青ざめた表情で己の主であるルギウスを伺い見た。
「そうか……。そうだね。なら、まずはそこから。僕たちが何故、こんなにも怒っているのかから説明しようか」
そんな己の部下達にルギウスは小さく息を吐いた後、穏やかな瞳でテミスを見据えてゆっくりと口を開いたのだった。




